第77話 魔石の権威
バーボン周辺の国々との外交を一通り済ませたドロシーは、黒竜に乗ってノルンに飛び立った。
ルーシーもバーボンでの商取引が一段落したので、黒竜に随行する。
ノルンの教会に降り立った魔女とドラゴンテイマーは、すぐにジアーナに出迎えられた。
「お待ちしておりました。ルーシー様、ドロシー様」
「おお、ジアーナさん」
「アークロイ公は?」
「アークロイ公はノルン公邸にて会議中です。ささ、こちらに船をご用意しております」
ドロシーとルーシーが黒竜と一緒に運河の船に乗り込むと、領民達が歓声をあげた。
「おお、あれがアークロイ公の家臣の魔女様と竜使い様か」
「本当に竜を操っている」
「どちらも愛らしい方々だな」
「ノルンへようこそ。アークロイの魔女よ」
「ドラゴンテイマー様ー。こっち向いてー」
ルーシーは思わぬ歓迎ムードにもじもじした。
「マギア地方の方々は魔女にも好意的なんですね」
「ええ。少なくともノルンにおいては魔法使いに抵抗を感じる者はおりませんわ」
「なんだかこそばゆいです」
「ルーシー様の故郷のユーベル大公領は、まだまだ魔女への偏見がお強いのでしたっけ?」
「ええ。大っぴらに人前で飛行したり、魔女を名乗ったりするのはとてもじゃありませんができません。私が魔女としてのスキルを培うことができたのは、ひとえにノア様のご厚意の賜物です」
「ここノルンではご自由にお飛びになって構いませんよ。特にアークロイ公の家来の方ともなれば……まあ、一部には敵対視されている方もおられますが、基本的に皆、新しい領主様に期待しておりますわ」
「やはりナイゼル派とジーフ派には相当魔法院で抵抗されておるのかの」
「……流石ですわね。いかにもその通り。ノア様は魔法院でナイゼル派とジーフ派を抑えるのに腐心されております。ただ、これも流石といいますか。アークロイ公は巧みな手腕で魔法院の政局もコントロールされておりますわ」
「ふむ。マギア地方の特殊な政体にも適応できたか。事前にある程度伝えていたとはいえ、流石はノア様じゃな。アークロイ軍の受け入れや、アークロイ製魔石銃の受け入れも滞りなくできそうじゃの」
「ええ。それにつきましても後ほど」
ジアーナ、ルーシー、ドロシーを乗せた船はノルン公邸へと向かった。
「一般兵にゴーレムを運用させる?」
ノアの提案にエルダーク卿は眉をひそめた。
他にも魔法院の重鎮達は腕を組んだり、目を落としたりして、賛同しかねるといった様子だった。
ここはノルン公邸。
ゴーレムの一般兵による運用についての研究会を開いているところだった。
エルダーク卿を始めとしたナイゼル派・ジーフ派の重鎮も顔を揃えている。
ノアとしては必要な人間だけに周知・検討させて、さっさと法案を通し、実用化に漕ぎ着けたかったが、グラストンが「流石にエルダーク卿らを完全に無視するのはまずい」と言うので同席させている。
「正気の沙汰とは思えん。ゴーレムは魔力がなければ駆動しないアーティファクト。一般兵に扱えるわけがない」
「何も一から十まで一般兵に運用させるわけじゃない」
ノアは訂正を入れる。
「運搬や発射角度の調整だけでも一般兵にやらせてみてはどうかということだ。そうすれば、魔石の節約になるだろ?」
現状、ゴーレムの起動から移動まで魔石を使って行っている。
これでは大量の魔石と魔力を無駄に消耗してしまうため、戦術の幅にも制限が付いてしまう。
「実際に海での戦いではこれが通用したんだ。陸でも試してみる価値はあるだろ?」
「くだらん」
エルダーク卿はあくまでも反論した。
「一般兵には魔法戦闘のなんたるかがわからんのだ。ゴーレムの価値も分からず、運んでいるうちに棄損してしまうのがオチだ」
「そうかなぁ。普通に一般兵でも理解できると思うけど」
「黙れ!」
エルダーク卿はドンっと机を叩きながら言った。
部屋はシーンと静まり返る。
ノアは一瞬、意味が理解できずポカンとしてしまう。
(えっ? 黙れ『ドンッ』って……。今、領主に向かって言ったのか?)
