第96話 秘密同盟の破綻
膨大な補給物資と人員を載せた船団がタグルト河を遡上してアークロイ軍に合流した。
その援軍は2万人以上に上るだろう。
ケルピー部隊からそのような報告を受けたブラムは、思わず耳を疑ったが、報告を聞く限りどうも事実らしかった。
(まさか、アークロイ軍にこれほどの輸送力を誇る将がいたとは。オフィーリアを始めとして補給よりも速さ重視の軍というイメージだったが……)
それだけではない。
船にはバーボン兵だけでなく、アノンやリマの兵士達まで乗っているという。
(アノンほか5国から援軍? 兄上はバーボン周辺国の懐柔に失敗したのか?)
アノンほか5国がアークロイ側に援軍を寄越したということは、すでに彼らはアークロイと軍事同盟を結んでおり、ナイゼル・ジーフに敵対する道を選んだということである。
それはつまり、ノアの外交が奏功したということも意味していた。
(輸送力だけじゃない。中立を保っていた国を味方に引き込む外交・調略能力もなければこの補給は成立しない。どういうことだ? アークロイ公は近隣国と戦争ばかりしてる乱暴者という評判だったのに。マギア地方に来ていきなり性格が豹変したっていうのか?)
ナイゼル陣営はまだドロシーの存在もイングリッドが海軍提督となっている事実も知らない。
(アークロイ時代は隠してたとでもいうのか? バカな。そんなことが。これほどの海軍力と外交能力、隠す必要なんてどこにある?)
いずれにせよアークロイ軍は5万にまで膨れ上がった。
ジーフ軍は依然として頼りにならない。
もはやサブレ城の命運は風前の灯火。
陥落は避けられない。
そう悟ったブラムは、今のうちに脱出することにした。
敵に包囲されて殲滅されるより、兵力を可能な限り温存して次の戦いに備えるのだ。
ブラムは降格覚悟でサブレ城から撤退することを決意した。
兵士達に命じてサブレ城の各種施設に火をつけさせた後、夜陰に紛れて撤退した。
ケルピー部隊にも陣地を放棄して、あらかじめ決めていた合流地点まで撤退するよう指示する。
イングリッドが船団を率いて、タグルト河上流にあるケルピー部隊の拠点を突き止めた頃には、すでにそこはもぬけの殻だった。
オフィーリアはサブレ城が放棄されたのを知ると、ナイゼル軍を追撃することはせず、ジーフ軍の籠るラスク城を包囲することにした。
サブレ城の修築と守りはランバートに一任する。
ランバートは瞬く間にサブレ城を元通りの状態まで修復し、備えを充実させて、守りをガチガチに固めた。
たとえブラムが取って返してきたとしても、数週間は耐え切ることができるだろう。
ラスク城のスメドリー将軍率いるジーフ軍は、事態の変化を察知するのが遅れた。
可能な限り兵力の損耗を避けて、偵察兵すら出し渋っていたためである。
そのためにブラムと違い逃げ遅れてしまう。
スメドリーが気づいた頃には、すでにラスク城包囲作戦が発動しており、アークロイ連合によって水も漏らさぬ包囲陣が完成していた。
(あっ、しまった。あのブラム。ワシを囮にして逃げおったな)
戦うべき時に戦わなかったせいで逃げ遅れるというのも皮肉な話である。
オフィーリアはラスク城攻略に向けて軍議を開いていた。
エルザによると、東面の城壁が弱点であり、ここに砲撃と銃撃を加えると城側は守り切れないとのことだった。
「おっ、それならここにゴーレムを配置できるぜ」
ガラッドは地図の上、一見砲台を置くには不向きな斜面、木々に覆われている場所を指さしてみせる。
「おおー。いいですね」
「だろ?」
「ここから砲撃できれば一気に城郭の一つを攻め落とせますよ」
「ふむ。一見、ゴーレムを置く場所などないように見えるが?」
「いや、ここ。斜面の一部だがゴーレム5門を置くのに十分な場所がある。木に覆い隠されて見えにくくなっているが、よく見ればわかるはずだ」
「ふむ。では、ガラッドにはここにゴーレムを率いて行ってもらおうか。残りは囮として別の方角に配置しよう」
