第7話 静かなる夜、ふたりの想いが重なる
― 左大臣家ver(白雪)/祈りの第三姫 ―
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(※本作は、平安時代をモチーフとした異世界転生ファンタジーです。
宮中の制度や人物設定には、創作上の表現が含まれています。
あくまで“平安風”幻想世界として、筆と祈りの物語をお楽しみください。)
◆序章 七 登場人物
▸白雪:左大臣家三女。内大臣家に嫁ぎたての姫。まだ少し緊張しながらも、香で心を伝えようとする。
▸兼雅:若き内大臣。真面目で優しい。新妻にどう接していいかわからず、戸惑いながらも惹かれていく。
▸ 実房:白雪の父。沈黙の香で家を守る“計算の男”
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香殿の夜は、音が消えていた。
白雪は、いつものように香を整えていた。
白梅に、薄荷と丁子――
ただの組み合わせなのに、今日は心が落ち着かなかった。
障子の奥。
ふとした衣擦れの音と共に、兼雅が静かに部屋へ入ってくる。
「……お邪魔して、すみません」
白雪が振り返ると、彼は、いつもと違う眼差しで立っていた。
どこか、何かを決意したような、穏やかな熱を帯びて。
「この香……」
「今日のは、少しだけ深くて、切ないですね」
白雪は微笑む。
けれど、目を逸らした。
そのまなざしに、今夜の香には似合わないほどの熱があったから。
兼雅が近づく。
ほんの数歩。
でも、その気配に、呼吸が浅くなる。
白雪が香炉に向き直った瞬間、
背後から、そっと――手が、肩に触れた。
「香が……温かくて、苦しくなるんです」
「あなた様の香が、ここにいるだけで、胸に残ってしまって……」
その言葉は、筆で書いた和歌よりも、ずっと震えていた。
白雪がゆっくり振り向く。
視線が重なったその瞬間――
兼雅の手が、そっと彼女の頬に触れた。
白く、やわらかく、
指先がためらいがちに髪を撫で、
そして額から、こめかみ、耳元へと。
「……美しいと思ってしまったんです」
「政治でも、香でもなく、あなた自身を」
彼の手が、白雪のうなじへと滑る。
髪をわずかにすくい、首筋に触れた瞬間――
白雪は、はっと息をのんだ。
けれど、逃げなかった。
その手が、頬へ戻り、
そして、唇へ――
ゆっくりと、ためらいながら、
まるで“香を聞く”ように、彼は彼女の唇に口づけた。
熱くはない。
ただ、静かで、長くて――
香のように、言葉を持たないキスだった。
白雪がふと、彼の胸に手を添えた。
それは「拒む」ものではなかった。
むしろ、「ここにいる」と、静かに伝えるような仕草。
兼雅は、もう一度、唇を重ねる。
今度は、首筋のあたりに――
白雪の鼓動が、そこにあった。
「……こんなにも、あなたが近くにいたなんて」
香殿には、香と気配だけが満ちていた。
衣は解かれぬまま、
けれど、心はすでに裸だった。
その夜、白銀香殿では――
名もない契りが交わされた。
筆も、政も、香さえも超えて、
ただ、“ふたりの心が触れた夜”が、そこにあった。