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【第八十四話】対陣

200年仲春 冀州・鄴


河内郡懐城の落城の報が、冀州・鄴の袁紹本陣へ届いたのは、沮授の出兵からわずか十日であった。


報を読み上げる使者の声が終わるや、堂内は一瞬の静寂に包まれ、そののち歓声とざわめきが爆ぜた。


「十日にして懐城を陥すとは……」

「まさに電光石火……!」

群臣が口々に驚嘆の声を漏らすなか、ただ一人、袁紹は座上で天を仰ぎ、深々と息を吐いた。


「沮授――あの男こそ、高祖三傑蕭何・張良・韓信を兼ねし英傑よ。我が“王道の戦”の礎となる者は、他になし。」

沮授を称える袁紹の声音は熱に満ちており、己の王佐を見出したかのようであった。


だが、その称賛を苦々しく聞く者がいた。

淳于瓊である。

(王道の礎、だと……?いや、それは私のはずだ。いま功を奪われては、ただの飾りの将に堕ちる。)


焦燥の火が胸に燃え上がる。

やがて淳于瓊は席を立ち、袁紹に進み出た。


「殿、河内を得た今こそさらに孫堅を威圧すべき時と存じます。この淳于瓊、早速本隊を率いて黎陽に陣し、黄河を渡り、中原へ討って出る準備をいたしまする」


袁紹はしばし考えたのち、頷いた。

「よかろう。孫堅を討ち許昌を落とすはお前の役目だ。沮授が河内を得た今、時は満ちたな」


淳于瓊は深く頭を下げ、そのまま軍門へと駆け出した。

すぐに眭元進・韓莒子・呂威璜・趙叡ら歴戦の将を従え、七万の兵をもって黎陽へと発つ。


(沮授の栄誉を、今度は我がものにしてみせる……!)


同じ頃、郭図もまた青州を発した。

袁譚を推戴し、五万の軍を率いて南へ。

その進路は徐州、すなわち劉備の領に向かっていた。



---


その報はほどなく洛陽の孫堅のもとに届いた。

政庁の壁に広げられた地図には、黄河を挟んで幾重にも敵旗が描かれている。


報告を聞き終えた孫堅は、沈黙ののちに静かに頷いた。

「戦は避け得ぬな。――ならば、正々堂々と受けて立つ」


荀攸が進み出て進言する。

「殿、敵は三道に分かれております。沮授が河内、淳于瓊が黎陽、郭図が青州。まずは河内方面は、黄河を盾として孟津に配すべきかと」


「うむ。趙儼・朱治を孟津守備に置け。許昌より合流した軍のうち、山・徐晃、陰・臧覇の軍を援として送るがよい」


さらに荀攸は策を重ねた。

「林・呂範を官渡に遣わし、防衛拠点を築かせるべきかと。官渡は黄河と許昌を繋ぐ要衝、この戦の命脈となる地にございます」


「我らが命運がかかった重要な役。それに足るは呂範以外にはおるまい」


「では殿は?」

と司馬朗が荀攸に問うたが、孫堅がゆるやかに立ち上がり代わりに答える。


「俺が行くは白馬だ。敵の勢を量り、王道を語る袁紹の覚悟を見極める」


その声に応じて、洛陽城門が開かれる。

黄蓋を副将に据え、六営を整えた。

風営・李通、火営・昌豨、雷営・甘寧、敢死隊・陳到、影矢隊・蒋欽、

そして騎兵隊に魏延・張遼・劉豹。総勢四万が白馬へ向けて進発する。



---


白馬の河岸に立ったとき、北岸にそびえる袁紹軍の陣が夕陽に照らされていた。

無数の(のぼり)が風をなびき、陣列は果てしなく続く。

焚かれるかがり火はまるで天を焦がすようで、その威容に兵たちは息を呑んだ。


孫堅は黙したまま、遠くを見つめる。

その瞳には恐れでもなく闘志でもなく――ただ、覚悟があった。


「……これが河北の雄・袁紹の軍か。王道を掲げる軍の威容はさすがよ。だが、我が軍も数多の戦場を己の義を信じ駆け抜けてきた。ここで臆するわけにはいかぬ」

隣に立つ黄蓋は静かに頷く。


風が白馬の河面を渡り、南北二陣の旗を震わせた。

いま、中原をめぐる大戦の幕が、静かに上がろうとしていた。

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