第89話 スメドリーの奇襲
オフィーリアは岐路に立っていた。
このまま真っ直ぐ進めばナイゼルの拠点サブレ城。
一方で脇道に逸れればジーフ軍の拠点ラスク城がある。
ブラムの狙いは明白だった。
サブレ城に逃げ込み、態勢を建て直す。
そして増援を呼び反撃に転じるつもりだろう。
オフィーリアはナイゼル軍の殿を追いかけながら、そう読んだ。
(ならば、敵が城に逃げ込む前に勝負を決める。そう考えるのが普通だが……)
オフィーリアはチラリとジーフ軍の拠点ラスク城の方に目をやる。
(ジーフ軍はまだ動かない。何か企んでいるな)
だが、何を企んでいるかまでは分からない。
オフィーリアはそこまで謀略が得意ではなかった。
(ドロシーによるとジーフは謀略と奇襲が得意な将が多い。このまま闇雲にナイゼルを追いかけるのはマズイか)
オフィーリアは迷ったがここは慎重にいくことにした。
(今回の目的はナイゼルとジーフの同盟を瓦解させること)
オフィーリアは追撃のスピードを緩めた。
代わりにサブレ城を望める小高い丘に陣地を構築して、前線基地にした。
この丘からならノルン製のゴーレムならサブレ城を直接砲撃できそうだった。
雨が止み次第ゴーレムで砲撃する。
(!? プレッシャーが弱まった?)
ブラムは肌感でオフィーリアが追撃の手を緩めたのを感じた。
(何かの罠か? いや、そんな必要はないだろう)
ブラムはオフィーリアの立場に立って考えてみた。
すると、ジーフ軍の存在が思い当たる。
山と森に遮られてここからでは見えないが、現在、オフィーリアのいる位置からはラスク城が目に入っているはずである。
(ラスク城にいるのはスメドリー。ようやく動く気になったか)
おそらくスメドリーがオフィーリアに対し何らかの謀略を仕掛けて対応せざるを得なくなったのだ。
(ならばせめてオフィーリアを足止めして、困らせてやるか)
ブラムは殿の5千名にオフィーリアが前線基地を築こうとしている丘の前に陣地を築くよう指示した。
自身は本隊を率いてサブレ城へと急行する。
(む。ナイゼル側が反転したか?)
オフィーリアはオフィーリアでブラムの微妙な動きに気づく。
オフィーリアが前線基地を置こうとしている場所のすぐ側に陣地を築こうとしている。
(ブラムめ。奴なりにジーフが動こうとしているのに気付いているな。呼応する気か。つくづく勘のいい奴だな)
オフィーリアはまた思案せざるをえなかった。
(ここでブラムと正面衝突するのはマズい……気がする)
ジーフ軍が何か企んでいるこの状況で下手に消耗するのはマズい。
できれば雨が止んでから。
騎兵と銃、大砲が機能するようになってから仕掛けたかった。
(かと言って、ナイゼル軍をこの平原に留めておくのはもっとマズい)
ナイゼルにジーフと合流する隙を与えるのは得策ではない。
最低でもこの丘だけは守りたい。
オフィーリアは丘を奪取されないよう前線に兵力を集めざるをえなかった。
タグルト河付近の陣地にはランバートを守備に置いて、ゴーレムと魔石、食糧などの補給を任せる。
補給線は限界まで伸びきってしまい、補給部隊の負担は重くなる。
「アークロイ軍に動きです。サブレ城を望める丘に陣地を構築しました」
斥候がそう報告すると初めてスメドリーの顔付きが少し厳しくなった。
(あの丘か。ノルン製のゴーレムなら……、あるいはサブレ城を砲撃できるか)
緊張は部下達にも伝わる。
「将軍。どうされましたか?」
「何か不安でも?」
だが、すぐにスメドリーは余裕のある笑みを浮かべてみせる。
「なぁーに。あの丘にノルン製のゴーレムを配備されれば、ちと厄介かと思っての」
「あの丘にゴーレムを?」
「まさかサブレ城を直接砲撃するつもりか?」
