【第九十話】妙計と奇策
200年晩夏 徐州広陵
広陵城周囲の戦火が鎮まったのは、夕陽が水面を血のように染めた刻であった。
東門を攻めていた李豊は楽進に討ち取られ、残る袁術残党は四散した。
関羽は赤兎馬のたてがみを撫で、ひとつ深く息をついた。
「楽進、残党を逐え。だが深追いはするな。敵の策、まだ底を見せてはおらぬゆえな」
「はっ!」
楽進が拝礼して去ると、すれ違いざまに戦煙の中を白衣の影が静かに近づいてくる。
諸葛亮は戦塵の中でもその姿は涼やかで、手にした羽扇が送る風がその髪を揺らしていた。
関羽のもとまで来ると下馬し拱手した。
「関羽将軍、援軍いただき誠にありがとうございます。将軍の来援なくば、数日のうちに落城してたことと思います。しかしながら……まだ戦は終わっておりません」
「確かに。兄者はまだ北の地で戦の中だ。そういうからには何か策があるのか?」
「はい。郭図の“中入り”策は正に妙計でした。周到な準備のもとに行われた策であり、この地が落ちていれば徐州と揚州が分断され、劉備様の背後が脅かされるところでした。しかし、“妙計”には“奇策”で応じることが出来るかと」
諸葛亮は口許に薄笑を浮かべていた。
「“奇策”とはどのような策だ?」
「これだけの軍事行動が可能であることを敵が証明してくれたのですから、我らに同じことが出来ぬわけはありません。さらに我らには敵の武具、軍旗があります」
「偽兵の策か!」
「さすが将軍。袁紹軍を装い、待機している船を奪取し、今度は我らが青州の地を手に入れてしまいましょう。さすれば、袁紹軍も動揺し戦を優位に進めること叶うものと考えます」
関羽はしばし沈黙した。
夕暮れの水面が赤く揺らめき、風が兜の羽根を揺らす。
「……“奇策”だな。だが危うさもあるな。敵の真っただ中に孤軍を投じる。失敗すれば、青州の波間に骨を沈めることになる」
「承知の上です」
諸葛亮の目は、どこまでも静かに燃えていた。
「されど、もし成せば戦局は一変します。郭図の“中入り”を、“逆中入り”に変えられる」
関羽は低く笑った。
「面白い。命を賭けるに足る策よ。よかろう、採る!」
彼は立ち上がり、賀斉を呼び寄せた。
「賀斉、袁紹軍の鎧兜、軍旗を五千人分用意させよ。出来次第、文醜軍に偽装して敵船団に乗り込む」
「ははっ、承知いたしました!」
諸葛亮は軽く頭を下げた。
「私もこの策の立案者として、同行を願います。
成否いずれにせよ、この手で結果を見届けねばなりませぬ」
関羽は短く頷いた。
「ならば共に行こうか。天もまた、この“奇策”には驚くことだろう」
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――数日後。
広陵を発った関羽達は早朝の深い霧の中、待機していた公孫恭の船団に近づいた。
文醜軍に偽装していたため、公孫恭は疑いもなく関羽軍を迎え入れた。
「文醜将軍。よくぞ戻られた!」
だが、応答はなく代わりに関羽の青龍偃月刀が霧を裂いた。
「動くと貴殿の首が永遠にその体躯に別れを告げることになるぞ!」
状況が飲み込めず混乱する公孫恭とその部下達に対して賀斉達が武装解除をさせる。
捕らえられた公孫恭の縄を解き、諸葛亮が静かに歩み寄った。
「貴殿は遼東を支配する公孫康殿の弟君である公孫恭殿と聞きました。手荒な真似をして申し訳ありません。ですが、我らに助力頂ければ、戦後の通商を保証しましょう。また、幽州牧の地位を天子様に上奏致します。我が主劉備様は気前のよい方。悪いようには致しませぬ」
勝手な話に渋面を作る関羽の横で満面の笑みで話す諸葛亮。
二人の顔を見て公孫恭は逡巡したのち、観念した表情で頷いた。
「……わかった。貴殿達に協力しよう」
関羽・賀斉・諸葛亮の一行は公孫恭の船で北上、青州北海国・壮武近郊で下船すると、そのまま壮武の城を偽兵の策で無血占領した。
夜明けの中、関羽は城壁に立ち南方を望む。
横には諸葛亮が涼やかな顔で控えていた
「諸葛亮よ、見事な“奇策”だった。だが兄者はいまだ厳しい戦の中にいる。次なる策を示せ」
朝日の光を受け諸葛亮の双眸の奥が光る。
袁紹軍への逆襲が、ここに静かに幕を開けた。




