第6話 誰かのために香る筆が、ここにある
― 左大臣家ver(白雪)/祈りの第三姫 ―
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(※本作は、平安時代をモチーフとした異世界転生ファンタジーです。
宮中の制度や人物設定には、創作上の表現が含まれています。
あくまで“平安風”幻想世界として、筆と祈りの物語をお楽しみください。)
◆序章 六 登場人物
▸白雪:左大臣家三女。内大臣家に嫁ぎたての姫。まだ少し緊張しながらも、香で心を伝えようとする。
▸兼雅:若き内大臣。真面目で優しい。新妻にどう接していいかわからず、戸惑いながらも惹かれていく。
▸ 実房:左大臣、白雪の父。沈黙の香で家を守る“計算の男”
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白銀香殿。
その奥にある、女主の部屋――
まだ慣れぬ暮らしの香がほんのり残る、やわらかな空間だった。
白雪は、香炉の火を整えていた。
白梅をベースに、薄荷と丁子をほんのわずか。
夜気に冷えすぎないよう、香を“温め”るように仕立てる。
慣れない屋敷。
控えめな嫁ぎ先。
まだ“妻”という言葉に、どこか戸惑いが残る毎日。
けれど――
彼に香を届けたいという気持ちだけは、確かだった。
「香は、言葉にならない想いを包むもの……
ならば私は、この香で、あなた様の心を守りたいのです」
彼の家に嫁いで、まだ間もない。
政のためと知りながら、それでも彼は優しく、誠実で。
あの人の筆は、嘘をつかない。
まっすぐに、胸の奥とつながっている。
ふと、障子の外に足音が止まる。
「……白雪様? あの、入っても……よろしいでしょうか」
どこかくすぐったい声。
慣れていないからこそ、まっすぐな音色。
白雪は、微笑みながら返した。
「はい。どうぞお入りくださいませ」
戸が開く音。
彼が、少しだけ顔を赤らめて立っている。
「香が……今日はとても落ち着くような気がして」
「なんというか……この部屋は、温かいですね」
彼の言葉に、白雪はふわりと微笑んだ。
「香は、心を包むものです。
そして、あなた様の筆もまた……誰かの心に触れるものだと思います」
兼雅は、少しだけうつむいて頷いた。
ほんのわずかに、頬に赤みを差しながら。
その姿が、白雪には愛おしかった。
「まだ、慣れませんけれど……」
「この殿で、あなた様と“共に在る”ことを、大切にしたいと思っています」
一瞬、ふたりの視線が重なる。
まだ、恋とは呼べないけれど――
確かな“始まり”が、そこにあった。
「私の筆は香。あなたの香は筆。
だから、私たちは――言葉ではなく、祈りで寄り添えるのですね」
その夜、白銀香殿には、
ふたりの想いをのせた静かな香が立ちのぼっていた。
名も声も持たない香が、
やわらかに部屋を満たしていく。
まだ慣れぬふたりの暮らし。
けれどその香は、確かに“はじまったばかりの夫婦”の、
小さなあたたかさを静かに照らしていた。
争わず、支え合い、香で言葉を交わす関係――
白雪は、そんな未来を夢見ていた。