第70話 マギア地方の聖女
ノアが造船所を訪れると、エルザとイングリッドが新型ゴーレムの開発に取り組んでいるのが見えた。
「あっ、ノア様。見てください」
エルザが手招きしてくる。
付いていくと、船の内部から砲塔を突き出すシステムの開発が進んだようだった。
ゴーレムを台車に乗せ、前後に動かし、木の枠から大砲を出し入れしてみせる。
「こんなに素早く大砲を出し入れすることができるようになったんですよ」
エルザが台車をガラガラ引きながら言った。
「ほう。これは凄いな」
「角度の調節もこんな風にできるようになりました」
エルザは台車を操作して、砲塔の角度を調節する。
以前はゴーレム使いが操作しなければ、発射角を調節できなかったが、これなら魔法を使えない一般兵でも操作できる。
「ゴーレムの下半身に魔力を込めなくてよくなった分、火力もアップしたわ」
イングリッドがゴーレムのコアを光らせながら言った。
「どれどれ」
ノアは新型ゴーレムを鑑定してみた。
新型ゴーレム
火力:A
射程:A
取り回し:A
耐久:C
(ふむ。エルザは取り回しの強化、イングリッドは火力と射程の強化が得意みたいだな)
イングリッド
開発:A
エルザ
開発:A
同じ開発スキルAでもそれぞれ開発の方向性に個性が出るようだ。
2人合わせると取り回しと火力を両立できてちょうどいい。
「よし。これで海戦での火砲導入にまた一歩近づいたな。あとは実際に船に載せて試してみるだけだ。頼むぞ2人とも」
「「はい」」
エルザとイングリッドは顔を見合わせて笑みを浮かべ、ハイタッチした。
とりあえず2人は開発の分野で気が合うみたいだ。
新規のゴーレムの生産についても目処が立った。
開発者であるイングリッドとノルン製の最新鋭ゴーレムが手元にあるから、バーボンの施設でも問題なく製造できるとのことだった。
ゴーレムの開発状況に満足したノアは、船体を開発しているドックの下へと向かった。
ちょうど新たに組み上げた船体をドックから出して、安定性を確認しようとしているところだった。
「親方。船体の開発は進んでいるか?」
「おお、領主様。ちょうどよかった。この試作船を見てくだせぇ」
その新たな試作船は、船体の喫水部を深くして、底に荷物を貯蔵できる構造になっており、重心を低くすることで安定感を出していた。
「だいぶ安定感が増しました。ガラッドの旦那。領主様が来やしたぜ。試しに海に出て、ゴーレムを撃ってみてください」
「おお、任せろ」
水門が開かれるとドックに水が満たされ、船が水に浮かぶ。
そしてそのまま造船所を出て、湾に滑り出していく。
ガラッドは船の上に載せたゴーレムから空砲を放つ。
空砲といっても、船に伝わる振動は実弾と大して変わらなかった。
船体に振動が伝わるものの、甲板は平衡を保ち、押し寄せてくる高波も吹き荒ぶ強風もその頑強な竜骨と重心の低さ、マストの抵抗力ですべて受け流して、海上でも安定感を保つ。
これなら20門の大砲を一斉に発射しても転覆しないで済むだろう。
「どうです。領主様」
「うむ。これなら砲戦にも耐えられそうだな」
「この設計を下に最終的な建造を行うつもりです」
「よろしく頼むよ」
ノアは新造艦の開発状況に満足して、一旦城へと戻った。
バーボンの港を出る前にもう1人どうしても会わなければならない人物がいた。
マギア地方の聖女である。
「お主がアークロイか」
聖女カテリナはズレた眼鏡の奥から寝不足気味の目を細めてノアのことを見やる。
錫杖を片手に白衣を翻しながら歩み寄ってくる。
その出立ちは聖職者というよりは研究者という感じだった。
ボサボサの髪、ヨレヨレの衣服は、前世で時々見かけた一日中研究室に籠もっていた理系の大学院生の姿を彷彿とさせた。
とはいえ、瞳に宿る理性の光からは聡明さが伺えた。
「ようこそおいでくださいました」
「うむ。出迎え感謝する」
「こうしてあなたが訪れてくださったということは、神聖教会も私のバーボン併合を認めてくださった……ということでよいのでしょうか」
