表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/35

第4話 策ではなく、命を護るということ

涙なき母と、名なき子のために (左大臣家ver)

*-----------------------------*

(※本作は、平安時代をモチーフとした異世界転生ファンタジーです。

 宮中の制度や人物設定には、創作上の表現が含まれています。

 あくまで“平安風”幻想世界として、筆と祈りの物語をお楽しみください。)

◆プロローグ 1-4 登場人物

実房さねふさ:左大臣。政を動かす策士にして、家族を想う父。

忠晴ただはる:左大臣家の長男。静かなる筆の貴公子。父と妹を支える理知の兄。

紫鳳しほう中宮:実房の次女。悠蓮東宮の妃だったが、その死とともに中宮へ。

蒼倉そうくら宮:筆と和歌に秀でる“遠縁”の宮。

悠蓮東宮ゆうれんとうぐう:故現帝の兄で、かつての東宮。紫鳳の最愛の人。

*-----------------------------*


左大臣・実房が焚かせたのは、かつて東宮が好んだ香だった。

沈香と白檀に、わずかばかりの青柚子――

穏やかな煙が立ち上るたび、思い出すのは、あの夜のこと。


紫鳳が、声もなく膝を折り、袖を濡らしてうずくまったあの夜。

「……父上……どうか、この子だけは……」


言葉の端が震え、切れ切れになって消えていく。

“帝にはなれぬ”“名も持たぬ”――

それでもこの子は、確かにあの方の御子なのだと。


その背を、静かに抱き留めたもう一人の影があった。

兄・忠晴。

無言で、妹の肩に外套をかけ、顔を上げずに父に一礼した。

「妹の香は、私が護ります。……父上、あの子の未来を、どうか」


それ以来、忠晴は何も問わなかった。

問わず、探らず、ただ兄として、筆と香で“沈黙の盾”となった。


実房はあのとき、決意したのだ。

この家の者は誰一人、孤独にはさせぬ、と。


「香とは、“名を持たぬ言葉”だ」

実房は、煙を見つめたまま小さく呟く。


「ならば私が焚くのは、策ではない。――誓いだ」


忠晴は、机の隅に置かれた文を静かに差し出した。

進言文――蒼倉の宮を帝の御前に推挙する草案だった。

その筆致は、誇張も言い逃れもなく、ただ事実を重ねる冷静な美しさ。


「香は母の願いを包み、筆はその願いを記す。

私がその筆を記し、父上がその香を選ばれるなら――

この進言は、左大臣家の“記憶”でございます」


実房はその文を受け取り、ふと目を細めた。

「……よく育ったな、忠晴」

「父上のお背を、見てまいりましたから」


目の前の机に、改めて実房は筆をとった。

表向きは、左大臣家の“遠縁”という体の蒼倉。

だが、その筆の才、和歌の静けさ、香を選ぶ手つき――

すべてが、あの東宮・悠蓮を思わせる。


紫鳳は母であることを封じ、

忠晴は兄であることを言葉にせず、

実房は父として、政にその香を焚いた。


かつて、悠蓮東宮は消された。

その名も、姿も、香りだけを残して。


だが蒼倉には、香がある。筆がある。

そして、“祈り”がある。


進言の文に、最後の筆を入れる。


『帝の御前にて、蒼倉の筆を用いよ。

言葉でなくとも、あの子の香が――この国の行方を示すはず』


忠晴がそっと香炉の蓋を閉じる。

「策では足りぬ。香で封じ、筆で導かねば――

この国の“記憶”は、また殺されます」


実房の目の奥に、煙が揺れる。


策ではない。

香でもない。

――これは、我が家族の“誓い”である。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