第74話 内政と良識
上級騎士グラストンは審議が終わっても、腕を組んで物思いに耽るような仕草をしていた。
同輩の上級騎士達が退席してもすぐさま動く気になれないとでも言いたげに。
(また、姫様に不利な決議が下されたか。なんとかしたいが。しかし、私1人の力では……)
「騎士グラストン」
グラストンは呼びかけられてハッとする。
見るとジアーナがいた。
眼鏡をくいっと上げながら声をかけてくる。
「姫様とアークロイ公があなたとお話したいとおっしゃっております」
「姫様とアークロイ公が?」
「今夜、ノルン邸にお越しいただけますか?」
ノルン邸を訪れたグラストンは、呼ばれたのが自分1人であることに驚いた。
彼は上級騎士とはいえ若輩者であり、領主クラスの人物にここまで丁重に扱われたことがなかった。
「お招きいただきありがとうございます」
「そう。畏まらないでくれ。ささ。そこの席に腰掛けて」
アークロイ公は気さくに話しかけてくれる。
「君をここに招いたのは他でもない。今日、魔法院で下された決議のことだ。なぜ上級騎士達は海軍の強化とアークロイ軍の進駐を拒否したのかな?」
「魔法院の決議に対し私ごとき若輩者が口を挟むようなことは……」
「そういった建前はいい。君の率直な意見が聞きたいんだ」
「……」
グラストンはノアの真意を探るようにじっと見つめた。
(グラストンは内政B、良識B。少なくともイングリッドよりは魔法院のパワーバランスに通じているはずだ)
良識は良心とバランス感覚を表すスキルだ。
常識や規範意識に優れており、それゆえ集団内のパワーバランスに敏感である。
国の内部を1つにまとめる内政スキルと非常に相性のいいスキルだ。
ノルンの内情を探るのにうってつけというわけである。
ちなみにバーボンの魔法院にも良識スキルの高い者が多い。
「話してくれるかな?」
「では、僭越ながら。その2案が否決されたのは他でもありません。ナイゼル派の騎士とジーフ派の騎士がそれぞれ反対票を投じたためです」
「ナイゼルとジーフがノルンの政治に強い影響力を持っていることは聞き及んでいる。ちなみにナイゼル派とジーフ派は上級騎士にどのくらいいるんだ?」
「ナイゼル派は上級騎士のおよそ4割。ジーフ派も4割ほどです」
「そんなにいたの!?」
イングリッドが素っ頓狂な声を上げる。
「あ、ごめん」
イングリッドは慌てて口をつぐんだ。
(やっぱ全然内情把握してなかったか)
灯台下暗しというやつだろうか。
人は自分の足下のことの方が案外把握できていないのかもしれない。
「お前、よくそれで国を保てたな」
「とにかくナイゼル派とジーフ派からの案は片っ端から廃案にしていたから」
「なるほど。まあいい。とにかくナイゼル派とジーフ派が上級騎士の8割を占める。となれば、イングリッドに従うのは2割程度ってことか」
「そうなりますね」
(2割。賛成多数を得るには5割以上の賛成が必要だ。両派から合わせて3割以上の人間を切り崩す必要があるってことか)
「なるほど。ノルンの内情はよく分かった。ただ、わからないな。なぜナイゼル派とジーフ派は国を危険に晒してまで外国勢力に阿るようなことをするんだ?」
「そうよ。せっかくアークロイ公が来てくれたのに、これじゃ私の体面丸潰れじゃない」
「ご存知のようにナイゼル公は海賊を支援して陰から我がノルンに通商破壊を仕掛けています。また、ジーフ公は我がノルンと根深い領土紛争を抱えています。ナイゼル派もジーフ派も初めは純粋に国の将来を憂うが故の行動でした。ナイゼル公と近しい上級騎士はナイゼル公と結び付きを強めなければ、ジーフ公の侵略に耐えることができない。ジーフ公と近しい上級騎士はジーフ公と結び付きを強めなければ、ナイゼル公の海軍に対抗できない。そう考え、互いに姫様をそれぞれの親族と婚約させようとしていたのです。一方で、対立派閥から出た案は潰し合う。ですが、そうして争い合っているうちに両派はいつしか相手を憎むあまり、対立派閥の足を引っ張ることが目的となってしまいました。今では両派とも対立派閥から出てきた案にはとにかく反対して、なんでもかんでも潰すように動くようになってしまいました」
「ふーむ。なるほど。そういうことか」
(完全に国政が機能不全に陥ってるな)
「そういうことだったのね。道理で私がいくら法案を提出しても通らないわけだわ」
イングリッドが悔しそうに言った。
(こいつもこいつで内政ポンコツすぎんだろ)
「よし。分かった。じゃあ、逆に言えば、ジーフ公に近しい人間は取引次第で海軍の増強に靡くし、ナイゼル公に近しい者は取り引き次第でアークロイ軍の受け入れに賛成票を投じる。そういうわけか?」