「バーボンに権利を主張する手段がないからな。世は乱世。力ある者しか権利を主張すること能わぬ。魔法院や他の国との関係があればまた違っただろうが、魔法院もお主を承認しとるしな。周辺諸国もナイゼル以外はお主のことを承認しておる。バーボンに逆転の余地はないだろう」
「やはりマギア地方では魔法院の意向が重要なのですね」
「うむ。マギア地方では伝統的に神聖教会よりも魔導師の方が権威を持っておる。一昔前は、神聖教会から封土された領主達が魔導師と魔法院を弾圧しようと躍起になっていたが、逆に領主達の方が、その座から引きずり下ろされるという事態が多発した。やむなく神聖教会も魔法院と共存する道を選んだ。マギア地方のほとんどの領主は魔法院によって選ばれた者ばかりじゃ。そしてこの地区を管轄する聖女も魔導師から選ばれることになった」
「ということは、カテリナ様も?」
「無論じゃ」
カテリナは床を指差すと、そこに魔法陣が瞬き一陣の炎が巻き起こり消えた。
(なるほど。聖女の信仰と魔導師の魔力を兼ね備えているんだな)
カテリナ
信仰:B
四元魔法:B
「近年では魔導師にもギフトが発現することがわかり、神聖教会も魔導師を取り込む方向で教義の解釈を修正しておる。ところで……やはりお主はノルン公国もアークロイ領に併合する気かの?」
「ええ。もちろん。ノルンの姫とはすでに合意しております。カテリナ様も私のノルン併合を認めて下さいますか?」
「それについては何とも言えんな。力ある者しか権利を主張できぬ。ノルンの魔法院とナイゼル、ジーフがお主の力を認めるかどうかじゃろうな」
(やはりノルンの魔法院が敵になる可能性もあるのか)
「それで、お主はどうするつもりじゃ。ナイゼルとジーフの領地を突破してノルンにたどり着くのは、いかにアークロイ軍といえども至難の業じゃぞ」
「ノルンには必ずたどり着きます。たとえどんな敵が立ちはだかろうとも」
「ふむ」
カテリナは海の方をチラリと見た。
「港が騒がしいようじゃな」
(バレたか)
やはりカテリナは聡明なようだった。
ノアの思惑、海からノルンにたどり着こうとしていることは見破られている。
「……カテリナ様はやはりナイゼルの味方をするのでしょうか?」
「港の騒々しさには気付かなかったことにしておこう。また、私がこの領地を出るのも港の騒々しさが収まってからにするよ」
ノアはホッとした。
とりあえず、カテリナは中立の立場に立ってくれるようだ。
「カテリナ様にはもう一つお願いがあります」
「なんじゃ?」
「ルーシー」
ノアが呼びかけると奥から白い帽子と衣服に身を包んだルーシーが現れる。
ルーシーは頬を赤らめながらぺこりとお辞儀する。
「ふむ。魔女か」
「彼女は神聖魔女。聖女アエミリア公認の魔女です」
そう言うと、カテリナは胡散臭そうに眉をしかめる。
「ここにアエミリアからの書状があります。できれば、カテリナ様にも彼女の教会への立ち入りを認めて欲しいのですが」
カテリナは書状に目を通す。
『聖女カテリナへ
バーボン領の喪失、ご愁傷様です。
とはいえこれも神の御意志。
神はあなたの罪を許し給うでしょう。
バーボン領併合のご祝儀はノルンの魔石と高いお肉でお願いします。
アエミリアより』
「……おい。神聖魔女についての文言が一言も見当たらんぞ」
「えっ? う、うそ」
「というか、なんで私があのアホに神の教えを説かれた上、魔石と肉を貢がなきゃならんのだ」
(あの生臭聖女。何やってんだよ……)
ノアは手紙を握りつぶした。
「すみません。この手紙はなかったことに」
「まあ、よい。マギア地方では魔女に対してそこまで悪感情は持っておらん。魔法院の許可さえあれば、教会への立ち入りも許されるであろう。ノルンでもな」
「カテリナ様の方からノルンの魔法院に仲介していただくことはできませんか?」
「残念ながら無理じゃ」
カテリナは頭をかきながら言った。
「ノルンの魔法院にはナイゼルとジーフの圧力がかかっておるからの。下手に私がお主の味方をすれば……、その何というか……」
