第79話 ナイゼルの隠し球
ナイゼル・ジーフの同盟を嗅ぎつけたドロシーは、休む間もなく再びノルンへと飛び立った。
ちょうどその時、ノアは港でイングリッドの率いる艦隊を見送ろうとしているところだった。
「ノア、大変じゃ」
「どうしたんだ。ドロシー。何か異変か?」
「ナイゼルとジーフが同盟を結ぼうとしているやもしれん」
「何!?」
「このままではせっかく靡いてくれた周辺国がまたナイゼル側につくやも。オフィーリアも出撃してしまった。戦線も拡大するやもしれんし。あああ。もう、どうすればいいんじゃー」
「落ち着けドロシー」
「んぶぶ」
頭を抱えるドロシーに、ノアはそのぷにぷにのほっぺを両手で押さえて喋れないようにした。
(なるほどな。あの魔法院の決定を蔑ろにするような声明は、ジーフとの同盟を念頭に置いたものだったのか。ドロシーの情報網を掻い潜って同盟を結ぶとは。やってくれるぜ)
「オフィーリアはなんて?」
「んぶぶ。ナイゼルとジーフの同盟が完成する前に粉砕すると……」
「ふむ。なるほど」
(オフィーリアのやることだ。何の勝算もないということはないだろう)
「まあ、出撃してしまったもんはしょうがない。なるべく戦線を広げないように、あとナイゼル・ジーフの同盟を機能不全に追い込むように、とだけ言っといて。あとは基本彼女に任せる」
「同盟を機能不全……」
(はっ。そうか。両大国とも軍制や作戦目標には隔たりがある。足並みが揃うとは限らない。上手く軍事的圧力をかければ、時間とともに綻びが出てくるかも。バーボン周辺国がナイゼル側に付くのさえ思いとどまらせておけば、まだ味方に引き込むチャンスはあるかも)
ナイゼルとジーフの戦略観には明らかな隔たりがあった。
ナイゼル軍は通商破壊と資金工作によってその国の政治体制を弱らせてから大軍で包囲し、恫喝する戦略を取っている。
一方、ジーフ軍は防御陣地を構築して敵を引き付けてから奇襲で領土を奪うのが基本戦略になっている。
根本的に戦略観の異なる両国の足並みを短期間で揃えるのは容易なことではない。
おそらくジーフ軍は砦に引き籠もって敵を引き付けることを主張し、ナイゼル軍はバーボン城包囲を主張して、揉めることになるだろう。
そう考えれば、とりあえずナイゼルを叩いて機先を制するオフィーリアの考えもあながち間違ってはいない。
ナイゼルが包囲しようと軍勢を展開しているにもかかわらず、ジーフが出撃を渋って足並みが揃わない情景が目に浮かぶ。
「くっくっく。さすがは闇の公子よの。ナイゼルとジーフが盟約を果たすその前に、その絆を恐怖と疑念で蝕み、闇で飲み込んでしまおうとは……。まさに混沌を操る漆黒の策謀よ!」
(おっ。調子戻ったな)
「じゃあ任せたぞ」
「ククク。よかろう。お主の影として舞い、ナイゼル・ジーフの儚い野望を灰燼に帰してくれようぞ」
「ノア!」
船の甲板で作業していたイングリッドが、ノアのいる場所まで飛び降りてくる。
「どういうこと? ナイゼルとジーフが同盟ってほんとなの?」
「まだ不確定情報だがおそらくな。ただ、イングリッド、君の役目に変わりはない。艦隊でもってナイゼルから制海権を奪いつつ、バーボン、アノン、ネーウェル、リマ、エンデ、サリスに魔石を供給して同盟国に引き込む」
「ジーフとナイゼルが組むとなれば、陸軍の負担が増えるわよ。大丈夫なの?」
「それもこれも海を制することができるかどうかにかかってる」
「……」
「ナイゼル・ジーフの鼻を明かすチャンスだぜ。ノルンの力を見せてやれ」
そう言うと、イングリッドは頬を上気させて頷いた。
「うん。わかった」
(ノアはノルンの魔法技術を守ろうとしてくれている。それなら……、私もノアのために海で戦うよ)
こうしてノアの家臣達はそれぞれ新たな方針の下、動き始めた。