「エルダーク卿。今の態度はいくらなんでもアークロイ公に対して失礼です。撤回を」
見かねたグラストンが嗜めるも、エルダーク卿はプイッとそっぽを向く。
(このジジイ。舐めすぎだろ)
その時、駆け込んでくる伝令が1人。
「皆様、大変です。ナイゼル公国が我がノルン公国に対して宣戦布告をしてきました」
「!?」
「急ぎ魔法院を招集せよとのことです」
ノア達は魔法院へと向かった。
途中、廊下でばったり会ったドロシー達も一緒に魔法院へと連れていく。
ノアはドロシーからバーボン周辺の情勢について報告を受けながら魔法院へと向かった。
「それじゃあ、バーボン周辺の国々はアークロイ公国の進出を承認するってことだな?」
「基本的にはな。ただし、条件がある」
「条件?」
「うむ。各国にノルンの魔石を供給することじゃ」
「?」
「ナイゼルのように通商破壊したり、各国魔法院に債務を押し付けないで欲しいというわけじゃ」
「ああ。なるほど。俺がナイゼルと同じことするんじゃないかと疑ってんのね。それなら早めにバーボン周辺の領主達を安心させてやんないとな」
「うむ。そうしてくれるとこちらも仕事がやりやすくなって助かる」
「それにしてもナイゼルはなんでそんなにもノルンの通商破壊に拘るんだ?」
「魔石がマギア地方で特殊な権威を持つからじゃ」
「特殊な権威?」
「魔法院は下部組織に魔法学院を抱えておる。優秀な魔導師を育てるためには、良質な加工された魔石が必要じゃ。故に各国魔法院はその威信をかけて強力な魔石の調達に励んでおる。その中でもノルンの魔石加工技術は飛び抜けて優秀で、各国魔法院はこぞってノルン製の魔石を輸入しておる」
「へえ。じゃあノルンにはマギア地方の権威というか盟主になるポテンシャルがあるってことか」
「が、これに目をつけたのがナイゼルとジーフじゃ」
「ほう」
「ナイゼルはノルンが海上輸送を行っているのに目を付けてまず、海賊と手を結び通商破壊を行う。次にノルンがジーフ公国を介して中継貿易を始めるや魔法院を懐柔せんと様々策謀を巡らせた。チャンスはすぐにやってきた。ジーフとノルンが領土紛争を始めたのじゃ。ノルンは多額の戦費を負担した上、領土争いにも敗退してナイゼルの資金に頼らざるを得なくなった。この時、主導的な役割を果たしたのがエルダーク卿じゃ。エルダーク卿はベルナルドとイングリッドを引き合わせた上、ナイゼルに海賊の取り締まりと海上輸送を代行するよう約束を取り付けた」
「ふむ。あのおっさんも一応仕事したんだな」
「ところがじゃ。ナイゼル側は海上輸送するフリをしてノルン製の魔石を転売した(おそらく)」
「ええ……」
「ノルンでは魔石を加工して出荷したにもかかわらず、各国に届かない、代金を受け取れないという事態が相次いだ。また、ちょうどノルン魔法院がナイゼル派とジーフ派で揉めていたこともあって、有効な対策が打てず、ノルンの魔法院は赤字と借金が膨れ上がった。一方で、ベルナルドの懐には多額の資金が流入した。ちなみにエルダーク卿はその中からキックバックを受け取ったと言われておる。さらにその中の一部がイングリッドに流れており、当時はイングリッドの魔法院を弱体化させるための施策ではないかという噂もあった。が、どうやらこれは根も葉もない噂のようじゃな」
「ああ。そんな話もあったな。イングリッドとナイゼルが裏で繋がってるんじゃないかとか噂されてたんだっけ」
