【第十一話】湛水の戦
192年 初春/潁川郡・昆陽城外・湛水周辺
白き霜がまだ大地に残る初春、湛水のほとりに両軍は対峙していた。
北岸に布陣する孫堅軍は、総勢およそ四万。 先鋒に立つのは、程普と陳到が率いる汝南兵二万。 中軍には、朱儁の旧官軍を中心に孫堅、朱儁、趙儼、荀攸が率いる一万。 左翼には李通が率いるかつての私兵五千、右翼には黄蓋率いる汝南郡兵五千が陣取り、 韓当が呂蒙を従えて率いる強弩兵五百、魏延が率いる騎馬隊五百が後方に隠されていた。
対する袁術軍は、南陽より北上した大軍。総勢は実に十万に達する。 先鋒三万は、歴戦の勇紀霊が指揮し、左軍には楽就一万、右軍には雷薄一万。 中軍五万を袁術自らが指揮し、李豊、陳蘭、橋蕤らがこれに従った。
その陣容は壮観ではあったが、兵たちの顔には生気がなかった。 袁術の治世は乱れ、民に重税を課して兵糧を集めたがため、兵の士気は著しく低下していた。
――そして、湛水の激戦が幕を開ける。
程普は鉄脊蛇矛を振り上げ、陳到と共に先陣を切って敵へ突進する。 「汝南の勇、ここにあり!」 兵たちが一斉に鬨の声を上げた。
その頭上、静かに弦が引かれる音。
「標的、左翼指揮官……射!」
韓当率いる強弩兵が、汝南兵の中から選りすぐられた視力に優れた兵士たちの報告に従い、的確に敵軍の指揮官を狙撃した。
鋼の如き音を立てて放たれた矢が、雷薄配下の百人隊長を射抜いた。 続いて、左翼では楽就配下の千人将が胸を貫かれ、混乱が走る。
「な、何事だ……!?指揮が取れぬ!」
混乱する敵陣に、魏延の騎馬隊が突入。 風の如く走り、切り込み、背後から敵の列を引き裂いた。
「魏延、汝南に名を刻むぞ!」
程普も吶喊する。 「この一撃で、勝利を決すべし!」
局地戦では孫堅軍の戦術が冴え、各軍が敵を押し返していた。 しかし、兵数の差はいかんともしがたく、やがて戦線は膠着した。
数日の戦のなかで、紀霊率いる先鋒、左右の軍を切り崩すことに成功した孫堅軍であったが、その先には無傷の袁術軍本隊が待ち構えていた。
「殿、敵の先鋒を切り崩せましたが、本体は健在です!対して我が軍は連日の戦の疲労が目立ちます。」
陳到の叫びに、孫堅は剣を引き抜き、毅然と言い放つ。
「耐えよ、勝機は来る!」
孫堅軍の疲労が頂点に達し、袁術本隊の総攻撃が開始となろうとした、まさにその時――
南方の南陽方面から、狼煙が上がった。
荀攸が目を見開く。 「これは……劉寵殿を通じての援軍!劉表軍が動いた証です!」
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数日前に南陽郡の袁術の留守部隊、袁胤が率いる二万に対し、劉表軍四万が侵攻を開始。 劉表の従弟、劉磐が大将として指揮し、先鋒は黄忠が務めた。
黄忠は矢の如く進撃し、城門を突破。 南陽郡の守備はあっという間に瓦解した。
その余勢をかって北上し袁術軍の後背を窺う地まで迫っていた。
「南陽……奪われたか……!」 袁術は蒼白となり、腰を抜かさんばかりに震えた。
もはや南陽には戻れず、 袁術は東方:寿春へと落ち延びる他なかった。
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劉磐の軍勢が、寿春へ落ち延びた袁術軍の追撃を終えたとの報せが、孫堅の陣へもたらされたのは、戦の翌朝であった。
黄蓋、魏延、陳到ら歴戦の将たちが手負いの兵を労りながらも、勝利の余韻に包まれている中、程普の進言により、孫堅は湛水南岸の台地へと軍を進め、劉磐軍との合流を果たすこととなった。
騎乗する孫堅の姿を見つけると、劉磐は愛馬を駆って近づき、戦塵の中で声高に呼びかけた。
「これぞ忠義の軍よ!孫堅将軍、我らが力を合わせたればこそ、奸賊袁術を逐うことが叶ったのだ!」
孫堅もまた馬上にあって劉磐を見つめ、うなずいた。
「此度の増援、誠にかたじけなく存ずる。貴軍の南陽を制したるその軍略、感服いたした。」
笑い合う両将の周囲で、孫堅軍と劉磐軍の兵らが次々と槍を掲げ、鬨の声をあげ始めた。
「勝鬨をあげよ――!」
孫堅が叫ぶと、湛水の両岸に兵らの声がこだました。
「天に代わりて逆賊を討つ――!」
「孫将軍万歳!」
「劉将軍万歳!」
春を告げる風が戦塵を払い、空に昇る旗は、朱と蒼、二つの色に染まってはためいた。
--第一章、ここに終幕。




