第93話 ドロシーの豹変
「講和特使? ナイゼル公国に対して講和を申し出ろと、あなたはそうおっしゃるのですかエルダーク卿?」
「いかにも。私ならナイゼル公国と講和を取り付けることができます。アークロイ公よ。どうか賢明なるご判断を」
(……こいつ。情勢分かってんのか?)
エルダーク卿
外交:D
(現状、オフィーリアがラスク城前で頑張ってるからかろうじて均衡を保ってるんだぞ。そして、マギア地方はその行為を支持してくれている。なのに、今、下手に下手に出ようものなら……)
「ちょっと。勝手なこと言わないでよ」
イングリッドが食ってかかる。
「今、アノン公国ほか4国がこっち側に靡いてんのよ。ナイゼルと講和なんてしたら、せっかくのオフィーリアの頑張りが台無しになるじゃないの!」
イングリッドが机をドンッと叩きながら言った。
「ナイゼル・バーボンとの戦争を継続する。アノンほか4国との同盟を強化して、マギア海上覇権を確固たるものにする。これはもうみんなで話して決まったことなんだから。後から来て話を拗らせないで!」
「アークロイ公よ。賢明なるご判断を」
エルダーク卿はイングリッドの抗議を意に介さず話し続ける。
(って、無視かよオイ)
エルダーク卿の傲岸不遜は今に始まったことではないので、もはや誰も突っ込まなかった。
「エルダーク卿ともあろう方が、随分慌てておられるようですね」
ノアはさっさとバーボン方面の補給に話を戻したい欲求を抑えて、あくまで穏やかに語りかけた。
「あなたはノルンでは知らぬ者のいない魔法院の重鎮。それほど功を焦る必要はないはず。もっとどっしりと構えておられればよいではありませんか」
「なるほど。私も老骨。重鎮らしくどっしりと構えているのがよいのかもしれませんな。領主様が舵取りを間違えて、国家が危機に直面していないようであればね」
「しかしだな。エルダーク卿。講和にはタイミングというものがある」
ノアはエルダーク卿の嫌味を受け流しながら言った。
「イタズラに戦火を拡大させるのは愚かなことだ。だが、平和の目処が立たないのに講和を結ぶのも愚かなことだ。戦局と政情、相手の思惑と体力、こちらの懐事情を見極めて、適切なタイミングと内容で講和を結ばなければ、かえって敵対勢力に利することになってしまう。いわんや戦局が有利に進んでいる今、下手にこちらから講和を申し出るのは悪手ではありませんか?」
「私の考えは違いますな。戦争というのは放っておけばどこまでも広がるもの。無闇に犠牲者と費用が増え、憎悪は憎悪を呼び、やがては身を滅ぼすことになる。戦いを有利に進められている今こそ講和を申し出るべきです。特に我々は今、ジーフ公国という強敵を抱えております。今のうちにナイゼルと和を結び、共同してジーフに当たるのが得策かと」
「バーボン方面の情勢はご存知で?」
「聞き及んでおります」
「ナイゼルとジーフが秘密同盟を結んでいること。アノン、ネーウェル、リマ、エンデ、サリスがそれに反発していること。アークロイ軍がサブレ城とラスク城の間で辛うじて、ナイゼル・ジーフ軍を分断していること。すべて知った上で話しておられるのですか?」
「ナイゼル・ジーフが同盟を結ぶことなどありえません。アノンほか4国は早とちりしているのでしょう。アークロイ軍の獅子奮迅の活躍も誤報です。軍人は己の戦果を誇張するもの。鵜呑みにしてはなりません」
(何周遅れの話してんだよコイツ)
グラストンも流石にゲンナリする。
ここにいるメンバーはドロシーほど耳が早くなくとも、最低でもナイゼル・ジーフが秘密同盟を結んでいることは各々の情報源から入手しており、その前提の下、行動してノアに献策を行っていた。
(冗談じゃない。こんなジイさんを特使にしようものなら、ノルンはまた以前の状態に戻っちまうぞ)
「いいじゃん。やらせてあげれば」
ドロシーがいつもより一段幼い声で言った。
そしてノアの隣にちょこんと座る。
「ドロシー? 何言って……」
「やりたいって言ってるんだからやらせてあげようよ。ね、おにーちゃん」
そう言いながら、ドロシーはノアの耳元で何かコショコショと耳打ちする。