「そういうわけで、各国魔法院はナイゼル公国に対して内心冷ややかな目を向けておる。ノルン製魔石を購入するために仕方なくナイゼル公国と外交を結んでいるが、本当は権威ある魔石の転売で価格を釣り上げ、私財を蓄えたナイゼル公子のことを憎んでおる。債務の罠を仕掛けて魔法院の権威を貶めたことも苦々しく思っておる。が、情勢は変わった。お主がバーボン城を落とし、ノルンまで支配下に置いた。しかも魔法院の権威を尊重してくれる領主ときた。マギア地方の各国がお主の動向に注目しておる。お主が魔石を商売道具として見ておるだけなのか。あるいは権威を復活させてくれるのか。はたまた兵器としてしか見ていないのか」
ノア達を乗せた馬車は魔法院へと辿り着く。
「このようなことがあってもいいのでしょうか」
魔法院の演台に立ったナイゼル公国の使者は、朗々とした声で宣戦布告の内容を読み上げた。
「神聖なる統治権を余所者に売り渡すなどと。およそ領地と名のつくものはすべて我らが先祖が戦によって獲得し、神から賜ったもの。それをこのように売り渡すことがあってもいいのでしょうか。私はここに。ノルン公とアークロイ公の間で結ばれた契約が無効であること、並びにノルン魔法院にアークロイ公の領主承認を撤回することを要求いたします」
ノアは首を捻った。
ナイゼル使者による読み上げは続く。
「またアークロイ公の怠慢も甚だしい。彼は諸侯会議で聖杖と聖なる任務を預かっておきながら、いまだ魔族討伐の軍を発すことなく、はなはだいかがわしい大義名分の下、我らが魔法文明圏の政治情勢に介入し、無法の限りを尽くしている。このような余所者に我らがマギア地方の宝石ノルンの豊かな魔石資源、魔法科学の粋を集めた魔法技術を独占させてもよいのでしょうか。このようなうつけの乱暴者に魔石の行方を握らせれば、やがてはマギア地方全土の安全を脅かしかねません。よって、私はここにノルン公国へと宣戦布告いたします」
ナイゼルからの宣戦布告に対して、魔法院の上級騎士達は口々に議論を始める。
「ついにナイゼルが宣戦布告してきたか」
「しかし、よく分かりませんな。我々の決定を撤回しろとはどういうことだ?」
騎士達の間にはついにこの時が来たかと身を引き締める者もいれば、困惑している者もいる。
「で、どうなの? 今の内容って」
ノアは側のドロシーに聞いた。
「領主権を売り渡すのが違法みたいに言ってたけど。イングリッドのやってることってそんなにメチャクチャなの?」
「そこまでメチャクチャではない。普通によくある事例じゃ。それに魔法文明圏の政治主体はほとんどの国で魔法院にある。マギア地方においてはそこまで反発はないと思われる」
「だよな」
(いくら自分の邪な野望を隠したいからって、大義名分が無理筋すぎんだろ)
「こんな声明出したらマギア全土から総ツッコミ入るんじゃねーの」
「うむ。まずほとんどの国は同調せんじゃろうな。ただ、対外的にはそうとも限らないのが難しいところだ」
「……というと?」
「ほとんどの国はマギア地方のこの魔法院優位の雰囲気を知らない。ギフティア大陸のほとんどの国では今のところ、領主様が偉いという価値観で運営されておる。そういった昔ながらの国々、が参戦してくるとなれば、ちと厄介なことになるだろうな」
「魔法文明圏外……たとえば……」
「たとえば、お主の実家、ユーベル大公国などが」
「なるほど」
(この宣戦布告文はどっちかというとマギア地方の外の領主を意識してのものだということか)
ナイゼル公国はユーベル地方、クロッサル地方の国とも隣接している。
「まさか!? ベルナルドがルドルフに援軍を要請するっていうの?」