「……そうですね。何らかの取引材料さえあれば、その可能性は十分にあります」
「よし。じゃあ君、ナイゼル派とジーフ派の切り崩し工作をしてくれたまえ」
「えっ? 私がですか!?」
グラストンは目を丸くする。
「ちょっ、ちょっとノア」
イングリッドが慌ててノアの袖を引っ張り耳元でヒソヒソ話をする。
「ちょっといいの? 彼にそんな重大な任務を任せてしまって。彼はまだ何の実績もない魔法院に入りたての新人なのよ」
「いいんだよ。イングリッド、君も今、聞いただろ? 彼の情勢把握能力は本物だ。ノルン公である君でさえ把握していない内情も見通している。彼には優れた内政の才能があるんだよ」
「で、でも。もっと経験と実績のある人に任せた方がいいんじゃ……」
「いや、この任務を任せられるのは彼しかいない。もう決めた。グラストン!」
「は」
「改めてナイゼル派とジーフ派の切り崩しを頼みたい。これを」
ノアは金貨の入った袋を取り出して、彼に手渡す。
「切り崩し工作に自由に使ってくれたまえ。もし、足りないようならまた追加で捻出する。遠慮なく言ってくれ」
「あの……本当にいいのでしょうか。姫様の言うように私には荷が重すぎるのでは? このような大金まで預かってしまって」
「大丈夫。俺は君の内政センスと良識を信じている。思う存分やってくれたまえ」
「はぁ」
(だ、大丈夫なのかな)
イングリッドは不安そうにノアとグラストン、そして机の上に置かれた金貨の袋を交互に見るのであった。
次の日から早速、グラストンは切り崩し工作を始めた。
ノアからもらった資金でパーティーを開き、ナイゼル派とジーフ派のまだ話の分かりそうな騎士を呼んで、それぞれ取り込みを図った。
ナイゼル派の人間にはアークロイ軍を引き入れればジーフ派に痛手を与えられると言い、ジーフ派の人間には海軍を強化すればナイゼル派の財布を脅かすことができると言って切り崩していく。
また、金やポストで釣れる者には見返りをチラつかせて、義や理をもって諭せる者にはノアの政策がいかにノルンのためになるかを説明した。
グラストンは賛同者を増やしていく度に方針を微修正をかける必要が出てきて、その都度ノアに相談したが、ノアが的を射た返答をするのを見て舌を巻いた。
(これは……稀に見る聡明なお方じゃないか)
グラストンの忠誠心は自然とノアに惹かれていった。
(アークロイ公はうつけの乱暴者と聞いていたが、噂とは当てにならないものだな)
グラストンが切り崩し工作をしている間、ノアはエルダーク卿をはじめ、ナイゼル派とジーフ派の強硬派を呼び寄せて、彼らの注意をグラストンから逸らした。
イングリッドには自派を固めることを任せた。
しばらくの間、魔法院ではそこまで重要ではない法案が通っていった。
ノアはイングリッドを騎士にする儀式を聖堂で済ませたり、ノルンの各種公的な施設に顔を出して回った。
そして、いよいよ運命の日となる。
イングリッドは再び海軍強化とアークロイ軍進駐の議案を魔法院に提出する。
エルダーク卿はふてぶてしい顔で議席に座りながらも内心ではほくそ笑んでいた。
アークロイ公は自分達を説得するという無駄な時間を過ごした。
彼が説得に当たったのは、両派の中でも決して譲らない人物ばかり。
急にやってきた領主にどれだけ説得されたからといって、考えを変えるような人物はいない。
グラストンを使って何やら動いていたのは気になったが、グラストンはまだ魔法院に入ったばかりの若輩者。
彼が何かしたところで大勢が変わるとも思えない。
取り立てて警戒する必要はないだろう。
議場では審議が終わり、投票に移ろうとしていた。
この投票でアークロイ公の法案を却下に追い込めば、いよいよノルンの市民もアークロイ公の統治能力に疑問の目を向けることになる。
そうなれば、アークロイ公は自分の地位を保つために妥協して、両派の意見に耳を傾けざるを得なくなるだろう。
その時こそ、ナイゼル派とジーフ派で本当の勝負が始まる。
どちらにとっても相手を追い落とすチャンス。
エルダーク卿はその時に向けてすでに頭の中で様々なパターンを想定し、どのように立ち回るかを考えていた。
最終的にアークロイ公はナイゼル公子とイングリッドの結婚が最も無難な方策だと気付き、ナイゼル派の進言を受け入れることになるだろう。
しかし、いざ蓋を開けてみれば、結果はどちらの決議も賛成多数。
「なにっ!?」
ノルン魔法院はアークロイ軍の受け入れと海軍強化を決定した。