第1話 この胸の香は、誰に届くのだろう
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(※本作は、平安時代をモチーフとした異世界転生ファンタジーです。
宮中の制度や人物設定には、創作上の表現が含まれています。
あくまで“平安風”幻想世界として、筆と祈りの物語をお楽しみください。)
◆序章 壱 登場人物
▸ 俊遠
前内大臣。政の裏を読む老貴族。甘味を好む飄々とした人物ながら、
その目は常に宮中の静謀を見据えている。
▸ 茜あかね皇后:帝の寵愛を受ける右大臣家の長女。争わずに帝と国を支える皇后。
▸ 藤嶺とうれい:右大臣。沈黙と誇りの中に、筆で継がれる“名”を見つめる父。
▸明澄帝めいちょうてい:現、帝。葵皇后の息子で茜皇后の夫。
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春の香に包まれた後宮。
白銀香殿の欄干に、桃の花が風に揺れていた。
帝・明澄はその庭を歩きながら、唐突に口を開いた。
「……なあ、嶺。子が生まれるかもしれぬぞ、茜との子が」
その声はあまりに無邪気で、かつ、あまりに真剣だった。
「そうですか……! それは、まことに」
右大臣・藤嶺は笑いながらも、どこか頭を抱えているようだった。
(またこれで陛下は、“茜皇后しか見えていない”と都中が噂する……)
「だが嶺、今さら躊躇うものか。もう、私は隠さぬ。茜だけが私の妃だと、何度言わせるのだ」
「……はいはい、存じておりますとも」
そしてその夜、香殿にて――
茜皇后の元には、内密に女房からの報せが届いていた。
「――ご懐妊でございます」
一瞬、茜は返事を失った。
香の湯が揺れ、白梅の香がふわりと薫る。
帝の微笑み、あの手の温もり。
亡き第一皇子・彰の記憶。
(私は……また、母になるのですね)
そっと手を腹に添えた茜の顔は、決して“喜び”だけではなかった。
(この命は……また、あのときのように消えてしまうのでは――)
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一方、夜の政庁――
「右大臣殿」
内大臣・俊遠は、珍しく真顔で問う。
「皇后様がご懐妊とのこと……男児であった場合、帝位の継承は?」
右大臣・藤嶺は、ため息をついた。
「帝の愛は重い。だが、政はそれを許さぬ時がある……」
「遥和東宮を退け、皇后の第三子に帝位を譲るおつもりかと?」
「……陛下に訊いてみるさ、いずれはな」
その頃――遥和東宮は、御簾の外にひとり立ち尽くしていた。
蒼い夜気のなか、ただ香だけを頼りに、ある“面影”を追っていた。
(――あの池辺の香。白梅、薄荷、そして……鈴蘭)
(名はまだ、聞けていない……けれど)
「……また、会えるでしょうか」
遠く、香の風に乗って、どこか切ない声がした気がした。
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そして、帝の執務の間。
高栄院(先帝)が静かに言葉を落とす。
「明澄。嬉しそうだな」
「はい、父上。茜に子が……」
「だが忘れるな。――悠蓮の子もまた、残されていたのだぞ」
「……え?」
「左大臣家に、東宮の遺児がいたはず。今は“行方知れず”というが……本当に?」
帝の目に、かすかな動揺が走る。
香が揺れた。
その時、ふと通り庭で、ひとりの青年が香の稽古をしていた。
(……この香は)
帝の記憶に、悠蓮の香が蘇る。
(いや、どこか……似ている)




