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【第九十二話】再び潮流は中原へ

200年盛夏 司隸河南尹・官渡


乾いた大地を踏み鳴らす総勢十万を越える軍勢が互いにせめぎあっていた。


袁紹の本隊には、冀州強弩が黒鉄の壁のように整然と並び、その後方には、巨大な井蘭車が何十基も林立していた。

その後方から回り込んでくる幽州突騎が敵陣に突入

し孫堅軍の兵たちを踏み潰す。


「孫堅め、なかなかに頑強な構え……だが、兵数の差は埋まらぬわ」

袁紹が余裕の笑みを浮かべる側で、控えていた審配は冷笑しつつ、旗下の弩兵部隊に命を下す。

「弩兵隊第一部隊、撃て!続けて間断なく放て!」


一万に及ぶ強弩が一斉に弦を鳴らした。

夜空を覆うほどの矢が放たれ、官渡の野に黒雲が落ちたかのようであった。


その矢の嵐を、孫堅軍は盾を持って真正面から受けた。

「影矢隊、応射せよ!」

陣頭で孫堅が声を張る。

朱紅の鎧をまとい、金色(こんじき)の兜の下でその瞳は烈火のごとく燃えていた。


号令一下、影矢隊の新任隊長の蒋欽が半歩前進した。

率いるは汝南以来の老練な弩兵であり、冀州弩に劣らぬ正確さと速射を誇る。

その矢は風を裂き、敵弩の手元を正確に射抜く。

「強弩隊の弦を狙え!」

蒋欽の叫びが響く。


弦を断たれた冀州兵が混乱し、陣形が崩れる。

だがすぐさま、重装歩兵部隊が前進し、それ以上の攻勢を許さなかった。


「固い守りだ…」

黄蓋が呻き、蒋欽に斉射の中止を命じる。


袁紹軍は続けざまに重装歩兵の後方より井蘭車が轟音を立てて進み、高所より孫堅陣営に矢を浴びせる。


高所からの攻撃に対して盾で応じることしか出来ない孫堅軍の被害は少しずつではあるが嵩んでいくのであった。


盾に守られながら孫堅は副将黄蓋、荀攸、法正、周瑜と打開策を練る。


周瑜は降りしきる矢の中でも臆することなく持論を展開した。

「まずはあの井蘭車を潰す必要がございます。皆様もお気付きとは思いますが、あれは木製ゆえ、火攻めしかないと考えます。法正殿、騎兵部隊での急襲で燃やすことは可能でしょうか?」


「魏延殿の重装騎兵では速度が足りませぬが、劉豹殿の軽騎兵であれば急襲し、騎射での火攻めは可能と考えます」


「しかし、敵も井蘭車の弱点は熟知していよう。防火対策もしているのではないか?」

荀攸が二人の策に懸念を示す。


周瑜は我が意を得たりと、絵を用いながら打開策を示す。

「揚州での船戦の際に魚油を入れた壺を投擲し火矢の効果をあげる策はよく見ました。この策を使えば敵の防火対策を上回ることが出来るのではないでしょうか?」


「よし、周瑜、法正。劉豹と共に官渡砦に向かい準備を始めよ」

「荀攸。許昌の陳羣に連絡を取り油を出来る限り集め官渡砦に輸送させよ」

「黄蓋。準備の出来るまでの間、この地を死守だ。やつらの櫓は百台もない。一度に射てる矢の数には限りがあり、慌てず対処すれば被害は抑えられよう」


「ははっ!」

孫堅の命を受け四人は即座に動き出した。



---


「魏延!鋒矢の陣で中央を貫け!臧霸、昌豨よ、魏延の開けた穴を広げるのだ!」

黄蓋の指揮のもと、風を切って重騎兵が動き、敵陣を貫き、後続の歩兵部隊がさらに広げていく。


一万五千の孫堅軍前衛に対して、淳于瓊は趙叡に計二万の兵を預け、向かってきた三将の包囲殲滅を命じる。

趙叡が自軍の開いた穴を塞ぐように包囲を狭めると、臧霸・昌豨の後衛がとらえられる。


「張遼!助攻として橫撃を加えろ!」

黄蓋は淳于瓊の用兵に対して即座に応じ、并州騎兵の馬蹄の音が地を震わせる。


「突撃ぃぃ!」

張遼が叫び、槍を振る。

その突撃は風刃のごとく、趙叡の陣を切り裂いた。

「立ち止まるな!一気に駆け抜けるぞ!」

張遼の号令に、並ぶ騎兵たちが槍を突きたてる。

血飛沫と砂煙が舞い上がり、趙叡率いる兵達は混乱に陥った。


張遼が再突撃を試みると、そこへ幽州突騎が殺到した。

灰色の甲冑に身を包んだ騎馬たちが、まるで嵐のように吹き荒れる。

重い衝撃が并州騎を押し戻す。

張遼の槍が火花を散らすたびに、敵将を二人、三人と斬り倒すが、敵の波は絶えなかった。


そのとき、遠くで太鼓が鳴り、東方に煙が上がる。

「甘寧だ!」

孫策が叫んだ。


官渡砦から北へ流れる官渡水沿いを甘寧の遊撃隊が駆け抜け、袁紹軍の後方補給隊を急襲。

火矢が飛び、輜重車が次々に燃え上がる。


「おおおおっ――!」

歓声が孫堅陣に湧く。

だが孫堅は厳しい表情を変えない。

「まだだ。あれは一瞬の炎にすぎん」

彼は前方の混戦を睨んだ。

「張遼を退かせ、陳到を前へ!防御を固めよ。いずれ流れは変わる……そのときを逃すな!」


朱儁亡き後、孫堅は幾多の戦場を渡り歩いた。

いま、その眼光は老練な将のそれとなっていた。


烈火のごとき戦場に、孫堅はなお沈着な声で命を下す。

「――まだまだだ!我が軍は退かぬぞ。この地を死守するのだ!」

その声が轟いた瞬間、南風が巻き、灰と炎が空に舞った。


戦いの潮流は、依然たゆたうものであった――。

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