第86話 緻密な防御
「下がれっ。とにかく下がるんだぁ」
総司令官ソアレスはそう言うしかなかった。
ジーフ軍は動揺していた。
死角からの砲撃により、虎の子のゴーレムと魔法兵がいきなり半数以上無力化されてしまった。
「これ以上、ゴーレムを失うわけにはいかん。とにかく下がるんだぁ」
しかし、ジーフ軍の陣形変更はなかなか捗らなかった。
下手に陣地を重厚にしたために突然の変更は容易ではなかった。
特に主攻を担っていた左翼は突然の砲撃と命令変更に慌しさを隠し切れなかった。
そんな中、逆にノルンの防御陣地に向かって突撃する部隊があった。
ジーフ軍右翼を担当する副官シャーフの一隊である。
「シャーフ!? いったい何を……」
(左翼に砲撃が集中している。つまり、今、右翼側は手薄ということだ!)
シャーフは歩兵部隊を自ら率いて突撃し、砲兵部隊にも後ろからついて来るよう命じた。
土塁を守る敵兵を一掃し、砲兵を土塁の向こう側まで到達させて、一挙に城壁を崩す作戦だった。
「わー。当たりましたよ。ノア様」
城壁の上から戦場を見ていたエルザは、砲弾の直撃したジーフ軍左翼を見て手を叩きながら言った。
「あんなに正確に当てられるなんて凄いですー」
「ああ。ターニャの狙いバッチリだ。これでいいんだよな?」
「ええ。想定以上の成果です。敵砲兵部隊に大打撃を与えることができました」
ターニャは軍師らしく目を細めて戦場を見回しながら言った。
「ここまでで第一の戦略目標。ノルン製ゴーレムの威力を敵に知らしめることには成功しました。あとは敵が持久戦に切り替えてくれれば……」
ターニャ
緻密:A
(ターニャのモチベーションスキルは緻密。緻密な仕事を求められれば求められるほどそのモチベーションが高くなる。緻密な防御陣地を構築するのにぴったりな才能だな)
「!? 待て。敵右翼に動きがあるぞ」
ノアに言われてターニャはハッとした。
「土塁を強襲して奪うつもりだ。砲撃用意」
「は、はい」
ターニャは慌てて敵の動きを見極めようとする。
土塁の側から銃撃が始まった。
ゴーレムの止まった位置を測定し、城内の砲撃部隊に位置を伝え、ゴーレムの位置と射角を調整するよう指示する。
シャーフは突撃しながら土塁の方から銃口が向けられるのを視認する。
(来たっ)
「伏せろ!」
銃弾が放たれると共に、歩兵部隊は一斉に地面に伏せた。
シャーフの頭上を弾丸が飛んでいき、兜の上部を掠める。
そのままシャーフは匍匐前進する。
敵の銃弾が尽きれば一気に距離を詰める算段だった。
しかし、そこはノルン側もさるもの。
銃弾を温存し、炎の魔石を投擲して前進を阻む。
炎の魔石は地面に落ちて砕けると蛇のように這い回ってジーフ兵に襲いかかる。
蛇炎という魔法だった。
(チィ。なかなか進めねーぜ)
かと言って急いで進んでゴーレム部隊がやられては意味がない。
ゴーレム部隊には銃の射程外ギリギリで止まるよう命じている。
こうして敵の銃弾と炎の魔石が尽きるのを待ちながらジリジリと間合いを詰めていくしかない。
が、そこでまたヒュルルルルという風切り音が聞こえてきたかと思うと、シャーフの後方離れたところに着弾する。
「なっ」
思わずシャーフは後ろを振り返った。
ゴーレム部隊が煙に包まれながら悲鳴を上げている。
(ウソだろ。ゴーレムを狙って寸分違わず砲撃を命中させたっていうのかよ)
さらに砲撃音が轟く。
「くっ。ゴーレム部隊下がれっ」
シャーフは慌ててゴーレムを下げざるをえなかった。
砲撃が続く中、ゴーレム部隊は急いで下がっていく。
ゴーレムが下がったと見るや、ノルンの魔法兵が塹壕から出てきて魔石を投擲しようとする。
銃兵と連携しながら前進して、歩兵を削るのが目的に違いなかった。
これでは何のために全軍で突撃したのか分からない。
シャーフは全軍撤退するよう命じた。
ノルン兵は深追いせず塹壕に戻っていく。
ソアレスとシャーフは驚きを隠せなかった。
(これがアークロイ公の戦い方……なのか?)
僻地での武勇を聞く限り、速さと火力に任せて勢いで攻めていく攻撃型のイメージだった。
(まさかこんな緻密なデフェンスをするようなタイプだったとは)
(オフィーリアがいなければ、また別の顔が出てくるというわけかよ)
ノアは城壁の上から戦いの様子を見下ろしながら、ジーフ軍の不可解な動きを興味深く見ていた。
「左翼と中央が下がっていたのに、右翼だけ突撃してきたな。命令違反か? それとも最初から示し合わせていたのか?」
「おそらく副官のシャーフが率いている部隊ではないかと思います」
ターニャが見解を述べる。
「猛将シャーフ。ノルン方面軍の将軍、ソアレスは重厚な布陣を敷く手堅いタイプですが、シャーフにだけは自由を与えて自律的に動くよう指示を出すことが多いそうです」
「ほう。なかなか柔軟な運用方法だな」
「シャーフは左翼に砲撃が集中したのを見て、右翼が手薄だと思い、独断で突撃をかけたのではないでしょうか」
「なるほど」
(重厚な布陣を敷ける将軍ソアレス。機動的に動ける猛将シャーフか)
「ジーフ軍の人材もなかなか粒揃いじゃないか」
「もう、戦闘中ですよノア様」
エルザは狙撃の構えを解きながら呆れたように言った。
あと少しシャーフが近づいてくれば撃ち抜くつもりだったのだ。
「はは。すまん、すまん。ついな」
ノアはそう言ったものの、エルザから見ればジーフ軍の将軍2人をどういう風に自軍に嵌め込めるか考えているようにしか見えなかった。
「ターニャ。君もよくやったな。狙いバッチリだったぞ」
「は、はい」
ターニャはいつもより伸び伸びと喋れている自分に気づいた。
アークロイ公の前では、自由に発言できるのかもしれない。
そんなことを思いながらアークロイ公の横顔を見て頬を赤らめるのであった。