第7話 沈黙の限界 ― 左大臣家、追い詰められて
*-----------------------------*
(※本作は、平安時代をモチーフとした異世界転生ファンタジーです。
宮中の制度や人物設定には、創作上の表現が含まれています。
あくまで“平安風”幻想世界として、筆と祈りの物語をお楽しみください。)
*-----------------------------*
白銀香殿の夜、左大臣家の邸には、静かな緊張が満ちていた。
実房、忠晴、宵羽、そして紫鳳中宮。
沈黙の中、香炉から細く昇る香の煙が、重たい空気を分けるようにゆらめいていた。
「……帝が気づき始めています。香の“重なり”に」と、忠晴が低く口を開いた。
紫鳳中宮は御簾越しにうつむいたまま、かすかに肩を震わせる。
「私の香……悠蓮様の香と似せて調えた、それが――」
「もはや、偶然では済まされぬところに来ていますな」と実房。
重ねて忠晴が静かに続ける。
「筆跡も、帝の眼を逃れられはしません。“あの子”は、書で己を語りすぎました」
「……私はもう、心が持ちません」
紫鳳の声が掠れ、空気が揺れた。
「蒼倉の名で呼ばれ、遠縁とされて、それでもあの子は誇り高く、筆を持って歩いてきました。私の息子――悠蓮様の忘れ形見です」
誰も言葉を続けなかった。香の煙だけが、まるで過去をなぞるように静かに漂っていた。
◇
その数日後。内裏、後宮の一角。
高栄院、葵皇太后、帝・明澄の三人が、左大臣家の面々を呼び寄せていた。
御簾の奥に、紫鳳中宮。
左には実房と忠晴。後ろに宵羽の女御。
香が焚かれ、緊張が室内を満たす。
「左大臣」
高栄院の声が落ちる。
「おまえが保護していた“遠縁の宮”――香と筆から、兄・悠蓮の影が見えるのだ。あの子は……」
「陛下」
忠晴が前に進み出た。
「お察しの通り、“蒼倉の宮”は、紫鳳中宮が産んだ御子。そして――悠蓮東宮の忘れ形見です」
御簾の奥、静かだった紫鳳が震える声で言った。
「私は、ただ……あの子だけは、誰にも奪わせたくなかったのです」
帝が息を呑み、口を開いた。
「なぜ、今まで黙っていた……?」
「……内裏では、皇族の血さえ守れぬのです」
忠晴の声が張り詰める。
「第一皇子、彰様の件、そして悠蓮様。
お二人とも、皇族であったからこそ狙われたのでは
と……私たちは、そう考えています」
紫鳳が声を詰まらせた。
「私はもう誰も失いたくないのです。警備を強化しても、内裏にいれば……あの子を、また――奪われてしまうのではと……!」
香が、張り詰めた室内を切り裂くように揺れる。
「……兄上の子か」
帝は目を閉じた。
「それが、おまえの香だったのだな」
誰も言葉を継げなかった。
香の奥に、確かに、過去の記憶が宿っていた。
そして、院が静かに言った。
「真実は、香に宿る。……だが、守る覚悟がなければ、その香も消え去る」
明澄帝は、静かに紫鳳の方を見た。
「……おまえがあの子を“守ってきた”ことに、私は、感謝する」
◇
左大臣家に戻ると、忠晴がひとり、夜空を仰いだ。
「……これが、父の望んだ未来ならば」
紫鳳がそっと傍に立つ。
「いつか、帝に伝える覚悟は、ありました」
「姉上……」
「でも、怖かったの。あの子を“帝の子”とされたとき、
あの子の命が、また狙われるのではないかと」
忠晴はその言葉を受け止め、ひとこと、呟いた。
「――今度こそ、誰も殺させない」
夜の風が香を運ぶ。
それは、香と沈黙で真実を伝えた、女たちと筆の家の覚悟だった。