イングリッドが割り込んでくる。
「ありうるじゃろうな。して、ノアよ。お主はこのマギア地方をどうしたいのじゃ?」
「どうしたい……っていうと?」
「マギア地方のほとんどの国はお主のバーボン・ノルンの領有を承認しておる。ナイゼルと仲立ちしてくれと言えば、喜んで協力してくれるじゃろう。ここいらで手打ちにするのも一つの手じゃと思うぞ」
「具体的にどういう妥協案があるんだ?」
「たとえば、ノルン製魔石の半分をナイゼルに提供するとか。あるいは……」
ドロシーはチラリとイングリッドの方を見る。
(イングリッドを差し出すってことか)
イングリッドがキュッと唇を締めながらノアのことを見てくる。
ノアは優しく微笑んだ。
「大丈夫だよ。イングリッド」
「えっ?」
「こうして実際にノルンに来て、魔法院での政治に関わって、ようやくわかった。君が何を守りたいのか。何を守ろうとしているのか」
ノアはドロシーの方に向き直る。
「ドロシー。ナイゼルと和解するつもりはない」
「ふむ。その心は?」
「最初はノルンから魔石さえもらえればそれでいい。そう思っていた。だが、今は違う。たとえ魔石を買い付けたとしても、ナイゼルの雇った海賊に横槍を入れられれば、今後もその度にナイゼルに妥協しなければならなくなる。アークロイとノルンは主権を侵害され続け、その度に国際社会での威信を傷つけられ、立場を危うくすることになるんだ」
「ノア……」
「マギア地方への安定的な魔石の供給を実現したい。そのためにも海からナイゼルの勢力を一掃する。それが最低条件だ。それまではナイゼルと和解するつもりはない」
「お主の覚悟のほどはよくわかった。では、そのように返事をしよう」
ドロシーはその日のうちにノアの意を汲んで逆にナイゼル公国に挑戦状を叩きつける。
「ナイゼル公の言い分は無茶苦茶である。牽強付会もいいところだ。事理弁識を見誤って錯乱しているのではなかろうか」
「アークロイ公ノアにマギア地方の国々を侵略する意図などない。アークロイ公はノルン公主イングリッドに助けを求められたから、彼女を故国までお送りしただけだ。その証拠にバーボン・ノルン両魔法院ともにアークロイ公の領主権を承認している」
「それにそもそも海賊をけしかけて、ノルンに通商破壊をしかけ、魔石の運搬を妨害したのはナイゼル公国、お前達の方だ! ナイゼル公国はアークロイ公が不当にノルンの魔法技術を独占しようと企んでいると言うが、ナイゼル公こそノルンの魔法技術を不当に独占しようとしているのではないか」
「ノルン公国は長年、マギア地方の各国、魔法院と魔石の交易を通じて親睦を深めてきた。その関係に横槍を入れて、ノルンの交易を妨害し、債務を膨らませてきたのはナイゼル公子お抱えの海賊達だ。魔石の安定供給とマギア海上輸送の安全を脅かしていることに鑑みて、ナイゼル公の要求を受け入れることなど到底できない。ノルンを領有するアークロイ公にはマギア地方全土に魔石を送り届ける義務がある」
「また、ナイゼルのように自国の都合しか考えないような国に、ノルンの長年培ってきた魔法技術を委ねるわけにはいかない。ノルンの魔法技術はアークロイ公国が取り扱った方がマギア地方はより発展するのである。今後、マギア地方の海はアークロイ公が支配する」
ノアの発したこの声明は、瞬く間にマギア地方全土に響き渡った。
マギア地方では、ノアとベルナルドの声明を巡って侃々諤々の議論が繰り広げられる。
この時、まだナイゼルとジーフの秘密同盟は伏せられたままである。