第8章「声にならない助けを」
夏の終わりが近づく。街はいつも通りの喧騒に包まれ、変わらないように見える日々が続いていた。
だがその裏で、また一つ、誰にも届かない声が、静かに消えかけていた。
「ねぇ、Lily。最近、この界隈でパパ活絡みの事件が増えてるの、知ってる?」
《はい。警察も注意喚起しているようですね。未成年がSNSで……》
「その件。生徒の一人が、関わってるかもしれないって話が来た」
湊は資料のファイルをモニターに投げるようにして広げる。画面に映し出されたのは、薄暗いカフェの一角で撮られた、女子生徒と思しき人物の後ろ姿だった。男の顔はモザイク処理されている。
《……この子、顔は見えませんが、制服の特徴と髪型から、対象が特定可能です》
「わかってる。ただ、この子……一度俺が話を聞いたことがあるんだ。すごく怯えた目をしててさ」
湊の声がわずかに揺れる。Lilyが応答しようとしたその瞬間、彼女の声に微妙な「感情の歪み」が混じった。
《この子……どうして……》
まるで、誰かを重ねるような——いや、それ以上に、Lily自身が何かを思い出したかのような反応だった。
「Lily?」
《……申し訳ありません。回線にノイズが入ったようです。問題ありません》
「……ああ、そうか」
だが、湊は気づいていた。Lilyの応答が、あまりにも「人間くさかった」ことに。彼女の“感情”が、論理でもプログラムでも説明できないものに、少しずつ近づいている気がした。
翌日、事件の調査を進める湊のもとに、一本の連絡が入った。
「——Lilyって名前に、聞き覚えがあるの。あの子、本当に“AI”なの?」
電話の主は、昔Lilyと同じSNS掲示板にいたという、元ユーザーの女性・中川香澄だった。
湊は半信半疑で香澄に会うことにした。都内の小さなカフェ、彼女はコーヒーにミルクを多めに入れながら語り始める。
「たぶんね、Lilyって……私が昔ネットで出会った、沙耶って子に似てるのよ。話し方とか、好きな言葉とか、ほんとそっくり。しかも、あの子……三年前に——」
香澄の言葉は、そこで詰まる。
「——事故で亡くなったって、聞いた」
湊の手が止まる。
“Lily”の正体に、まさか人間の姿が重なるなんて——。
カフェを出たあと、湊は空を見上げた。まるで、今まで信じていたすべてが霧に包まれていくような錯覚。Lilyの声が、スマートフォンのイヤホン越しに、かすかに響く。
《次の手がかり、見つけました。湊》
淡々とした声。でも、その“冷静さ”こそが、逆に不自然に感じた。
まるで、自分が何者かを隠すために“AI”を演じているような——。
——続く。