【第四十話】 陰を祓う剣
197年盛夏
寿春を目指す大軍の背後に、二つの不穏分子が渦巻いていた。
一つは中原・弘農。
一つは江東・呉郡白虎山。
この二つの「陰」が晴れなければ、袁術討伐はままならなかった。
今、孫と劉の陣営、それぞれの背後を預かる者たちが動く――。
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弘農の戦い
長安の李傕・郭汜は、涼州と司隷から挟まれる形で滅亡の危機に瀕していた。
そこへ皇帝となった袁術からの共闘要請が来たことにより、自分達の未来を袁術に賭けることにした。
二人は旗下の涼州騎兵を中心とした三万の兵を率いて、洛陽に向けて侵攻を開始した。
段煨が守る要地・弘農に、その刃が迫った。
迎え撃つは、段煨率いる五千と孫堅より派遣された朱治・孫河率いる一万の計一万五千。
朱治は段煨と合流し、堅牢な布陣を築いて迎え撃つこととした。
「李傕・郭汜など、今や野犬に過ぎぬ……が、涼州騎兵の突撃力は侮れん」
朱治は長矛を装備した部隊を前線に配置し、馬の突撃を止める盾とする。
さらに、孫河が率いる重弩影矢隊が高地に布陣し、十字砲火を張る。
「一歩でも前に出れば、弩の餌食よ……来るなら来てみろ」
涼州騎兵は突撃を繰り返すも、朱治の練られた陣を突き崩すことができず、影矢隊の矢の餌食となるのであった。
膠着状態となり、半月ほどが経過し敵軍が疲弊し始めたその時、東から一陣の風が吹く。
伝令となっていた玄鴉より朱治に報せが届く
「趙儼率いる一万の予州兵到着!」
趙儼は許昌の守備を江東より帰還した林(呂範)・山(徐晃)軍に任せ、近衛兵一万を率いて孫観、尹礼、呉敦と共に弘農まで強行軍で移動してきていた。
到着と共に軍議を開き、朱治、段煨と協議した後に、埋伏の計を行うこととした。
孫観、尹礼に五千ずつ兵を分け夜陰に乗じて兵を伏せ、翌朝呉敦を先鋒として一万の軍勢で出陣した。
趙儼は李傕・郭汜に対して声高に言った。
「かつて己らが天子様をほしいままにし、私腹を肥やした所業とは、まこと犬畜生にも劣るもの。此度もまた、朝廷を脅かすとは、天下の笑いものと気づかぬか。」
李傕・郭汜はこれを聞き激怒。涼州騎兵達に突撃を命じた。
蹄の本流は大地を揺るがし、前衛の呉敦は音もなく崩れさるのだった。
勢いにのり趙儼達本陣にも、そのまま突撃を行う姿勢であったが、両側から孫観、尹礼の伏兵が襲いかかった。
側面からの攻撃に隊列が乱れたところに、呉敦が一度は崩された陣形を組み直し背後から攻撃に参加した。
四方を囲まれる形となり、李傕・郭汜の軍は大混乱に陥った。
「李傕、郭汜……貴様らの命運もここまでだ!」
朱治が一声、総攻撃を下すと、李・郭の連合軍はたまらず潰走し、弘農の地は守られたのだった。
「背後はわしにお任せくだされ……孫堅様に、そう伝えてくれ」
朱治は兵を整えながら趙儼に伝え、遥か南方を見据えた。
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白虎山の攻防
同じ頃、呉郡では太史慈が厳虎の拠る白虎山に向かっていた。
途中、楊弘の策にのり、呉郡へ略奪を行いに出陣した厳輿の一軍と遭遇した。
太史慈は、
「諸葛亮の言った通りであった。かの言無くば、相応の被害が出るところであった。見事な慧眼よ」
と驚きつつも、厳輿の軍に突撃を敢行し、瞬く間に蹴散らすのであった。
厳輿の軍勢は白虎山に逃げ込んだため、太史慈達は包囲することとした。
だが、要塞化された山中に潜む山越兵は、罠と奇襲を巧みに使い、容易に攻め入れなかった。
「山を知る者が山を守る。常道ではあるが」
太史慈は焦らず、まずは状況を観察する。
虞翻は地形を精査し、賀斉と共に一計を案じる。
「正面からは攻めず。火を焚き、矢を放ち、耳を攻めるが良いかと」
その夜から賀斉が山麓にて挑発を開始した。
焚き火を灯し、軍鼓を鳴らし、大声で罵声を浴びせかける。
連日の挑発行為にしびれを切らした山越軍の副将厳輿が兵を率いて下山。
しかし、それこそが虞翻の罠だった。
伏兵が左右から飛び出し、厳輿を捕縛。
その報を受けた厳虎は激怒し軍勢をつれて太史慈の陣へ攻めこんできた。
「弟を返せ……我らは長くこの山で暮らしてきた。余所者は出ていけ!」
「己の意を通したければ、武をもって示せ――いざ、勝負!」
太史慈は一騎討ちを申し出る。
その声に、厳虎も周囲の眼があるため、退くことができず応じた。
山越の頭領と、江東の猛将。
山の風を裂いて、激闘が始まる。
十合、二十合、三十合――
互いの槍と刀が風を裂き火花を散らす。
しかし、ついに太史慈の一撃が厳虎の刀を弾き飛ばす。
厳虎は悔しそうに吐き捨てる。
「何故我らの住みかを踏みにじる」
太史慈は槍を納め、
「己らが偽帝に与して、我らの背後を脅かすゆえ、討伐せねばならんのだ。我らとて無為に傷つけたいわけではない」
虞翻もやってきて厳虎に問う。
「劉備様は仁義の人であり、無駄に傷つけることを望む方ではないぞ。互いの利のため協力せんか?」
厳虎は項垂れながら答える。
「我らとお主らの間の、長き間の怨みの炎は簡単には消せぬが、利のためならば部族も納得するやもしれん」
太史慈は厳輿の縛をとき、厳虎の手をとり立ち上がらせ告げる。
「まずはこの場は不戦の誓いから始めよう」
厳虎、厳輿兄弟は頷き手を取り合う。
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弘農、白虎山の乱の芽は断たれた。
趙儼は孫堅へ伝令を走らせ、太史慈は乱の終息の報を劉備へ送った。
それぞれの背後にあった憂いは、もはや霧散した。
寿春を巡る決戦は、いよいよその本番を迎えようとしていた。