「マズいのでは? もし、アークロイ軍がナイゼル軍に圧勝でもしたら……」
「漁夫の利を取るという我らの目論見は破綻してしまいます」
「と、思うだろ? だが、この作戦には致命的な欠点がある」
「欠点?」
「補給線の問題よ」
スメドリーは地図を広げてみせる。
すると、オフィーリアの占拠している丘とタグルト河陣地の間が間延びしているのがよくわかる。
「これを見ろ。ここがアークロイ軍の前線基地。そしてここが補給拠点。間延びしてるのが分かるだろ?」
「ああ。確かに」
「そして、分かりにくいが、その途中補給線上にはこのラスク城から通じる道がある。おまけにこの雨。補給部隊は行軍に苦労を強いられることが予想される」
(何しろ。ゴーレムと魔石が濡れれば整備に手間がかかるからな)
さらに言えば、補給線の途上には一隊を伏せることができる森があった。
スメドリーは兵5000を自ら率いて、森に伏せ、雨が止むのを待つ。
案の定、雨が止んだのを見越して、アークロイ軍の一部隊が荷駄を率いながらぬかるんだ道をやってくる。
(ここで補給物資を奪えば、オフィーリアは補給を受けられないまま前線を維持しなければならなくなって困窮するという寸法よ)
補給を受けられないとなれば、戦うか撤退するかを選ばなければならない。
撤退すれば、そもそもの目的であるナイゼルとジーフの分断を阻止できなくなる。
必然、オフィーリアはブラムと決戦せざるを得ないというわけである。
結局はナイゼル、アークロイは両軍とも消耗し、ジーフが漁夫の利を得る。
ナイゼルは消耗した状態でジーフ軍に合流するというスメドリーのプラン通りになるというわけである。
スメドリーが5千の兵と共に息を潜めて、森の影で待ち構えていると、やがて荷駄や馬車を率いてくる補給部隊と思われる一隊がやってきた。
(やはりこの道を通ってきたか)
斥候に兵数を数えさせたところ、およそ2千人の兵が規律正しく行軍しているとのことだ。
5千の兵で不意を打って襲いかかれば難なく補給物資を奪うことができるだろう。
(よし。いけ)
スメドリーは音もなく合図した。
その伝令は小隊長達に滞りなく伝わり、ジーフ軍は足音も立てずに動き出した。
先頭を行く兵が森の影から敵の荷車を捕捉すると合図して突撃する。
すぐに鬨の声と共に荷物のひっくり返る音、アークロイ兵の悲鳴、逃げ惑う声がスメドリーの待機する場所まで聞こえてきた。
(これでいっちょ上がりだな)
スメドリーは椅子から腰を上げて戦場に赴く。
戦場ではジーフ兵がアークロイ兵を押していた。
すでに馬車の一部を奪い、荷物を漁っている兵士もいる。
ジーフ兵が次々と新手を繰り出すのに対し、アークロイ兵は明らかに混乱しており、訳もわからないまま襲われては場当たり的に戦って、逃げ出していくという有様だった。
2千人いたと思われる兵士達はみるみるうちに減っていき、ジーフ兵達は荷物の一番集積している場所へと踏み込んでいく。
(よしよし。ちゃんと命令通り奇襲しているな)
ところが、アークロイ兵が千名を下回ったところから急に抵抗力が強くなり、ジーフ兵は前に進めなくなる。
(あ、あれ?)
アークロイ兵達は互いに脇を固め足並みを揃えて、ジーフ兵からの攻撃から身を守り、逆に反撃してジーフ兵を撃退していった。
(お、おいおい。どうなっとるんだ。数ではこちらの方が圧倒してるはずだろ。何を手こずっている)
補給部隊を率いていたのはランバートだった。
彼は敵の伏兵を警戒しており、あらかじめ囮の荷車を先行させると共に、本当に大事な荷物は精鋭千名で固めて、敵の奇襲に備えていた。
統率Cのランバートは、指揮する兵士が彼の最も得意な千人弱となって、この危機を前に驚異的な粘りを発揮し始める。