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【第八十二話】王道の戦

200年仲春 冀州・鄴


春の陽が射し込む広間の中、重厚な甲冑をまとった武将たちが列をなし、息を潜めて主君の言葉を待っていた。

玉座に腰を下ろした袁紹は、静かに視線を巡らせる。

「――王道の戦とは、いかなるものと思う?」


その問いに、誰もが息を呑んだ。


やがて、田豊が一歩進み出て深く頭を垂れる。

「殿。王道の戦とは、力で敵を屈せしめるにあらず。徳によりて民を()せしむる戦、敵を滅ぼすのではなく、誰もが自ずとひれ伏す戦にございます。此度の南征は王道を旗とする殿の戦とは離れたものと存じます」


田豊が話終えると郭図が進み出た。

「これは異なことを申される。殿は檄文で天下に正道を知らしめた。かの檄文を読んでなお刃向かうものは正道すなわち王道を乱すもの!これを誅することこそ王道の戦にございます」


袁紹は満足げに頷いた。

「郭図、その通りだ。我らは正しき道を知らしめた。それに服さぬものとは、天下の安寧のためにこれと戦い、勝利すること。それが、わしの求める王道の戦!」


場の空気が高揚したものとなる。

「よいか、皆の者!この戦で我が王道を天下に知らしめるのだ!」


居並ぶ緒将は大喝采を上げ、士気は最高潮となった。



---


袁紹は立ち上がり、緒将を制し、南方の地図を広げさせた。

「田豊よ。これよりは戦の是非は言うに及ばぬ。だが、余はおまえの才は我が軍随一と考えている。我らがとる道を示せ!」


その言葉に導かれるように田豊が顔を上げる。

「殿。ありがたきお言葉。この田豊もはや、死力を尽くす所存にございます」


「よき覚悟だ。では策を述べよ」


「それでは…此度の戦、まず狙うは洛陽の喉元――河内郡にございます。かの地を押さえれば、洛陽は目と鼻の先。只でさえ劣勢の孫堅をさらに分断すること叶いまする」


監軍(かんぐん)として袁紹軍全軍の軍権を預かる沮授が静かに頷く。

「田豊様の策は見事にございます。一軍をもって、疾く向かい、たちどころにかの地を制させましょう」


その時、郭図が陰笑(いんしょう)をその顔に浮かべ進み出た。

「真、見事にございますな。此度の戦は黄河に沿い、長大な戦線の構築が肝要となります。このため、沮授殿に軍権を一任すれば、他方の対応が鈍りましょう」


淳于瓊も郭図の言に我が意を得たりとばかりに頷き続いた。

「郭図殿の言はもっとも。中原は広く、戦線は伸びます。我らもそれぞれ軍を分け、三方より進むべきかと。」


田豊は眉をひそめ、二人を睨み付けた。

「殿、それでは統制が乱れます。三軍分立は敵に隙を与えかねませぬ。沮授殿の総軍の統はどうか…」


しかし、袁紹は穏やかに手を上げて制した。

「田豊、汝の策、理にかなう。だが郭図らの憂いもまた正しきことだ。ならばこうせよ。」


袁紹は地図上に三本の指を立てる。

「沮授、五万をもって河内郡を攻めよ。淳于瓊は本隊七万を率い、鄴より南下して後詰とせよ。郭図は袁譚を伴い、三万をもって青州より徐州へ進め。全軍の統は余がすればよかろう」


郭図、淳于瓊は会心の笑みを浮かべ跪いた。

同様に跪く田豊の眉間の皺はさらに深くなった。

だが、言葉を続けることは出来なかった。

戦の形は、すでに決まっているのだった。



---


洛陽


その頃、洛陽では孫堅が荀攸から予州の再編について報告を受けていた。


「汝南郡を預かる黄蓋殿より『程普は兗州戦、韓当は徐州戦でそれぞれ戦場が与えられているにも関わらず、自分にはその役は無いのか?』と嘆願の使いがありました。」

「つきましては、若き将にも(まつりごと)の経験を積ませるために、配置転換を考えております」


荀攸曰く、

黄蓋を洛陽の北面守護の任に就け、影矢隊の隊長の呂蒙は汝南出身でもあり、同地の軍司馬の任を黄蓋と交代させる。影矢隊の隊長は弓の名手である蔣欽を任じる。


荀攸の案を聞き孫堅は見事な差配に感心する。

「荀攸、俺のいたらない点に対する気配りに感謝する。俺も黄蓋に負けぬようまだまだ頑張らねばな」


部屋に二人の朗笑(ろうしょう)が広がるなかに、その空気を一変させる報せが舞い込んできた。


玄鴉よりの報せを受けた朱皓が息を荒げて駆け込んできたのだった。

「袁紹軍、三軍に分かれ南下!一軍は西へ、河内の方角に向かっております!」


孫堅は即座に軍議を招集した。

荀攸、司馬朗、朱皓、趙儼、朱治、そして毋丘興、新参の司馬孚が列する。


「河内を守るは我らの責務だ。袁紹軍の動きは早く、許昌からの六営達の到着は待てん。趙儼、朱治と共に長安より帰還予定であった一万の兵を預ける、河内へ急げ。すぐに張遼達、騎兵部隊も増援に送る。」


「はっ!急ぎ黄河を越え、袁紹の先鋒から河内を守ってみせます」


「頼む。だが決して無理はするな。我らは寡兵だ。いざとなれば退いてこい。最も大事なことは戦い続けるために生き残ることだ!」



---


しかし、趙儼らが出立して間もなく、再び玄鴉が飛び込んできた。

その顔は蒼白く、息も絶え絶えに報告した。

「孫堅様!…河内郡懐県、陥落!」


一瞬、場の空気が凍りついた。

洛陽の北方を守る河内郡の郡治所・懐県――その陥落は、実質上河内郡が袁紹軍の掌中に落ちたことを意味していた。


孫堅は拳を握りしめ、天を仰ぐ。

「……速すぎる。これが河北の雄・袁紹の本気ということか。」


外は春の陽が翳り、洛陽の街に陰鬱な風が吹き始めた。

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