第2話 青き宮、帝の御前に
蒼き筆の香り(左大臣家ver)
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(※本作は、平安時代をモチーフとした異世界転生ファンタジーです。
宮中の制度や人物設定には、創作上の表現が含まれています。
あくまで“平安風”幻想世界として、筆と祈りの物語をお楽しみください。)
◆プロローグ 1-2 登場人物
蒼倉 硯清:筆と和歌の才を持つ、まだ幼い少年。帝に寵愛される存在。
紫鳳中宮:左大臣家の次女。御簾の奥で政を読む、幻の中宮。
宵羽の女御:左大臣家の長女。東宮の母であり、紫鳳の姉。
明澄帝:静かに宮中を見つめる文化人肌の帝。
遥和東宮:宵羽の息子。蒼倉を「兄様」と呼び慕う。
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内大臣家が、冷や汗をかいていた。
白と銀、香の染み込んだ屋敷――白銀香殿。
左大臣家から贈られたその屋敷は、どう見ても“祝い”ではなかった。
香の中に仕込まれたのは、静かすぎる政。
拒めば非礼。
受ければ囲い込まれる。
若き内大臣・兼雅と、その父・俊遠は、“風流”の名を借りた圧に押されていた。
――だが、その場に、さらなる波が訪れる。
そのとき、空気が変わった。
ひとりの少年が現れる。
蒼の衣、蒼の筆、そして静かな気配。
まるで風のように歩くその姿に、空間がふっと沈黙する。
その名は、蒼倉 硯清。
左大臣家が「遠縁の宮」と語る少年。
紫鳳中宮は、「ただの書に秀でた子」と言って、そっと笑う。
けれど、誰もが知っていた。
この少年の筆は、帝の御前でも許された特別なもの。
「蒼倉の宮様、お詠みくださいませ」
女房の声に、少年は黙って頷いた。
硯の香がふわりと漂う。
そして、たった五行の和歌が書かれた。
「霞たち 帝のまなざし 空を照らし
筆の影すら 春の風かな」
帝の口元が、ほんのわずかにほころぶ。
その笑みを――
紫鳳中宮は、御簾の奥から見つめていた。
何も語らず。
何も動かず。
けれどその場の空気が、彼女の沈黙をすべて語っていた。
左大臣・実房は相変わらず無言。
“勝った”と誰よりもわかっているはずなのに、
その勝利すら言葉にしない男だった。
内大臣とその息子は、またしても沈黙の汗を流していた。
「まさか……今度は、あの宮をも……?」
ふたりの視線が交わることはない。
だが、心のなかでは同じ結論を出していた。
そして、さらに別の視線があった。
遥和東宮。
まだ幼き皇子が、その様子を黙って見ていた。
小さな手に、幼い筆を握ったまま。
「……兄様、すごいです」
その声は誰にも聞こえなかった。
春の空気に、ただ溶けていった。
遥和にとって、蒼倉は“兄”だった。
憧れであり、目標であり、
いずれ超えなければならない存在でもあった。
そしてもうひとり。
宵羽の女御が、その姿を静かに見つめていた。
彼女のまなざしは、温かく、深く――
それは“母のように”も見えたし、
“女のように”も見えた。
誰を想っていたのかは、彼女だけが知っている。
姉妹の想いは語られず、
ただ、蒼の筆の香りが後宮を静かに満たしていた。