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筆に咲く、蒼の記憶 ―転生した姫と“かつての師”、平安後宮絵巻―  作者: 米粉
第1章 新白銀香殿、恋と筆のはじまりに
16/35

第3話 池辺の邂逅 ― 香に酔いし少女と名も知らぬ君

*---------------------*

(※本作は、平安時代をモチーフとした異世界転生ファンタジーです。宮中の制度や人物設定には創作上の表現が含まれています。“平安風”幻想世界として、筆と祈りの物語をお楽しみください。)

◆登場人物(この話に出てくる人)

燈香とうか:内大臣家の姫。香に酔って人混みを離れ、池辺で一人休む。

遥和はるか東宮:現・東宮。宴の華やかさに疲れ、偶然その場へ。

華怜かれん:姉。宴の舞台を飾り、皆の注目を浴びる才女。

※蒼倉の宮、実房などは今回は名前のみ登場。

*---------------------*


風が、ほんの少し強くなった。

白銀香殿の庭園。

その奥にある池のほとりで、燈香は身を小さく丸めていた。


白檀と沈香が混ざる会場の香に、完全に酔ってしまったのだ。


「……人が、たくさんすぎて……香も……きつい……」


昼間に咲いた紅梅の香さえ、いまは胸に重くのしかかる。

膝を抱えて目を閉じると、ただ静かな風が肌を撫でていった。


そのとき――


「……おや、先客か」


柔らかく低い声が、木陰の向こうから聞こえた。

振り返ると、年の近い少年が、梅の幹にもたれて立っていた。

衣は控えめながら、着こなしには品があり、

何よりその佇まいが、まるで風そのもののようだった。


「君も逃げてきたの?」

「……え?」

「宴の香と人混みに。僕も、あれはちょっと……胃が重たくなる」


少年はそう言って、燈香の隣に腰を下ろした。

誰かと一緒に逃げてきたわけでもなく、

ただこの場所を選んだというように、自然だった。


「……あなたも、酔ってしまったのですね」

「香にね。あれはもう、舞より強烈だったよ」


ふっと、ふたりの間に風が通る。

誰もいない、誰でもない場所。


「……さっきの姫君の舞、見てた?」

「はい。見ておりました。」

「堂々としてた。綺麗だったね」

「……ええ。」


燈香は少しだけ目を伏せた。

その横顔を、少年はちらと見て、笑った。


「でも、君のほうが“落ち着く香り”がする」

「……へ?」


「緊張しないっていうか、香りが静かで、優しい。

 ……安心する。」


その一言に、燈香は思わず頬を紅くした。

けれど――なぜか、香の中に“懐かしさ”が混じっている気がした。


(この声……この気配……)

「あなたは、どちらのお方ですか?」

 燈香は横の少年に顔を向けた。

「僕? ……公達の一人、ってことで」

どこかはぐらかすように笑った。


ふたりはしばし黙って、池の水面を見ていた。

風に揺れる水の音と、遠くの楽の音だけが聞こえていた。


「……名前を、お伺いしても?」

「……また、今度会えたら。そのときに」


その瞬間、遠くから女房の声が響いた。


「若様! お戻りくださいませ!」

「……っ」


少年の表情が変わった。

少し焦ったように立ち上がる。


「それじゃ、また。あの――静かな香の姫君」


彼は笑って、手を軽く振ると、そのまま梅の木の陰へと姿を消した。


燈香は、その背を見送りながら、ぽつりと呟いた。


「誰だったんだろう……?」


その夜。

遥和は装束を脱がせられながら、侍従に問うていた。


「……さっきの池の姫。あれは誰だ?」

「申し訳ございません。あの場には、ご息女が多すぎて……」


遥和は目を閉じた。

香だけが、ふと鼻腔に残っていた。ふたりは、名を知らず、香だけで記憶された。

その出会いは、“政略”の線の外にある――だからこそ、本物だった。


“静かで、優しい香り”。

名前も知らぬまま、胸に残る一陣の風のようだった。





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