【第三十四話】揚州再建
196年晩秋 丹陽郡
劉備は揚州牧となったが彼自身が誰よりも理解していた。
(この地に根を下ろすためには、どうすればいいか・・・。徐州の二の舞にはしたくないんだが)
「まあ、考えても仕方ねぇ。まずは出来ることからするか。」
関羽と太史慈を呼び、
「関羽、太史慈。兵を募り訓練を頼む。袁術の野郎を撃退はしたが、アイツは諦め悪そうだからな」
「はっ」
関羽と太史慈は集められた兵に対して、丹陽郡の防備を整えるべく訓練を始めた。
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その頃、張飛は市街の酒場で一人、酒を酌んでいた。
彼も劉備が群雄として成長するために如何にすべきか考えていたが、良い案が浮かばす、酒で慰めていた。
そこに隣に座った書生風の漢が声をかけてきた。
「立派な体躯に虎髭をお持ちのあなた様は天下の豪傑、張飛殿ではないですか?」
「確かに俺は張飛だが、そういう貴公は名を何という?」
「これは失礼いたしました。私は魯粛と申します。徐州は下邳国の出身です。天下の豪傑と一献傾けたく、声をかけました」
「魯粛…その口ぶり、なかなか肝が据わっているな。面白い、飲もうじゃねぇか」
二人は意気が合い杯を重ねた。
「時に魯粛、我が兄者のことをどう見る?」
張飛が聞くと魯粛は
「――劉備将軍。天性の義侠で仁者とお見受けする。だが、儒を嫌いすぎておられる。そのせいで安定を得ることが出来ない」
張飛の顔がやや曇る。
「うちの兄者も、関羽兄もそうだ。口だけの奴らが気に食わねぇから、顔も見たくなくなる。俺もそうだったが、最近思うんだ……人の上に立つ者は、それだけじゃやっていけねぇってな」
魯粛は静かに杯を傾ける。
「そうです。将軍の名声には、仁と義はあります。民を束ねる広い度量もお持ちだ。そこに知を束ねる度量を加えることが簡要と考えます。名士とは、その知を担う柱なのです」
張飛はしばし黙し、やがて立ち上がった。
「……お主、兄者に会ってくれ!」
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丹陽城の広間、張飛に連れられて魯粛は劉備の前に座す。
「張飛が人を連れてきたと聞いて来てみりゃ……面白そうな目をしているな、魯粛殿」
「此度、袁術の侵略から丹陽をお守りいただいた勇将劉備将軍にお会いできるとは。僥倖です」
劉備は笑うが、どこか飄々としたその笑みを魯粛は見逃さない。
「突然ですが、将軍はなぜいまだ拠って立つ地を得られなかったのか、考えられたことは?」
「――行き当たりばったりだった。それが俺だ。振り返れば、義と仁を第一に突っ走ってきた」
魯粛は深く頷き、言葉を継いだ。
「戦乱は続きましょう。しかし、民は平穏を欲し、秩序を望みます。儒は秩序を生むことが出来るゆえ、秩序には儒を重んじる名士の力が不可欠です。将軍の志に共鳴する者はいます。ただ、彼らは言葉ではなく“礼”を重んじる。将軍と名士との橋をかけるために礼が必要となるのです」
「なるほどな……」
「春秋・戦国の諸侯のように、地方の実力者たちが秩序を築き、その上に漢室が権威として存在する。そうした構造が、最も早く安定と平和を生み出す。徐州の虐殺を目の当たりにしたからこそ、私はその形が必要だと確信したのです」
その言葉に、劉備は長く沈黙した。
「――それは、俺にはなかった物の見方だな。魯粛、俺のもとに来てくれ。今度は、名士も民も巻き込む政をやってやろうじゃねぇか」
魯粛はにっこりと微笑み、深く頭を下げた。
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魯粛はさっそく、人材登用策を提言した。
「江東に“二張”と呼ばれる張昭、張紘という名士がいます。彼らを得られれば、江東の名士層も動きましょう」
劉備は自ら両名を訪ね、丁重な礼を尽くした。
張昭:「士を得んとする姿、噂とは違うが、演じる程度には我らを必要と考えてのこと。その姿勢は評価に値する。わしは直言居士と言われておる。遠慮なく言わせてもらうぞ」
張紘:「張昭が認めるなら、その性は悪くないのであろう。この地に秩序を築く志のために協力は惜しまん」
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二張を得た劉備は二人に江東、江南の統治について尋ねた。
張紘は
「予章郡には諸葛玄がおります。彼の支持が得られれば、江南の安定は大きく前進しましょう。そして会稽太守・王朗もまた無視できぬ存在。礼をもって請えば、道は開けます」
張昭も述べた。
「呉には“四姓”と呼ばれる豪族があり、朱・顧・陸・張と申します。まずは陸家の代表、陸康との接触を試みるべきでしょう。私の旧知の秦松を介せば、話は通るはずです。くれぐれも地を出さぬように気を付けられよ」
劉備は苦笑いを浮かべたが二張の言に従い、張紘に諸葛玄への使者を任せ、王朗には華歆を向かわせた。
また、後日劉備は陸康と会見し、己の志を語った。
「民のためにこの地に秩序を築く。それがこれからの俺の道だ。陸康殿、手を貸してくれないだろうか」
陸康はうなずいた。
「我らも江東の安定を望んでおります。協力いたしましょう、劉備将軍」
陸康を通して他の三家も協力を受諾、揚州統治は急速に安定を得ていくのだった。