イングリッドは艦隊を率いて、バーボン、アノン、ネーウェル、リマ、エンデ、サリスに魔石の供給および交易。
ドロシーはバーボン周辺5国に文書を送った。
ナイゼルとジーフの同盟を阻むために連携しよう、ひいてはマギア地方の安定と平和のため3国鼎立と勢力均衡をより磐石なものにしようではないか。
ナイゼル・ジーフの同盟がすでに締結されていることは伏せておく。
すぐに5国からは前向きな返信が届いた。
ノアはノルンに留まり防御を固めることに専念した。
ベルナルドの本営に爽やかな風貌の若者が訪れていた。
ジーフとの秘密同盟により負担が軽くなったことで、バーボン方面に回すことができるようになった軍の将だった。
その将の名はブラム。
ベルナルドの弟、ナイゼル第二公子であり、ナイゼル軍の一翼を担っている男である。
「おお。よく来たな。弟よ」
「ご無沙汰しております兄上」
久しぶりに会った兄弟は抱擁を交わした。
ナイゼル公国において、ナイゼル公は実質隠居状態であり、実権のほとんどをベルナルドとブラムに任せている状態だった。
と言ってもほとんどの役職をベルナルドが独占しており、ブラムはクロッサル地方の城1つ持ちに甘んじていた。
ベルナルドは同じ公位継承のライバルとして、度々弟に猜疑心を向けて何かと自由を縛っていたが、ブラムはそんな兄の冷ややかな態度にもめげず自身の役割をきっちりこなしていた。
粘着質な兄とも上手く折り合って付き合うことのできる出来た弟なのである。
しかも優秀であった。
激戦区であるクロッサル地方の城を任されながらも、メキメキと将としての実力を付け、その才だけ見ればナイゼル1の武将ではないかと専らの評判だった。
そのさっぱりした性格から兵卒からの人気もかなり高い。
そういった事情からベルナルドは弟が手柄を立て過ぎないよう細心の注意を払っていたし、ブラムは兄の体面を傷つけないよう野心を見せないよう振る舞いに気を付けていた。
が、今回ノアによってイングリッドとノルン公国を横取りされたこともあり、そんなことも言っていられなくなった。
何せアークロイ公討伐に動いた将軍が尽く使い物にならず、陸でも海でも負けっぱなしだった。
そこで、ベルナルドとしては苦渋の決断ではあったが、同じ公位継承のライバルであるこの弟を切り札として呼び寄せたのである。
「此度の任務に指名して下さったこと誠に嬉しく思います。兄上」
「ブラム、もはや私が頼れるのはお前しかいない。ナイゼル・ジーフ連合軍の大将としてアークロイ軍を破ってくれ」
「お任せください。必ずや兄上に恥をかかせた逆賊共の首級を兄上の目の前に晒してみせます」
「おお。そう言ってくれるか。それでこそ私の弟だ」
「その上でお願いがございます兄上。兼ねてから私が具申していた施策、100人単位の小隊編成、そして水馬─ケルピーの実戦投入をご許可をください」
(ケルピー。あの得体の知れない魔獣か)
ケルピーの導入は再三ブラムの要求してきたことではあったが、兵制に関して旧弊に拘るベルナルドは頑として退けてきた。
だが、負けが込んでいるこの状況ではなかなか断りづらいのも確かだ。
「ふー、いいだろう。好きにするがいい」
「では、次に……」
「まだ、何かあるのか?」
「私にバーボン方面軍の全指揮権をください」
「……国の半分の兵を任せよと言うのか? 同じ公位継承者候補であるお前に?」
「兄上、敵将を侮ってはなりません。アークロイ軍総司令官のオフィーリアと申す者。聞くところによると兵を指揮すれば万軍の将、個人で戦えば悪鬼も退治する化物じみた戦士と聞いております。ここで叩いておかなければ、後々禍根を残すこととなりますよ」
「……わかった。お前にバーボン方面の全指揮権を与えよう」
「ありがとうございます。敵将オフィーリアの首、必ずや兄上の眼前に掲げてみせましょう」