第2話 ふたりの恋、ひとつの香 ― 華怜、恋に悩む夜
―東宮妃候補の姫が、想うは別のひと。心に咲いた、たったひとつの香。
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(※本作は、平安時代をモチーフとした異世界転生ファンタジーです。
宮中の制度や人物設定には、創作上の表現が含まれています。
あくまで“平安風”幻想世界として、筆と祈りの物語をお楽しみください。)
◆登場人物(この話に出てくる人)
燈香:内大臣家の姫。香に酔って人混みを離れ、池辺で一人休んでた時遥和東宮に偶然会う。
華怜:姉。宴の舞台を飾り、皆の注目を浴びる才女。
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春宵、白銀香殿。
夜の帳が静かに降り、香炉から立ちのぼる白檀の香が、ふたりの姫を包んでいた。
「ねえ、燈香――」
華怜は、慎重に言葉を選ぶように、小さく声を落とす。
「ちょっと、相談したいことがあるの」
「……はい、姉さま」
燈香は頷く。
姉の顔には、ふだん見せない曇りがあった。
やや緊張しながら、そっと膝を寄せる。
「……わたしね、婚約者候補のことだけど――」
華怜は視線を落とし、ぽつりと呟いた。
「実は……あの方じゃ、ないの。わたしが心惹かれているのは」
「え……」
「東宮妃に、と周囲は言うけれど……気持ちがついていかないの。
わたしが想っているのは、別の方――」
ゆっくりと顔を上げると、そこにあるのは柔らかな笑み。
「……蒼倉の宮、なの」
燈香が、思わず目を丸くする。
「蒼倉の、宮……?」
「お会いするたび、なぜだか心がふっと軽くなるの。
肩の力が抜けて、言葉を飾らずに話せて……。ね、変でしょう?」
「姉さま……」
「でも、私は“東宮妃候補”という名前で囲まれてしまった。
心を知られたら、みっともないし……笑われるかもしれないわ」
そう言った華怜の声音は、少しだけ震えていた。
「でも、燈香にだけは、伝えておきたかったの。
あなたには、嘘をつきたくないのよ」
その瞬間、燈香の中で何かが決壊した。
「……姉さま。わたしも――言っていいでしょうか?」
「え?」
「実は……わたしにも、気になる方がいるんです」
驚いたように華怜が振り向くと、燈香は少しだけ目を伏せ、袖の端を握りしめていた。
「名前も、身分も知らなかった。でも……ずっと心に残ってる。
池のほとりで出会った、ほんのひとときの方」
「……池?」
「その方は、名を名乗ってくださった。――遥和様、と」
「……っ!」
「あとで知りました。あの方が、第二皇子様だったと。東宮様だったと」
「燈香……」
「でも……もう、お会いできることはないでしょう。
私なんか、きっと東宮様の記憶にも残ってない」
そう言った燈香の頬を、ひとすじの涙がつたった。
「それでも、香だけは、消えなかった。
あのとき袖に染みついた香が、今でもわたしを包んでいるのです」
華怜は、そっと妹の手を取り、強く抱き寄せた。
「……燈香。わたしたち、似てるわね」
「姉さま……」
「想っても届かない相手を、心の奥で大切にしている。
誰にも言えないけれど、ただ、伝えたくて、苦しくて……」
ふたりの袖が重なった。
香が交じり合い、やさしく宵の空気を満たしていく。
「わたしたちの恋は、まだ始まったばかりよ。
でも、この香は――たしかに心に灯ったもの」
「はい。……たとえ、届かなくても」
「それでも、私は信じたい。香が想いを繋いでくれるって」
ふたりの声は、ほとんど囁きのようだった。
だが、その言葉には、たしかな光が宿っていた。
春の夜。
誰にも言えなかった恋が、ふたりの姫の間で、そっと咲いた。
香は沈み、そして、語らずにすべてを覚えていた。




