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李寧国記

【李寧国記 番外編】キミニカエル

作者: 冬生 恵
掲載日:2026/05/13

※事後の雰囲気を匂わせる、関節的な表現がございます。苦手な方はお戻りください。

 (こう) 清顕(せいけん)は、ひたすらに焦っていた。



(どうすればいいんだ……?)



 早鐘(はやがね)を打つ鼓動は、一向に収まる気配もない。心臓が壊れそうだ。

 思わず溜め息を(こぼ)し、彼はそっと天を仰いだ。












 吉日である冬のこの日、清顕と幼なじみの(りゅう) 翠旺(すいおう)のささやかな婚儀が()り行われた。


 花嫁衣裳に身を包んだ翠旺は、息を飲むほどに美しい。清顕は呆然と、その姿に見入ってしまった。

 古式に(のっと)った儀礼の間も、清顕は幾度も幾度も、その横顔を盗み見ていた。彼の目線に気付いた翠旺は(かす)かに笑い、そっと目を細めた。



「ううう、すいおうぅぅ……」



 養娘(むすめ)の一世一代の晴れ姿に、養父である才恩(さいおん)が号泣している。一方、可愛がってきた少女を家族に迎える幸福に、清顕の両親は目尻を下げていた。彼らは長年の友人関係にあり、清顕も才恩とは顔なじみだ。そんな相手を「義父」と呼ぶことになるとは、不思議な思いだった。


 気もそぞろな清顕をすっかり置き去りにして、儀式は遂に結びを迎える。

 見送る両親に深々と頭を下げ、二人は新居に向かった。


 祓魔(ふつま)の統括官は、皇帝の呼び出しにすぐに応じられる場所に居を構えなくてはならない決まりだ。一般的には結婚後は夫の家に入るのだが、清顕の生家はその規定の範囲から外れている。そのため、清顕たちは皇宮近くの四合院(ながや)を借りることにしたのだ。

 手狭ながらも二人きりで過ごせる空間を、翠旺は(こと)(ほか)喜んでくれた。今後も二人共仕事を続けていくことを考え、身の回りの世話を頼む通いの使用人も一人、雇うことを決めた。








 そして、新居での夕食を終え、寝支度を済ませた二人は今、……静まり返った寝台の上で硬直していた。

 清顕(せいけん)はままならない自分の感情に翻弄(ほんろう)されながら、必死に目を(つむ)っている。


 夫婦になるとはつまりそういうことで、そういうこととはつまり、そういうことで。




(……駄目だ。何を考えているのか、俺は)




 ただの幼なじみではなく、一人の女性として翠旺(すいおう)を意識し、愛し、今日この日を迎えた。


 それでも、幼なじみとして過ごした八年はあまりに長い。好いた相手に触れたいという欲が、何だか汚らわしいものに思えてしまい、清顕は身動きが取れなくなっていた。


(どうすりゃいいのか……)


 清顕とて、中身は普通の二十代前半の男である。人並みの情欲もあれば、上官の付き合いで、何度か女性のいる店──いわゆる妓楼(ぎろう)に足を運んだこともあった。愛する人の「全て」を手に入れたいなどと考えるのも、この年代の男であれば健全なことだろう。


(……あぁぁ、俺は誰に言い訳してるんだ!)


 触れたい、全てを暴きたい、汚したくない、いや汚すってなんだ。夫婦なんだから当たり前だろう。……当たり前?


 ぐるぐると回り続ける思考に、清顕の頭が湯気を噴きそうになる。

 汗ばんだ手を思わず(ふすま)で拭ったその時、彼の夜着の袖を小さな手が引いた。




「清顕……」




 雪色の頬を薄紅に染め、翠旺がじっとこちらを上目遣いで見上げている。

 ()れた桜桃(おうとう)のような唇を物言いたげに震わせ、(かす)かに吐息を(こぼ)す、その何とも言えない色香を帯びた姿。

 それを目にした瞬間、清顕の理性は音を立てて焼き切れた。












 腕の中で寝返りを打つ翠旺(すいおう)を見下ろし、清顕(せいけん)は今夜何度目になるかも分からない溜め息を(こぼ)してしまった。

 うっすら赤く染まった目元。小さな手に握り締められ、皺の寄った(ふすま)。耳に残る甘い声。それらは、清顕の中に残っていた(わず)かな背徳感と混ざり合い、彼を眠りから遠ざける。

 過去、何度か妓女と枕を交わした時には、特に感慨(かんがい)もなく、漠然(ばくぜん)と「こんなものか」と思っていた。

 だが、どこか幼い印象のあった少女の身体は想像以上に柔らかく、清顕を無我夢中にさせた。とても平静ではいられなかった。



(……この温もりは、誰にも渡さない)



 無意識に()き出る感情に、思わず苦笑してしまう。自分は、こんなにも執念深かったのかと。


 彼はそっと、翠旺の()き出しになった左肩をなぞる。そこには刀に貫かれた際に出来た、引き()れたような傷跡があった。

 皇帝の何でも屋という仕事に就いている限り、危険とは無縁でいられない。清顕の全身にも、大小様々な傷跡が残っている。

 危険から引き離したい思いと、彼女の望む生き方を応援したいという思い。心は揺れるが、彼女のあるがままの姿を守りたいというのも、清顕の(まぎ)れもない本心だった。


「ちょっとは、大人しくなってくれると良いんだけどな……」


 清顕(せいけん)は苦笑しながら、寝台に散らばる彼女の緑髪を指に巻き付け、(もてあそ)ぶ。(つや)やかなその髪にそっと唇を寄せた時、翠旺(すいおう)の身体が身動(みじろ)いだ。夢でも見ているのか、彼女は(かす)かに眉間に皺を寄せ、汗を帯びしっとりとした細い腕を清顕の背に回してくる。



「……だめ。おいて、いかないで」



 清顕は(きょ)を突かれて、目を見開く。

 怨霊に連れ去られ、危うく生命を落としかけたことが彼にもあった。あの時彼女が駆け付けてくれなければ、間違いなく死んでいただろう。戻った後も、一月の間、寝台から離れることが許されなかった。

 ()(すべ)なく倒された部下たちの姿は、今も彼の目に焼き付いている。


「……帰って、来るよ」


 どれほど無様に足掻(あが)いても、地を()ってでも。

 片時も離れず傍に居る──そんな風に誓うことは出来ない。それはお互い様だ。それでも、必ずここに帰ってこよう。


 清顕も力の限り、妻となった女性の身体を抱き締め返す。



 彼が帰るべき場所は、彼女の腕の中以外にはないのだから。


両片思いを長年拗らせてきたのは清顕なので、直前でグルグルしてもらいました(笑)

翠旺の方は、好きな人と心身ともに結ばれることに憧れがあったので、割と根性が座っていました。

国一番の権力者の近くで働くということは、それなりに危険もあり、二人共それぞれに覚悟を決めての結婚だったと思っています。

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