第63話 マギア地方進出
ノアとバーボン公の実際のやり取りはもう少し穏健なものだった。
ノアがイングリッドが帰国するために便宜を図るようバーボン公に申し入れたところ以下のような返答が返ってきた。
「ごめん。ナイゼル公との付き合いもあるからノルン公の味方するの無理なんだわ」
「どうせもうすぐノルン公国は陥落するし、イングリッドに勝ち目はないっしょ」
「だって。向こうは城9つ持ちよ? やろうと思えば9万の兵を動員できるわけ。勝てっこないっしょ」
「イングリッド姫はそっちで上手いこと言いくるめといてよ。そうすればイングリッドの身柄も自由にできるし。ナイゼル公には俺の方で上手く言って執りなしといてあげるからさ」
このようなバーボン公からの返答に対して、ノアは以下のように答えた。
それはできない。
アークロイ公にも体面がある。
イングリッドに彼女の負債を肩代わりして彼女の庇護者になることを約束した。
代わりにノルンの領主権をもらうことも。
故に騎士イングリッドの忠誠とノルン公国の領主権は全てアークロイ公のものである。
この権利は何人たりとも侵害することはできない。
たとえナイゼル公であってもだ。
それにナイゼル公子ベルナルドは大陸中の領主、聖職者の一堂に会する諸侯会議を白昼堂々襲撃した大罪人。
にもかかわらず、いまだ何の償いもしていない。
そればかりか呆れたことに自身の犯罪の責任をアークロイ・ノルン両公に擦り付けようとしている。
今やノルン公を巡る問題はマギア地方だけのものではない。
大陸中を巻き込む問題に発展しているのだ。
大陸全土の諸侯と領主達がこの騒動の行方を見守っている。
大陸中の人間がこの騒動の責任の所在が誰にあるのかを見極めようとしている。
そんな中、当事者たるアークロイ公が何の反論もせず、黙って引き下がり、ノルン公を引き渡そうものなら、こちらに非があることを認めたも同然である。
なのでアークロイ公としてはこれら国際秩序を乱すナイゼル公子の暴挙を黙って見過ごすわけにはいかない。
ナイゼル公が城をいくつ持っていようと関係ない。
ナイゼル軍が立ちはだかるのであれば、アークロイ公はその全てを賭けて敵を粉砕し、ノルン公国を手に入れるつもりだ。
上記のようにノアが返事したところ……。
「じゃ、お前と国交結ぶの無理だわ」
「ならば、アークロイ公の返答はこうだ。どんな手を使ってでもノルン公との約束は守る。たとえ、貴様の領土と軍を蹂躙してでもだ!」
「おう。かかってこいよ。相手になってやるぜ。ナイゼル軍がな!」
これらが実際のノアとバーボン公のやり取りである。
これをドロシーが大幅に加筆修正してアークロイ内に流布したのが前回の煽り文である。
効果は予想以上のもので、今やアークロイ中が打倒バーボン公一色に燃え上がっていた。
ドロシーの謀略スキルは味方に対しても有効なのである。
「これでいいんだなドロシー」
「うむ。バーボン公は法的にいかがわしい方法で領主の座を簒奪した成り上がり物じゃ。魔法院も蔑ろにして、国内でも普通に嫌われまくっておる。対外的にもナイゼル公以外特別仲のいい領主はおらん。アークロイ公が取って代わったとて文句を言う輩もおらんじゃろう(ナイゼル公以外は)」
「よし。聞いたな。オフィーリア。戦の準備はどうなっている?」
「は。すでに準備は万事整っております」
オフィーリアは机の上に作戦地図を開く。
軍議の席に集まったノアと側近、主だった諸将、首席小達長達は地図を覗き込む。
「バーボン公国の扱える兵力は多くて1万5千」
オフィーリアが地図を指し示しながら言った。
「しかし、ナイゼル公国軍が援軍として駆けつけるならば話は別です。よって、両軍が合流する前にバーボン軍を叩くのが肝要かと」
オフィーリアは地図を指し示しながら言った。
地図にはバーボン軍、ナイゼル軍、アークロイ軍の初期配置と予想進軍ルートが記されている。