(かえって聖女の立場が悪くなるってことか)
ノアはカテリナの微妙な立場を察した。
「分かりました。では、とりあえずルーシーのことはナイゼルとジーフには内密にしていただけますか」
「うむ。分かった。すまんな。あまり力になれなくて」
(どこの地区も聖女は大変だな)
ただ逆に言えば、マギア地方に一定の平和と秩序をもたらせば神聖教会に貸しが作れるかもしれない。
ノアはカテリナのために部屋を用意して、出港する日まで泊まれるよう手配した。
新造艦が完成した。
出港日、港には人々が詰めかけ、その見たこともないほど背が高い船の姿に歓声を上げた。
船にはノルン公国に辿り着くまでの間の水と食糧、弾薬、そしてゴーレムが詰め込まれ、次々と船員が乗り込んでいく。
ノアとイングリッド、エルザ、ジアーナ、ガラッドも人々の歓声に包まれながら乗り込んでいった。
オフィーリアはソワソワしながらノアのことを見送ろうとしていた。
「じゃあ、行ってくるよ」
「ノア様。やはり私も……」
「オフィーリア、君には大事な任務がある。このバーボン城の守護とナイゼル軍を引き付ける役目だ」
「はい」
「留守の間は君が軍事を、ドロシーが総督として外交を、そしてルーシーが経済を担当だ」
オフィーリアは不安げにノアのことを見つめる。
「大丈夫。イングリッドを騎士にしたらすぐにこっちに戻ってくるから。それまでバーボン城のことを頼んだぞ」
「はい。どうかお気をつけて」
やがて、船が友綱を外して港を離れる。
船は外洋へと漕ぎ出していった。
オフィーリアは船が小さく見えなくなるまでずっと埠頭に立って手を振り続けていた。
やがてノアが見えなくなると、オフィーリアは3万の軍を率いてバーボン城を出発した(城の守りはランバートに一任する)。
ナイゼルとの国境付近まで進軍して、ナイゼル軍を牽制するのである。
ナイゼル軍を陸に引き付けておけば、海路を進むノアたちの方には兵を割きづらくなるはずだ。
(ノア様、どうかご無事で)
オフィーリアは祈るような気持ちで国境の警備につく。
警備兵からナイゼル軍の動静について報告を受けると、テキパキと指示を出し始めた。
船が出港すると、イングリッドは途端に活き活きとし始めた。
誰に頼まれるでもなく、ゴーレムを操作して、帆を張り直す。
帆の張り具合を確認しては、風を受けやすいように向きや折り畳みを微調整する。
力作業用のゴーレムは、彼女の操作にしたがってロープを巻き取り、帆を操作する。
ノアは苦笑した。
彼女は海になど興味がないと言っていたが、こうして見ると明らかに陸にいた時より、元気になっていた。
陸にいた時は、亡命の身であることもあって憂いを含んだ表情をしていたが、今は快活そのものである。
(やっぱり君の天分は海だよ、イングリッド)
「イングリッド」
「ん? 何?」
「そろそろナイゼルの勢力圏だ。実際の戦闘になった時のことを打ち合わせしとこうか」
「そうね。慌ててバタバタしないためにも今のうちに決めておきましょうか」
「砲撃手の指揮は君に任せていいか?」
「ゴーレムについては私の方が詳しいし……、そうね。私が指揮するわ」
「ついでに操船の指揮も任せていいか?」
「確かに風魔法が一番上手いのは私だものね。わかったわ。そっちも私がやっておく」
「それと船の進路についても君がやってくれると助かるんだけど」
「任せて。水魔法で潮の流れを読むのは得意だわ」
「よし。それじゃあよろしく頼むよ」
イングリッドは艦長であるノアに代わって、船内の各所を回り、戦闘時のことについて船員と共に打ち合わせしていった。
そのうち平時の航海についても自然と仕切るようになっていく。
イングリッドは事実上、自分が艦長になったことに気づかないまま、船内のことについて取り決めていった。
そのうち操船と指揮全般について掌握していった。
ノアはというと、時折船内をブラブラして「おーい、やっとるかぁ」と船員に話しかけるだけであった。
船員達は首を傾げるばかりであった。