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【第九十六話】軍議は踊りそして結実

時は遡り孫堅軍軍議の間


そのとき、周瑜が静かに口を開いた。

「私に良き策があります」


その一言に、孫堅達の視線が一斉に集まった。


周瑜は薄く微笑む。

「袁紹軍の火計への警戒が強まっているのならば……対策の無い場所へ誘導すればよいのです。」


孫策が目を丸くした。

「誘導って……砦の周囲の林とかか?ああいう地形に火を仕掛けるのか?」


周瑜は首を振り、地図ではない卓上の一点を指差した。

「違う。ここ――官渡砦だ。」


天幕内がどよめく。


「砦を、燃やす……?」

荀攸が呟いた。


周瑜は頷いた。

「官渡砦には、先の作戦のための油壺がまだ大量に余っております。野外に罠を仕掛けるより、砦内の方が敵に察知されにくく、細工も容易。もし敵主力をここへ誘い込めば……炎は天を焦がし、袁紹軍は壊乱するでしょう」


黄蓋が豪快に笑った。

「さすが周郎!考えることが違うわ!」


だが孫策はなおも食い下がる。

「なあ、それはいい案だと思うけど……どうやって敵を砦の中まで誘い込むんだ?警戒している相手が、そう簡単に乗ってくるとは思えない」


周瑜もそこは承知の上だった。

「……そこについて皆様の御知恵を借りたいのです」


孫堅が腕を組む。

「敵の警戒心を解くには我らが総退却するほどの理由がなくてはならんな……」


荀攸も唸る。

「敗走を装うにしても、一部隊が退くのとは訳が違います。火計を警戒する袁紹が、無策で砦に踏み込むとは考えにくい」


楊弘も険しい顔で思案する。

「大逆転の策としては妙案ですが……誘導の理由……」


軍議が煮詰まったそのとき――見張りが報告にきた。

「兗州より援軍到着!程普殿が御子息、程咨殿と司馬懿殿が入陣を願い出ております!」


孫堅は「通せ」と命じた。


まもなく、程咨と司馬懿が姿を見せ、程咨は深く頭を下げた。

「殿、援軍遅れましたこと、どうかご容赦を。」


司馬懿は冷静な目で場を一望し、同じように礼をした。

「ただいま合流仕りました。」


孫堅は二人を迎え入れると、周瑜に説明を促し、これまでの議論、官渡砦への誘導策について話し終えた。


司馬懿はしばし地図を眺め――ふっと微笑んだ。

「周瑜殿……奇策でありますな。このような策を思いつく軍師は、天下広しといえど稀でありましょう」


周瑜が軽く礼を返すと、司馬懿はそのまま、あまりに平然と続けた。

「ならば――殿に死んでいただくしかありますまい」


場の空気が凍った。


「な、なにを申すか貴様っ!」

「し、司馬懿殿!口が過ぎるぞ!」

黄蓋が刃に手を掛け、程咨が慌てて制した。


荀攸もすぐに立ち上がり、間に入った。

「司馬懿、真意を申せ。殿の死など軽々しく言及してよいことではないぞ」


司馬懿は深く頭を下げた。

「お叱り、ごもっともです。言葉が大いに足りませんでした。申し上げたいのは――“殿の影武者を討たせる”ということにございます。」


軍議の視線が再び集まる。


司馬懿は淡々と続けた。

「殿の影武者をあらかじめ用意し、あえて戦場で討たせます。敵に“孫堅は死んだ”と確信させ、我らが大混乱の中で総退却したと見せかけることで、官渡砦を捨てて引くことに真実味が生まれるのではないでしょうか」


楊弘が手を叩いた。

「見事……!我らの混乱を見れば、袁紹軍はなんの疑問もなく、勢いに乗じて砦へ押し寄せるでしょう!」


黄蓋も唸る。

「……うむ。確かに、その流れなら砦へ誘い込めるな。始めからそう申せば良いものを」


周瑜は深く頷いた。

「司馬懿殿の言う通りだ。あえて“(あるじ)を失った軍”を演じ、敵を油断させる……妙手だ。」


孫堅はゆっくりと立ち上がり、司馬懿を見た後に息子、孫策を見る。

「淡々と恐ろしいことを思い付き、しかも口にする。見事な胆力というべきか……。孫策よ。食われぬよう心せよ」


そして、皆に向けて言った。

「周瑜の誘導策と、司馬懿の影武者策――この二つ、合わせれば道が開ける。これを採用する。」


天幕の空気が変わった。

張りつめていた緊張が、決意の熱へと変わる。

「これより戦の準備に入る。荀攸、楊弘。二人の策を運用できるように手配してくれ」


「はっ!」

「それでは殿の鎧は目立つものに…」

「では、陣形は中央に誘導し易い鶴翼が…」

「火計を起こす者が潜み、脱出するための坑道も急ぎ作らねば…」


孫堅の号令一下、慌ただしくなる陣中であった。



---


時は戻り、官渡決戦の夜。


官渡砦の四方より、突如として炎が噴き上がった。

火は瞬く間に砦全体を包み、炎が夜空を焦がすのだった。


砦の南の林に伏せていた孫堅軍陣中、その炎の柱を見た孫堅は緒将に向けて叫ぶ。

「皆の者!策は成ったぞ!これより仕上げの時だ。心してかかれ!」


夜の闇の中で炎を受け紅の鎧は神々しく輝いていた。

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