「よし。任せとけ」
オフィーリアはガラッドに指示を出しながらも油断なく疑りの目を向ける。
ノアによればガラッドには非常に打算的な傾向がある。
野心はないが、金と待遇で釣ればあっさりと別陣営に鞍替えする性格の持ち主だ。
(ラスク城の将は謀略に優れたスメドリー。ガラッドの性格を知れば、裏切りを唆してくる恐れがある。接触させないよう細心の注意を払わなければな)
「安心しなよ。大将」
ガラッドがオフィーリアの視線に気づいたのか、不敵な笑みを浮かべながら言った。
「裏切ったりしねーって。結構気に入ってるんだぜ? あんたんとこの領主様。それにノルン公のことも。海で砲戦を何度もできたおかげで俺の砲撃の腕もだいぶ上がったしな」
(まさか海であそこまで大量のゴーレムを使いこなすとは思わなかったぜ)
「今んとこ俺の中じゃ、アンタの領主は100点満点さ。少なくともこうしてゴーレムの腕を磨かせてくれる限り裏切ることはねーよ」
(今は……だけどな)
「……ならいい。くれぐれもノア様のゴーレムを奪取されることのないようにな」
「おお。任せとけ」
ガラッドはさっさと配置につく。
翌日からラスク城に向けて砲撃が始まった。
ジーフ軍は予想だにしない斜面からの砲撃を受けて、城壁の一角が崩れるのを防ぎ切れなかった。
その後も銃撃によって制圧され、あっさりと城郭の一部をアークロイ側に奪取されてしまう。
陥落は時間の問題だった。
サブレ城の放棄とラスク城の窮地を受けて、いよいよナイゼル・ジーフ側も劣勢を自覚しないわけにはいかなくなった。
そして同盟が機能していないことも。
ブラムもスメドリーも自分の責任を逃れるため、劣勢を同盟国側のせいにして上層部に報告していた。
ブラムがジーフ軍の消極性と自軍優先主義のせいで戦機を逸したと報告すれば、スメドリーはブラムが決戦を仕掛けたせいで自身の指向する持久戦が不首尾に終わったと主張する。
両国による非難の応酬が始まった。
「一体どういうことだ。同盟を結んでいながら、ナイゼル軍の行動に一切協力せず城にこもってばかりいるとは。貴様らが手をこまねいているうちにアークロイ軍に城を取られた上、アノン・ネーウェルら5国が敵対国になってしまったではないか」
ベルナルドがそう抗議すると、ジーフ公も負けじとナイゼル公子の不徳を詰る。
「そもそもアークロイをこのマギア地方に引き寄せてしまったのはナイゼル公子がピアーゼを襲撃したためである。この暴挙によりアークロイにマギア進出の口実を作ってしまい、マギア地方における領主達の信用を失ってしまった。ナイゼル公子がこのような暴挙を働かなければ、ここまで戦況が不利になることはなかったはずだ」
「それを言うならお前らだってノルン城を奇襲してんじゃねーか」
ナイゼルとジーフはこの期に及んで言い争いをやめなかったし、今や打開策を考えつく者はいなかった。
ナイゼル・ジーフの同盟は誰の目にも破綻していることは明らかだった。
数日後、ラスク城は陥落した。
スメドリー以下ジーフ軍兵士3万人近くが捕虜となる。
オフィーリアはナイゼル・ジーフへの更なる侵攻を考えていたが、アノン、ネーウェル、リマ、エンデ、サリスの国々の代表者達がこれ以上ナイゼルとジーフを刺激することを嫌ったため、渋々断念する。
こうしてアークロイ公国は城9つ、友好国5つとなり一躍マギア地方でも屈指の勢力に躍り出た。
ナイゼル公国は城8つ持ち、ジーフ公国は城7つ持ちにそれぞれ勢力を落とし、海と陸の両面から圧迫を受ける。
ナイゼル・ジーフにアークロイ・ノルンを打ち負かす力がないことが伝わり始めると、マギア地方外領主の間にもベルナルドのピアーゼ侵攻に厳しい目を向ける者も出始めた。
あの襲撃事件はノルン公ではなく、ナイゼル公子に責任の所在があるのではないか、と。
こうして戦況が膠着すると、人々の視線は自然とノアの実家、ユーベル大公領およびその外交責任者ルドルフの動向に注目が集まる。