【第十七話】沛に征く
申し訳ありません。
曹操の徐州大虐殺の追記と劉備のキャラを変更のため修正しました。
193年 盛夏/許昌
朝堂に、緊迫した空気が流れていた。曹操の父、曹嵩が徐州にて殺害されたとの報がもたらされるや、兗州の曹操は激怒し、陶謙の治める徐州へ大軍を率いて侵攻を開始した。
この報せに、荀攸は即座に動いた。
「殿、徐州に戦が起これば、曹操も陶謙も予州に構ってはおれませぬ。今こそ、沛国を手中に収める好機かと」
孫堅は短く頷いた。
「予州を安んじねば、漢室再興も夢物語。ならば征くとしよう――沛国へ」
軍議のもと、参軍に荀攸、李通、昌豨を将に、魏延を騎兵の指揮に任じ、孫堅自ら精鋭2万を選抜して東へ進軍を開始した。
沛国・沛県近郊
高祖劉邦の生誕の地である沛国。
その沛国の平原。戦雲たなびく中、孫堅軍の威容は堂々たるものであった。李通が中央軍を率い、昌豨が左翼、魏延が騎馬隊を指揮して右翼に布陣。
劉備は沛県の城を背に、直属兵五千と、丹陽兵を率いる曹豹の四千、計九千で迎え撃つ。
劉備軍左翼の陣頭に立つ、赤い顔に山のような体の男が怒声を上げた。
「我こそは張益徳!俺様の相手を出来る将はおらんかァ!」
「あれが万夫不当と噂の張飛か……面白い!」
魏延はりゅうりゅうと槍をしごき前に出た。
二人は一騎討ちとなり、蛇矛と槍が火花を散らした。だが、張飛の膂力と技量は魏延を上回り、次第に魏延が劣勢に立たされる。
「く……っ、この猛牛め!」
その間に昌豨が左翼から押し上げるが、青龍偃月刀を携えた関羽が静かに現れる。
「その先に進むのは許さぬ。」
その一振りはまさに神技。昌豨の突撃は完全に阻まれた。
中央では李通率いる孫堅軍七千対、曹豹率いる丹陽兵四千の戦いが幕をあけていた。
李通の指揮は風林火山陰雷の内の風を体現した疾風の用兵術であった。
矢合わせによって隙のできた場所へ千ずつに分けた兵を繰り出し、綻びを繕うために出来た新たな隙を、新たな千の兵で突く。
曹豹率いる丹陽兵は強兵でなる部隊であったが、李通の用兵に翻弄され、劉備軍の中央より崩れる形となった。
劉備軍は両翼が殿となる形で沛の城へ撤退し、孫堅軍は沛県の周辺を制圧。
だがその最中、思わぬ報がもたらされた。
「呂布が兗州へ侵攻、曹操は本拠を奪われ、退却しました」
曹操の徐州出兵の隙をついた呂布の兗州侵攻。
兗州名士の張邈の協力と謀士陳宮の軍略により、瞬く間に兗州の諸城は降伏した結果、曹操は陶謙に対する報仇を断念せざるを得なかった。
しかし、曹操の陶謙への報仇の念、呂布や陳宮への憎悪は凄まじく、兗州への帰途、徐州の民を虐殺するのだった。
この報に触れた荀攸が急ぎ密使を送り、劉備と孫堅の会談が持たれることとなった。
「貴殿の軍の双璧をなすお二方は噂に違わぬ豪のものであられる。倍する我らの自由にならぬ戦であった。」
孫堅の言葉に、劉備は大笑し。
「俺もここまでやりにくい戦は初めてだ。孫堅殿、あんたはたいした将器の持ち主だ。だか、これ以上の殺し合いは民のためにならねぇ」
「剛毅な男だ。だが、民に対するその仁の心には共感する。我らも無駄な殺し合いをするのは本願ではない。予州牧の任命を受けた者として、秩序を守れれば、それでよい」
短き対談であったが、互いにその将器を認め合い、講和が成立。沛県は劉備に残され、その他の地は孫堅が治めることで合意した。
許昌への帰還後、孫堅は沛国の統治を整える。
国相には、名士にして農政に通じ、陶謙、袁術に挟まれ、舵取りの難しい地でも、その巧みな外交の才で知られる劉馥が任命された。
「この地は戦の火種が絶えぬ。民を育て、地を興すには、そなたのような人物が必要だ」
また司馬には、影矢隊を率いた経験から軍事と治安の両面に精通する韓当が選ばれ、強弩兵の一部も沛国に移されることとなる。
孫堅政権はついに予州全土を掌握し、その足場を固めることとなった。
新たな戦火の予感が空をかすめる中、後の英雄同士の初の邂逅は、静かに幕を閉じた。