【第四十二話】偽帝堕つ
197年初冬 寿春
寿春城の兵糧は尽き、城内の空気は死臭を帯び始めていた。
飢えに耐えかねた兵士や民は、夜陰に紛れて城門を破り、包囲する劉備・孫堅軍へ投降していく。
「もう……終わりだ」
紀霊が呟き、槍を地に突き立てた。
橋蕤や李豊らも、もはや防戦の意思を失いつつある。
その中でただ一人、袁術だけが現実を認めなかった。
「呂布が……来る。必ずだ。天命を戴くこの我を、見捨てるはずがない……!」
しかし、呂布は動くことが出来なかった。
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ある夜、楊弘が密かに城に戻ってきた。
やつれ果てた顔で、皇帝装束の袁術に膝をつく。
「寿春はもはや持ちませぬ。北へ――徐州へ落ちるべきです」
「呂布か……奴は動いてくれないが朕を受け入れてくれるか?」
「金と玉璽があれば、門を開きましょう」
袁術は玉璽の名を聞き、躊躇した。
だが生き延びるためには、もはや手段を選べぬ。
その夜、紀霊ら親衛三千と共に、袁術は密かに北門から脱出した。
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袁術の逃走はすぐに孫堅・劉備の知るところとなった。
孫堅は風(李通)、火(昌豨)の二将に追撃を命じ、劉備は張飛に命じて側面を封じる。
「このままでは追いつかれる!」
紀霊は疲弊した兵を叱咤しながら進軍したが、兵糧も水も尽き、次々と脱落者が出る。
さらに道中の村々はすでに玄鴉の手の者によって固く戸を閉ざしており食糧の調達も出来なかった。
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数日後、袁術一行はようやく九江と広陵の郡境に辿り着いた。
そこに待っていたのは広陵郡太守陳登の軍勢であった。
「大将軍の使いの者か……疾く朕を将軍の元に送り届けよ」
袁術は期待を込めて言う。
だが、陳登から返ってきた答えは冷酷だった。
「賊帝が何を言う――漢朝がために貴様を討つ!」
その言葉に、袁術の顔色は青ざめる。
紀霊が叫んだ。
「引き返すしかない! 急げ――」
だが、その時すでに背後から李通の軍が迫っていた。
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追い詰められた袁術は、玉璽を胸に抱き、最後の言葉を吐いた。
「天が……朕を……見捨てたか……」
衰弱と絶望が一気に襲い、袁術は馬上から崩れ落ち、そのまま息絶えた。
玉璽は紀霊の手で守られたが、彼もまた李通との戦で戦死、楊弘は捕らえられた。
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寿春城に籠城していた橋蕤、李豊、楽就、梁剛は、袁術の死を聞き戦意喪失、城を捨て逃亡した。
劉備は城を接収し、孫堅と共に江淮一帯を平定した。
戦後、劉備と孫堅は城楼に並び立ち、玉璽を前に語らった。
「偽帝は討てたが、漢の再建はまだまだ遠き道のりだな……」
「あんたと俺が組めば遠くともたどり着けるさ」
二人の視線の先、蒼く澄み渡った空が広がっていた。
だが、その空の遠く先では、なお幾つもの嵐が待ち受けている――。




