第3話 香の契りは雪に咲く
政略と祈りの発端 (内大臣ver)
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(※本作は、平安時代をモチーフとした異世界転生ファンタジーです。
宮中の制度や人物設定には、創作上の表現が含まれています。
あくまで“平安風”幻想世界として、筆と祈りの物語をお楽しみください。)
◆登場人物
▸ 兼雅:若き内大臣。贈られた屋敷と姫に戸惑い中。
▸ 俊遠:兼雅の父。隠居しながらも、政治の先を読む男。この小説の癒し系、甘党おじさん。
▸ 白雪:左大臣家の三女。白梅の香と共に、香殿に現れる。
▸ 実房:策士の父。“香”という言葉に“娘”の未来を仕込む男。
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夜が深まり、白銀香殿の灯がひとつ、またひとつと消えていく。
月明かりが白梅の枝を照らし、屋敷全体に薄香が漂う頃――
内大臣・兼雅は、筆を止めた。
墨の香と、白檀の新しい木の匂い。
香殿の空気は、美しく、けれど“重い”。
「……どう考えても、これは“仕掛け”だよなあ……」
ぼそっと漏らした呟きに、答えたのは、
ひょっこり現れた元内大臣・俊遠だった。
「政略がここまで“風流”だと、笑うしかないな」
手には、夜更けなのにまた甘葛の和菓子。
(……太るって言ってるのに)
心の中で息子はつっこみながら、黙っていた。
「昇進祝いに、屋敷と香と、姫まで――」
「……左大臣、もはや趣味が舞台演出だな」
俊遠は笑うが、兼雅は眉間にしわを寄せたままだ。
「香を贈り、殿を建て、姫を添える――
つまりは、“家を立てよ”という命令ですよね」
「そう。白雪様を迎えた瞬間、お前は左大臣家の“家臣”になる」
「そんなに軽く言わないでくださいよ……」
政略であることがわかっていても、
それだけでは片付けられない気配が、この香殿にはあった。
そこへ、女房が静かに声をかけてくる。
「内大臣様。姫君より、“今宵、お話を賜りたく候”とのことです」
「……僕に?」
「はい。“主室にてお待ち申し上げます”と」
俊遠がくい、と顎で促した。
「殿の主が呼んでるんだ。行ってこい、若様」
白銀香殿。
銀が練り込まれた漆の床。
歩くたびに香りが変化する、不思議な空間。
香そのものが、誰かの“言葉”みたいだった。
女房が御簾の前で止まり、灯を高く掲げる。
「内大臣様、姫君にお目通りを――」
御簾がゆっくりと上がる。
そこにいたのは、月光をまとうような姫――白雪の君。
白と銀の装束。
袖口には、静かに咲く白梅の刺繍。
「お越しいただき、ありがとうございます」
「この香殿……居心地はいかがですか?」
「……過ぎるほどに、美しい空間です」
白雪はふわりと微笑む。
「父が申しました。この香殿は“あなたの筆の香”を継ぐ場所であると同時に、
私が“香を生きる場所”になるのだと。」
政略のはずの贈り物に、
こんなにも優しい意味が込められていたとは――
兼雅は、言葉を失った。
「私は、姉たちのように才に恵まれません。
でも、香って……言葉に似ていますよね」
「形がないからこそ、気持ちに寄り添ってくれる――そんな気がするんです」
そのとき、ふわりと白梅の香が流れた。
「この庭も、父が“私のために”白梅を植えてくれました。
派手ではなく、でも心に残る花。
……そんな人になりなさい、と」
兼雅は、何も言えなかった。
この姫は、自分の想いを政でも悲観でもなく、香で伝えている。
「白銀香殿――“筆と恋の香が漂う場所”とも聞いています」
白雪は、小さく笑って首を振った。
「私は、“恋”の代わりに“祈り”を置きました」
「香は、誰かの心を包むもの。
この香殿も、そういう場所でありたいと願っています」
その言葉に、兼雅は深く頭を下げた。
「姫君に恥じぬよう……この場所で、筆を持ち続けてまいります」
静かに、香が満ちていた。
白梅の枝が、風に揺れる。
まだ見ぬ春が、そこにそっと咲こうとしていた。