第7話 都の華、あこがれの姫と、噂の宮 ― 華怜、心を焦がす
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(※本作は、平安時代をモチーフとした異世界転生ファンタジーです。
宮中の制度や人物設定には創作上の表現が含まれています。
“平安風”幻想世界として、筆と祈りの物語をお楽しみください。)
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白銀香殿の朝は、静かで美しい。
今朝も、姉妹は並んで筆を取っていた。
華怜の筆はまっすぐで、どこまでも自信に満ちていた。
その筆先に滲んでいたのは、最近ずっと心に咲いている“ある人”の影だった。
「……蒼倉の宮様って、ほんとうに不思議な方ね」
燈香がふと、横目で姉を見る。
華怜は恥ずかしそうに笑った。
「お会いしたのは、ほんの少し。
でも……あの目の奥に、何かを隠しておられる気がして……」
都中で憧れの姫とささやかれる華怜。
その微笑みは誰に対しても平等で、美しく、やさしい。
けれど今、その微笑みは――誰かひとりに向いていた。
都では、こんな噂が流れていた。
「蒼倉の宮といえば、帝の御前で言葉を示した“筆の奇跡”」
「あの少年は、血筋ではなく“香と才”で帝に選ばれるのだ」
そんな蒼倉の宮を、華怜は偶然、宴で目にしていた。
彼の筆が、ただの書ではなかったこと。
その筆の一画ごとに、“何かを伝えよう”とする魂がこもっていたこと。
華怜は――あの瞬間から、心が動いてしまったのだった。
その日、姉妹は蒼倉の宮から筆の稽古を受けることになっていた。
香殿の一隅、屏風の向こうで、蒼倉の宮は二人の様子を見守っていた。
華怜の筆は美しかった。
けれど、それ以上に――彼女が差し出す“目線”と“言葉”に、蒼倉は一瞬だけ筆を止めた。
(……何かを、伝えようとしている)
彼は、筆に込める“感情”を重んじる。
美しいだけではなく、届く言葉を――
その意味で、燈香の筆もまた気になっていた。
彼女の筆には、まだ形にならぬ“記憶”が滲んでいるようだった。
(この姫たちの香は……静かに、分かれていくのかもしれない)
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授業が終わり、華怜は少しだけ、蒼倉の宮に近づいた。
「……わたくしの筆、いかがでしたか?」
蒼倉の宮は目を伏せたまま、静かに微笑む。
「姫の筆は、美しゅうございました。
けれど、“まだ隠しておられる言葉”があるように思いました」
華怜の胸が高鳴る。
(それを――気づいてくださったの?)
一歩、心が寄った気がした。
だが、その一方で。
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その夜、燈香はふと空を仰いだ。
袖の奥には、まだ“あの時の香”が残っていた。
池のほとり。
誰かに名前も告げず、想いも語らず。
けれど、香だけが残った邂逅。
(姉上は、蒼倉の宮様に……)
(じゃあ、わたしは――)
遠ざかる鼓動。
近づいてくる気配。
香だけが、真実を教えてくれる。
けれど、それはまだ“恋”とは呼ばれない。
それぞれの胸に、香だけが咲き始めていた。




