第11話 春の香の追悼 ― 焦げた香と、願いの煙
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(※本作は、平安時代をモチーフとした異世界転生ファンタジーです。
宮中の制度や人物設定には、創作上の表現が含まれています。
“平安風”幻想世界として、筆と祈りの物語をお楽しみください。)
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明澄帝と茜皇后の間に生まれた第一皇子・彰。
その命は、わずか幾月で香のように儚く消えた。
しかし香は、記憶よりも深く残る。
あの夜、香炉に残された“焦げた跡”と、沈黙した女房たち――
それでも茜は叫ばなかった。ただ静かに、香を焚き続けた。
今、帝は決意する。春、皆の前で。
“名もなく逝った子ではなく、香に宿りし皇子として”――
追悼の式が始まる。
◇
春を迎えた後宮。
その日、帝が集めたのは、三位以上の公卿たち、后妃、中宮、皇太后、そして遥和東宮に至る一門の者たちだった。
それは、かつて一人の皇子が生まれ、そして失われた――
あの、香に満ちた季節でもあった。
白銀香殿には、白檀と梅の香が静かに焚かれていた。
帝は茜皇后の隣に座し、目を閉じてその香を吸い込む。
「……私は、今日、皆にお願いがあって集まっていただいた」
明澄帝の声は、香とともに空気を震わせる。
「亡くなった第一皇子に、名を贈りたい。――彰と名付ける」
室内が静まり返った。
「茜と私の子。ほんの短い命だった。だが……確かにこの世に生きた」
その瞳は茜皇后に向けられていた。
茜は目を伏せていたが、ふと静かに微笑む。
「茜。そなたにだけは――この名を呼んでほしい。
そなたに、母としての証を――この名を贈る」
帝は、彼女の手をとった。
そして、囁く。
「……彰雅と呼んでほしい。
茜、そなたにだけ、私の本当の名を。
帝としてではなく、一人の男として――そなたに抱かれたい」
そのとき――
「……帝。あなたは“一人の男”ではいられない立場です」
葵皇太后の鋭い声が御簾越しに響く。
「わかっております、母上。それでも……私は茜以外の誰も妃と思ってはおりません」
皇太后はしばし沈黙し、そしてため息をもらす。
「……あなたらしいのね。いつだって、真っすぐで愚かしいほどに」
帝はうなずき、もう一度、茜の手を強く握った。
「私は、茜と過ごした時間を、香とともに永遠に残したい。
そのために“追悼式”をしたい。
第一皇子・彰の名を、国の記憶に残したいのだ」
紫宸殿にて――
帝が公卿たちに向けて告げたその言葉は、重く、やさしく響いた。
「第一皇子の追悼式を、今年の春、執り行いたい。
名もなく逝った子ではない。
光として生まれ、名を授かり、香に包まれて逝った子だ」
一瞬の沈黙。
「……よくぞ、陛下」
最初に頭を垂れたのは、左大臣・実房。
「よくぞ、陛下が“あの子”の名を、筆にされました」
次いで右大臣・藤嶺が深く一礼する。
「ありがとうございます。娘の香を、拾ってくださった」
宵羽の女御も、そっと微笑んだ。
「陛下、どうか、茜様とお過ごしくださいませ。
残された時間が少ないとしたら、なおのこと――その愛を、我らで護ります」
その夜――
香炉に火を入れたのは、茜皇后だった。
焦げ跡の残る香炉。
それはかつて、彼女が“母”となった証であり、証明だった。
香を焚きながら、彼女は囁く。
「――私は、あの子を、忘れない」
「香に刻みます。名も、想いも、そしてあなたの愛も――すべて」




