【第三十九話】地鳴る盧江
197年 初夏 盧江郡
許昌からの勅命により始まった逆賊袁術討伐。
孫堅・劉備・劉表の三路連合軍が寿春を目指して侵攻する中、盧江郡では袁術配下の勇将・張勲が守備の任を負い、進軍を阻む。
黄忠を先鋒とした劉表軍が張勲率いる袁術軍へ西から攻撃を開始しようとした時、戦局は予期せぬ乱れの兆しを見せた――。
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盧江郡・孫堅軍本営。
初夏の湿った風が軍幕を叩く中、朱皓が眉をひそめて報告を上げた。
「――荊州長沙にて、張羨が叛旗を翻しました。劉表殿の本軍は鎮圧のため転進を余儀なくされました」
「なんと……張羨め……」
孫堅が机を拳で叩く。
劉表軍の劉磐・黄忠ら一万は、やむなく撤退をすることとなった。
同時に、第二の報せが届く。
「長安にて、李傕・郭汜が再び挙兵。段煨将軍より、援軍要請が参っております」
「……長安も、か」
孫堅軍も六営中二軍・林(呂範)と山(徐晃)を予州・司隷の防衛強化のため後方に戻すこととなった。
孫堅はしばし天を仰ぎ、やがて口を開いた。
「漢のための戦は、常に内と外を相手にせねばならぬな……」
荀攸は沈痛な面持ちで言う。
「しかし、盧江にて張勲を討てば、大局に一矢報いることが出来ましょう」
「この戦、退くことは許されんな」
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盧江の戦場は山岳と湿地が交差する難地であった。
張勲軍二万はこの地の利を最大限に活かし、谷間に伏兵を置き、崖上から落石を仕掛け、連絡路を断って孫堅軍の連携を阻んできた。
当初孫堅・劉表連合軍は五万を越える大軍であったが、楊弘の策で二万を失い、兵力差は僅かに一万程度となった。
これにより張勲軍の士気は高揚していた。
「まるで巣穴に籠った亀と戦うようだ……正面からでは手が出ぬ」
呂蒙が地形図を前にうなった。
孫堅も地図に目を落とすが、苛立ちを隠せない。
「奴め、策にも長けているな……焦れてはならぬと知りつつも……」
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十日程度の小競り合いの後、満を持して孫堅軍は三手に分かれ、斜面を這い上がるようにして張勲軍に総攻撃ををかけた。
張勲は冷静に対応し、前線を維持していた。
孫堅は戦線が思うように進まないことに焦れて
「きっかけさえあれば、一気に崩せるのだが……」
と敵陣を見上げていた。
――その時、突如、張勲の背後から鬨の声が響いた。
「何だ!? 背後からどこの軍だ!」
袁術軍の背面、静かであったはずの山道に、突如として火の手と矢の雨が舞う。
「旗印に『呉』の文字……! 何処の軍だ!」
呉景――孫堅の義弟が、地元呉郡の若き俊才蔣欽・周泰・潘璋を伴い、五千の兵で突如戦場に現れたのだった。
「兄上、遅れて申し訳ない!」
呉景の先鋒・周泰の突撃が後背の柵を突き崩し、蔣欽・潘璋の部隊が火矢で糧秣を焼く。
前後からの挟撃に、張勲軍はたちまち混乱に陥った。
「張勲将軍、撤退を――!」
楊弘が叫ぶが、張勲は黙して首を振る。
「ここを退けば、陛下に顔向けができぬ。死して忠を示すのみ!」
張勲は精鋭を率いて自ら突撃を敢行した。
孫堅本営の前衛として待機していた陰軍臧霸を突き崩し、本営で控えていた孫策と周瑜の部隊と激突した。
孫堅も剣を抜き戦うなかで、敢死隊が救援に間に合い、主将陳到の放った矢が張勲の胸を貫き落馬した。
なおも剣を抜こうとしたが、孫策の一撃にてその命運は尽きた。
「張勲、討ち取った!」
孫策の勝鬨に呼応して、孫堅軍の歓声が山野に響いた。
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将を失い、士気を喪った袁術軍は瓦解し、楊弘は寿春へと逃亡。
「……袁術陛下のために、まだまだ死ぬ訳にはいかぬ……」
落日の主のもとへ急ぐ楊弘だった。
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戦が終わり、孫堅は呉景と再会する。
「遅れてすまなんだ、兄上。呉郡での募兵に手間取ってしまった」
「いや、呉景の参戦で勝利を得ることが出来た。よく来てくれた」
孫堅は蔣欽・周泰・潘璋にも目をやり。
「見事な若者達だ。これからもよろしく頼む」
「はっ!」
そして静かに言葉を続けた。
「だが、袁術はまだ生きている。真の決着は……これからだ」