非の打ち所のない作戦計画だった。
ノアはため息を一つ吐く。
「本当はここまでするつもりはなかった」
ノアは悲しげな顔をしながら会議の末席に座るイングリッドの方に目をやる。
イングリッドは唇をキュッと結んだ。
「ノルンに近づいたのは、ただ交易がしたかったためだ。魔石の安定供給と将来の海路進出の布石になれば。そのくらいの軽い気持ちでノルンと同盟を結ぶつもりだった。マギア地方に侵略するつもりなんてなかったんだ。だが、状況は変わった。ベルナルドは諸侯会議の会場を襲撃し、紛いなりにも機能していた国際秩序を破壊した。アークロイとノルンの外交を邪魔するために。つまりアークロイとノルンの主権を侵害するためにだ。そればかりか奴はこの私怨100%の身勝手な行動の責任を俺に擦りつけようとしている。これ以上、奴の一方的な侵害行為を見過ごすわけにはいかない。まだマギア地方に進出するのは早いと思っていた。だが、こうなった以上は仕方ない。予定変更だ。ナイゼルをぶっ潰して、アークロイの力をマギア全土に知らしめるぞ。俺達の外交を邪魔すればどうなるのか。マギア地方の領主達に身を以て思い知らせる。その手始めとしてバーボン公国には、マギア地方への足がかりになってもらう」
軍議に参加しながら、イングリッドとジアーナは戦慄していた。
(ノア、本気でやるつもりなんだ。まさかここまで大ごとになるなんて)
(僻地の覇王とマギア屈指の大国が激突。これは双方只事ではすみませんわ)
「すべて……ノア様の仰せのままに」
オフィーリアはそう言って一礼すると退室した。
角笛を鳴らして軍団を招集し、1万の兵と共にマギア地方へと軍を進めた。
ノアも後詰の兵と共に出立してオフィーリアの後を追う。
留守は聖女アエミリアに一任する。
オフィーリアがバーボン公国との国境付近にたどり着く頃には、アークロイ軍は3万にまで膨れ上がっていた。
嵐のような速さで膨れ上がり、侵攻してくるアークロイ軍に対し、バーボン公国の動きは鈍かった。
予想だにしない進軍スピードを前に、バーボン公は慌てて1万の軍を城に招集すると共に、ナイゼル公国に援軍を要請した。
ベルナルドはすぐさま3万の軍を援軍として派兵するが、アークロイ軍のスピードには敵うべくもない。
バーボン軍は烈火の如く侵攻してくるアークロイ軍3万に対して、ことごとく後手に回り、防衛線を突破され、領内を流れる広い河川でようやく1万の軍を布陣させて、食い止める態勢を整えることができた。
河を隔てて対峙する敵軍を見たオフィーリアは、敵が時間稼ぎをするつもりだと見抜いた。
河を頼りにアークロイ軍を堰き止め、援軍がたどり着くまで待つ。
オフィーリアは河を渡る準備をするよう命じた。
舟や筏など浮橋となるものを辺りから集めさせ、橋を建設する木材を調達させる。
凄まじい速さで組み上げられる筏や橋の部材を見て、いよいよ決戦かと武者震いするバーボン兵だったが、それらはすべて陽動だった。
オフィーリアは正面から強行突破するように見せかけて、実際には別働隊をこっそり迂回させ、遠くの浅瀬から河を渡らせ、その先に橋頭堡を築かせていた。
別働隊が指示通り対岸に橋頭堡を築いたという知らせを受け取ると、オフィーリアはそれまで熱心に作っていた渡河用の舟や筏、橋の部材をすべて破棄し、全軍を橋頭堡に向けて移動させる。
いつの間にか河を渡られていたことに気付いたバーボン軍は大慌てで撤退した。
河川という防衛線がない状態で3倍の敵と戦うのはあまりにも無謀だった。
とにかく正面衝突して撃滅されるのを避けるために第2防衛線まで引き上げる。
しかし、オフィーリアの狙いは別にあった。
オフィーリアの真の狙いは、バーボン軍とナイゼル軍の分断だった。
