【第五十二話】裏切りの連鎖
時は数日前に遡る。
下邳の城内。
夜更けの軍営で、呂布と陳宮が語り合う声を、一人の近習がひそかに聞いていた。呂布より切り殺されそうになった近習であり呂布を恨んでいた。
――侯成を囮にし、己は家族を連れて北門より脱出する。
酒気を帯びた呂布の吐息と共に出たその密談は近習の耳に染み込んでいった。
「飛将も堕ちたか……」
近習は暗闇に顔を伏せ、胸の内で嘆息した。
彼は侯成のもとに走り、すべてを告げた。
侯成は呂布を深く慕っていた。かつて虎のごとく敵を蹴散らした主の姿を忘れはしない。
しかし、その主は今、ただ己の命を惜しみ、自分を囮として逃げようとしている。
侯成は拳を固く握り締め、やがて深い絶望の末に決断した。
「……もはや、この主に殉じる道はない。無辜之民を救うためにも、我らは別の道を選ぶべきだ」
侯成は密使を選び、夜陰に紛れて孫堅・劉備連合軍の陣営へ走らせた。
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その頃、孫堅・劉備の本陣。
侯成の密使が駆け込み、呂布を見限り投降したいとの密書を差し出す。
急ぎ招集された軍議には、荀攸、楊弘、魯粛、諸葛瑾、諸葛亮ら知略の士が列座した。
荀攸は眉をひそめる。
「これは罠の可能性が高い。呂布の参謀陳宮の奸智を侮ってはなりませぬ」
魯粛も首肯し、冷静に言葉を添えた。
「もし真実ならば天与の好機。だが虚偽であれば、軍を無用に危うくすることとなりましょう」
諸葛瑾も沈思しつつ言う。
「侯成ごときの裏切り、呂布が見抜かぬはずはない。疑って然るべきです」
しかし楊弘が身を乗り出す。
「いや、万が一偽りであっても、当方の損失はわずかである。逆に真実であれば呂布を取り逃がすやもしれん」
諸葛亮も同調した。
「戦機とは天意のごとく巡り来るもの。侯成が真実を語ると信じ、策を講じるがよろしいと考えます」
孫堅はしばし黙考したのち、重々しく頷く。
「よかろう。侯成の投降を受け入れ、策を練る」
劉備もまた剣を握りしめ声を揃えた。
「天は呂布を見放したな。裏切り者の末路には相応しい。部下に裏切られての滅亡とは哀れな奴だ」
続けて、魯粛が作戦の立案を行う。
「呂布が逃走を図るとすれば、東海郡に近き北門。ここが最も可能性が高いと考えます」
荀攸がそれに続く。
「ならば、馬防柵の一部を脆く見せかけ、呂布を誘い込み、侵入してきたところで落とし穴に嵌め、捕縛いたしましょう」
軍議は決し、連合軍は静かに陣を整えた。
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そして、時は再び戦場へ戻る。
柵の隙を突き、孫堅の陣を突破したかに見えたその瞬間――
地が割れ、赤兎馬がもんどりうち、呂布は視界が反転するのを感じた。
激痛と共に目を覚ますと、己の体は縄で締め上げられていた。
隣には陳宮も転がされ、まだ気を失っている。
やがて、足音が近づいてくる。
扉が開くと、侯成を従えた孫堅と劉備が姿を現した。
「……侯成、貴様……!」
呂布は血走った目で叫んだ。
しかし侯成はただ黙し、深く頭を垂れた。
孫堅は冷ややかに言葉を放つ。
「飛将と呼ばれた男も、裏切りを重ねた結果、最期は自らが裏切られるとはな」
劉備もまた、憐憫を込めた視線で見つめていた。
「人の信を失えば、飛将の翼もあっけなく折れるもんだな」
その言葉に、呂布は己が敗北の本質を悟るのだった。