その場にいた全員、ドロシーの突然の豹変ぶりにポカーンとする。
ノアはドロシーに耳元で囁かれてゾクゾクした。
彼女が急に妹声になったというのもあったが、エルダーク卿を嵌める方法を耳打ちし始めたからだ。
張本人がいる目の前で。
ドロシーは誰かを嵌める時は妹キャラに変化する傾向があった。
彼女がマジギレしてる時に見せる兆候でもある。
ノアはエルダーク卿を特使に任命して、ナイゼル公国に送り出した。
ただし、講和条件としてサブレ城からナイゼル軍を引かせるのを盛り込んで。
エルダーク卿は講和条件を手に持って、意気揚々とナイゼル公子の下へと向かった。
しかし、ドロシーの謀略の方が速かった。
ドロシーは各種伝手を使い、ナイゼル公子ベルナルドに以下の情報を流した。
エルダーク卿による講和交渉はただの時間稼ぎでアークロイ公にナイゼル公国と和解するつもりはないこと。
イングリッドはノアの要請に従って、アークロイ艦隊を率い、その海軍力でもってアノン、ネーウェル、リマ、エンデ、サリスへの影響力を高めて、勢力下に収めようとしていること。
バーボン方面のアークロイ軍は補給に不安を抱えており、補給が整うまで時間を稼ぐ必要があること。
イングリッドはすでにノアと褥を共にしており、海上で任務に就いている時以外は、毎晩のように枕を抱えてノアの寝室の扉をノックしていること(これについてはベルナルドは決して信じなかったが)。
これら虚実入り混じる情報をエルダーク卿がナイゼル公国に辿り着く前に、ナイゼル公子に届くようリークする。
ナイゼル公子はエルダーク卿の持ってきた講和条件に激怒して、突き返す。
エルダーク卿は首を傾げながら、ノルンに帰国した。
そしてエルダーク卿を待っていたのは、魔法院による容赦のない弾劾だった。
エルダーク卿が出国した隙に、グラストンはエルダーク卿を弾劾する方向で魔法院の意見をまとめていた。
また、アノン、ネーウェル、リマ、エンデ、サリスの5国から多数の使者がノルンに訪れて、アークロイ公と同盟を結びたい旨、届いており、ノルン魔法院の魔導騎士にも各国魔導騎士達から「アークロイ公に繋いでくれ」という要望が殺到していた。
アークロイ公に取り入れば権勢にありつけるのは火を見るよりも明らかだった。
そして、エルダーク卿に肩入れすれば危険なことも。
ノルン魔法院のメンバーは先を争うようにして、自身の権勢を高めるべくアークロイ派に鞍替えし、反エルダーク陣営に加わった。
エルダーク卿が魔法院の演台で「ナイゼル公子はこの講和条件に不満を持っておられる。かくなる上は更なる譲歩を申し出て……」と言ったのが合図になった。
ノルン魔法院は盛大なブーイングに包まれた。
上級騎士達からは、エルダーク卿がナイゼル公国との講和に失敗し、ノルン魔法院の権威に泥を塗ったこと、勢威を上げつつあるノルンに不利な条件で講和を結ぼうとしたこと、に対して非難する声が相次ぎ、エルダーク卿には内通者にして裏切り者のレッテルが貼られることになる。
さらに長年のナイゼルとの癒着も告発される。
エルダーク卿は弁明しようとしたが、彼が演壇に立って何か喋ろうとするたびにブーイングが沸き起こった。
「裏切り者を引き摺り下ろせー」
ノルン魔法院にはそのような叫びが木霊した。
魔法院では、エルダーク卿を除名する決議が採択された。
ここにきてエルダーク卿は反乱を決意した。
自身の地盤が強いノルンの辺境で反旗を翻す。
「アークロイ公の圧政に立ち向かう者達よ。我が下に集え!」
ところが、反乱には誰も加わらなかった。
仕方なくエルダーク卿は自身の手勢数百人と一緒に山に立て籠もる。
衰えたとはいえ、流石に魔法大国ノルンの上級騎士。
ありとあらゆる魔法を使って、反抗を続ける。
しかし、配下の裏切りにあって捕縛される。
「おのれ。アークロイ。はかったな」
エルダーク卿はノルン魔法院に連れ戻された。
裁判にかけられ投獄される。
こうして長年ノルン魔法院において勢威を誇ったエルダーク家は魔法院においての権勢を大きく落とし、急速に衰退してしまうのであった。