途中までバーボン軍を追撃するかのように見せかけて追い立てていたかと思うと、突然踵を返し、ナイゼル軍の渡ってくると見られる渡河地点へと向かう。
そうして河にかけられた橋を悉く落とし、唯一残した橋の両側には防御陣地を築くと、ナイゼル軍の予測進軍ルートに騎兵部隊を展開して、偵察させると共に兵糧を調達させ、伏兵を配置させる。
その指揮は知将クラウスに任せることにした。
ナイゼル軍がたどり着いた時には周辺の村々からはすっかり食糧が消えていた。
現地での食糧調達に期待していたナイゼル軍はすっかり意気消沈する。
ただでさえ、突然の援軍要請に応えるため補給の手配もそこそこに駆けつけてきたのだ。
仕方なく、遠くまで行って兵糧を調達するよう騎兵に命じるが、クラウスの配置した伏兵の待ち伏せを受けたり、アークロイの優秀な騎兵隊によって追撃を受けたりして、ことごとく潰されてしまう。
これらの戦闘から騎兵に関しては質・量ともにアークロイ軍の方が上回っていると判明した。
1週間も経つ頃には、ナイゼル軍は飢え始め、将を務める人物の統率力も低いため、脱走兵が相次ぐ事態となる。
クラウスはいつまでもナイゼル軍が動かないのを不審に思い、捕虜を尋問することにした。
なぜ、ナイゼル軍は決戦を仕掛けてこないのか?
すると、捕虜達の口から以下のことが判明した。
ナイゼル軍の将は、ベルナルドからバーボンのために兵士を消耗しないよう命じられている。
あくまでアークロイ軍の牽制・足止めに専念し、自分からは戦いを挑まないこと。
バーボン軍と合流した後も専守防衛に務め、敵の補給が尽きて撤退するまでひたすら待つこと。
ところが、実際にバーボン領内に来てみると、すでにアークロイ軍によって要地を占領され、橋を落とされて、バーボン軍と合流することすらままならない。
おまけに食糧調達の目処もたたず、ほとほと困り果てている。
これらの情報を捕虜から聞き出したクラウスは、謀略を仕掛けることにした。
捕虜を言いくるめて、オフィーリア司令がナイゼル軍の背後の街に回り込んで、補給線を遮断すると共に決戦を仕掛けようとしている、という情報を流させる。
この情報を聞きつけたナイゼル軍の将は、格好の口実ができたので、背後の街を防御するべく撤退を開始した。
周辺のバーボン領民達は初めは食糧を奪っていくアークロイ軍に反感を抱いてナイゼル軍を応援していたものの、ナイゼル軍があえなく撤退していくのを見ると、「なんでも協力するから食糧を恵んでくれー」とアークロイ軍に泣きついた。
オフィーリアは住民が飢え死にしない程度に炊き出しするのを許可した。
ナイゼル軍がアークロイ軍の陣地まで2週間以上かかる距離まで遠ざかったのを見ると、クラウスに5千の兵を預け橋と陣地の防衛を一任した上で、バーボン城に向けて進軍する。
バーボン城では、バーボン公とその取り巻き達がパニックに陥っていた。
「や、やべーぞ。アークロイ軍が2万5千の兵を率いてやってくる」
「ナイゼル公の援軍も引き返したそうだぞ」
「誰だよ。ナイゼル公の支援さえあれば楽勝だなんて言った奴は」
「魔法院の魔法兵達は何をしておる」
「魔法院からは抗議の声が殺到しています。この戦争を引き起こした責任はバーボン公にあると」
「ええい。こんな時に。役に立たん奴らめ」
「どーすんだよ。このままだと僻地の益荒男と鬼人供がこの城までやってくるぞ」
「落ち着け。我らにはゴーレム使いのガラッドがいる」
「はっ。そうだ」
「ゴーレム使いのガラッドなら、あるいは」
「ガラッドはどこだ。早く呼ばぬか」
「ご安心くださいバーボン公。ガラッドにはすでにゴーレムを起動するよう命じております。今頃、アークロイ軍を迎え撃つべく敵進軍ルート上にゴーレムを展開している頃でしょう」
「おお、真か」
「うおお、頼むぞガラッド!」
パニックに陥っていた城内はガラッドの出陣により、どうにか落ち着きと希望を取り戻すのであった。