【第四話】長安の獄にて
玄鴉--
かつて洛陽にて、宦官勢力の腐敗を監視するため朱儁が密かに育てた影の諜者集団。
彼らは都の地誌に通じ、変装と潜入の技に長け、死をも恐れぬ誓約の下に動いていた。
彼らが長安への潜入を果たせた理由は三つあった。
1. 董卓の治世が乱れていたこと。
洛陽からの避難民と物資流入による混乱で、城門と獄舎の監視体制が緩みつつあった。
2. かつての宦官との繋がり。
玄鴉は一部の宮中官吏と内通し、荀攸の収容場所と交代予定を正確に把握していた。
3. 獄卒の買収と内応。
獄卒の一部に金銀を用い、わずかな時間の隙を作り出すことに成功した。
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地の底のような湿った土牢。
鉄鎖に繋がれるも、泰然自若とした佇まいで座す一人の男。
それが、荀攸であった。
音もなく、黒衣の者が影のように現れる。
「貴殿が荀攸殿か」
「……誰だ」
「我らは、孫堅将軍の命により来た。貴殿を外へ出す」
「孫堅……」荀攸の眉がわずかに動く。
「して、何のために俺を?」
「貴殿の知が、この乱世を変えると、将軍は信じておられる」
荀攸は沈黙の末に、わずかに頷いた。
「いいだろう。命を拾われた以上、知を預けるにやぶさかでない」
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数日後、予州・汝南
孫堅は、玄鴉の報を受けて城門に出迎えた。
そして荀攸が馬車より下りると、自ら土に膝をついた。
「長安の塵土に埋もれる賢を救えたこと、天命と思う。
荀攸殿。俺のもとで、漢室を救ってほしい」
荀攸はしばし孫堅を見つめ――
「よかろう。されど、俺は帝の家臣であって将軍の家臣ではない。
将軍が道を誤れば、必ず諫める。
それでもよいならば、使われよう」
孫堅は頷いた。
「その志こそ、我が求めしもの」
その日より、孫堅軍に鬼才・荀攸が加わることとなる。
剛勇と知略。
表と裏。
白昼と夜陰。
その全てが備わったとき――予州の一軍は、国家を動かす器となった。
その胎動は、まだ乱世に知られていない。
されど、風は確かに吹き始めていた。