【第六十話】孤立する曹操
198年仲冬 兗州濮陽
濮陽の冬空は灰色に沈み、冷たい風が政庁の瓦を鳴らしていた。
曹操は袁紹からの使者を迎えていたが、その言葉を聞き終えると、怒りを抑えきれずに袖を払った。
「袁紹め……!勢いを増す孫堅、劉備ではなく、死に損ないの公孫瓉を気に病むとは!」
曹操は立ち上がり、鋭い眼差しで廷臣を見渡した。
「宦官どもを一掃した時の苛烈さはどうなった!もはや河北の覇者とは名ばかりだな。もうよいわ!ならば我が力のみで中原を制してくれようぞ!」
その言葉は、自らを奮い立たせる決意の宣誓であり、同時に孤立を自覚した叫びでもあった。
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翌日、曹操は軍議を開き、諸将に命を下す。
「夏侯惇、汝に西の守りを預ける。陳留を固めよ。兵を募り、糧を蓄えよ」
「はっ!」
隻眼の勇将は力強く応じた。
「夏侯淵、汝は騎兵を鍛えよ。疾駆して敵を討つは、汝の得手とするところだ」
「承知!」
「曹仁、汝には東方の要として徐州琅邪国の守護を任ず。劉備に対する尖兵となるため、疾く軍備を整えよ」
「お任せを」
「曹洪、汝は南方済陰郡を固めてくれ。この兗州の要となる土地だ。この州の浮沈は汝にかかっていると思え」
「必ずや、守り通してみせましょう」
四人は一斉に頭を垂れ、その声は堂宇に響いた。
曹操の血族を中心とする軍制が拡充されてゆく。
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その日、ひとりの大漢が許昌に現れた。
身の丈八尺を超え、膂力人に倍し、裸の両腕は岩のように太い。
名を許褚という。
彼はもとは潁川の侠客であった。
数十人の盗賊を素手で討ち取ったという噂が、曹操の耳に入り招聘された。
「おぬしが許褚か」
曹操は近くに呼び寄せ、その眼差しを見つめた。
「その眼は澄んでおり虚妄の欠片も感じぬな……勇と忠の化身よ」
曹操は直ちに彼を配下に加え、親衛隊長の悪来・典韋と共に側近とした。
夏侯惇が笑い、
「これで我らは鬼神の助けを得たも同じ!まさに虎に翼を添うが如しですな」
典韋と許褚はただ拳を胸に当て、無骨な声で応じた。
「主公のためなら、命惜しまず」
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だが、城郭の外に広がる冬空は重く曇り、曹操の胸中もまた暗雲に覆われていた。
袁紹は動かず。
孫堅は帝を奉じて勢い盛ん。
劉備も二州を制している。
自らは孤立の中で軍を拡張し、勇将を得てはいるが――この道は苦難と戦火に満ちている。
「我が覇道は、孤独の道か……」
曹操は自らに問いかけるように呟いた。
その声は、冷たい風に消えていった。




