第10話 名を呼ばせる愛 ― 彰雅さまは、あなただけに
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(※本作は、平安時代をモチーフとした異世界転生ファンタジーです。
宮中の制度や人物設定には、創作上の表現が含まれています。
“平安風”幻想世界として、筆と祈りの物語をお楽しみください。)
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春を迎えた紫宸殿。
明澄帝は、自らの命で、三位以上の公卿たちと后妃たち、遥和東宮までを一堂に集めた。
それは、かつて産声をあげ、ほどなく命を散らした第一皇子を悼むためだった。
香炉から立ち上る白梅の香が、沈香と混ざり、静かに場を包む。
帝は、茜皇后の隣に歩み寄り、ゆっくりと語り出した。
「本日は、皆にひとつの名を贈るため、この席を設けた――」
言葉を聞いた茜皇后は、そっとまぶたを伏せた。
「亡き第一皇子に、“彰”と名を授ける。
茜との子として、命は短かったが――あの子は確かに、この世に香を残してくれた」
静まり返る室内。だが、帝の声は揺るぎなかった。
「そして……この名は、茜、そなたに呼んでもらいたい」
振り返ることなく、帝はそのまま茜皇后の手を取り、言葉を続けた。
「私は――“彰雅”という名で、皇子時代を生きていた。
この名で呼んでほしい。茜、そなたにだけ。帝ではなく、一人の男として――」
茜は驚きに目を見開き、周囲の視線を意識して俯いた。
だが帝は、その細い肩を引き寄せ、耳元で静かに囁く。
「私は、帝という面を被って生きてきた。だが、貴女といる時だけは、“私”でいられる。
私には貴女しかいらぬ。他の誰も、妃と思ったことはない」
――張り詰めた空気に、葵皇太后の低い声が落ちた。
「……帝。あなたは“一人の男”ではいられぬ身分。そうでありましょう?」
それでも帝は、怯まなかった。
「わかっております。ですが、残された時が限られているからこそ――
私は茜と、最期まで共にいたいのです」
葵皇太后は目を細め、ため息を一つ。
「……まったく。あなたという人は、いつも筋は通すけれど、情が過ぎるわね」
そんな空気を破ったのは、左大臣・実房の静かな頷きだった。
「陛下。よくぞ、第一皇子に名をお与えくださいました」
「この実房、香に携わる身として、深く感謝いたします」
続けて右大臣・藤嶺が頭を下げた。
「娘の香が……こうして拾われたこと、感謝のほかございません」
宵羽の女御は、そっと目を細めて微笑んだ。
「陛下、どうか茜様と、お過ごしくださいませ。
我ら姉妹も、政と香の中で、貴女の愛を支えます」
そして――御簾の奥から、紫鳳中宮の声が静かに響く。
「……私は、かつて最愛の東宮を亡くしました。
だからこそ、陛下には後悔をさせたくないのです」
その言葉に、左大臣が力強く応える。
「紫鳳、よく言った。陛下、大丈夫ですよ。我らが支えます!」
遥和東宮が膝を正し、静かに言った。
「私も……心の準備ができました。
陛下、どうかお体を大切に。私は、もう十六歳です。大丈夫ですから」
そして、内大臣・俊遠と兼雅父子も頭を垂れる。
「我らも、皇子様と茜皇后のために、この追悼の席を支えましょう」
――その日、帝はすべてを賭けて、愛を告げた。
夜。香の満ちる寝殿。
帝は茜に寄り添い、指先でそっと彼女の髪をすくう。
「……彰雅と、呼んでほしい」
「え……」
「貴女にだけ許す、私の名。茜――愛している。狂おしいほど、愛している」
茜は、微かに震える声で名を呼んだ。
「――彰雅様……」
その声に、帝はそっと目を閉じ、茜を抱きしめた。
「たとえ帝位に縛られようとも……私は最後まで、貴女だけの男でありたい」
香が揺れる。
それは――政を超え、帝を超え、ひとりの男が貫いた、愛の名乗りだった。




