【第十三話】儒の炎、許昌に灯る
192年 春深しき頃
春の風が城門をくぐり、許昌の街路をわたる。
咲き乱れる桃花が空に舞い、黄河の流れさえ柔らかく見えるこの季節――
その中に、一つの馬車が静かに入城した。
車上には一人の男。
髭を短く整えた、白布の儒服を身に纏い、清廉な面持ちにして威厳を帯びる。
その人こそ、魯王・劉虔――
孔子誕生の地:魯を治める、王族の血を引く名儒であった。
孫堅は政庁の正殿にて、自ら出迎えの礼を執る。
金襴の冠を戴き、膝をつくその姿には、一将軍ではなく、政を執る者の風格が宿っていた。
「魯王殿下、お越し頂き、かたじけなく存じます。
儒たる学は、乱れし世に光を灯す火。今、この許昌にこそ、その灯が必要と考え申す」
劉虔は目を細めた。
その眼には、猜疑も虚飾もなく、ひたむきに漢たる道を求める男の姿が映っていた。
「漢の世に生まれ、漢の名を戴く者なれば、天子を敬し、礼を重んずるは理なり。
私もまた、孔子の学を学ぶものとして、この世の道を正す手助けを致しましょう」
その場で孫堅は、劉虔を「祭酒」――学官長に任命した。
今後、官僚の育成、礼制の制定、官制と位階制度の整備は、彼の手を通じて築かれてゆくこととなる。
その日より、許昌の政庁には、筆と竹簡の音が鳴り響くようになった。
劉虔が監修する「礼の学房」では、官吏たる者の素養と法の基本を教え、朱儁や陳羣とともに制度の礎が一つずつ積まれていく。
礼とは、力無き者が理をもって強者に抗う術であり、法とは、私情を捨てて公の秩序を保つ柱である。
かくして、孫堅政権は、ただの武による支配ではなく、礼と法を兼ねた政への第一歩を踏み出していた。
---
ある夜、書房にて。
劉虔はろうそくの灯りのもと、そっと一通の文を差し出した。
「これは、私の治める魯より届いた報です」
「――泰山の山賊どもが、ここ半年の間に三度、魯へ侵入してきたとのこと」
荀攸が横から文を覗き込み、険しい面持ちで呟いた。
「泰山は要衝。これを放置すれば、予州の背を討たれるも同じ」
孫堅は腕を組み、ゆっくりと立ち上がる。
「……劉虔殿。あなたが我らに儒の火を灯してくれたように、今度は我が、あなたの国土を守りましょう」
春の夜風が、ろうそくの炎を揺らした。
戦なき世を望む者の願いの灯――その灯は、いま、泰山の彼方へと向かおうとしていた。




