第61話 白に染まる世界
ピアーゼの街を占拠したベルナルドは、ノアとイングリッドを捜索するよう兵士達に命じた。
「イングリッドはどこだ。まだ見つからんのか」
「ベルナルド様。宿はもぬけの殻です。アークロイ公もノルン公もすでに街を出たものと思われます」
「申し上げます。アークロイ公の馬車はアークロイに向かって街を発ったとのことです。その馬車にはノルン公も乗っていたと」
「申し上げます。アークロイ方面から来た商人によると、馬車に乗っているイングリッド様の姿を見かけたとのことです。おそらくすでにアークロイへと亡命されたかと思われます」
(ええい。遅かったか)
ベルナルドは歯噛みした。
「とんでもない暴挙に出られましたね」
落ち着いた声の主が近づいてくる。
法王だった。
「まさか諸侯会議の場を襲撃する者が現れるとは」
「おお、これはこれは法王様。ご機嫌麗しゅうございます」
ベルナルドは法王の足下に跪く。
「ナイゼル公子ベルナルドよ。今回の神をも恐れぬ行動の真意をお聞かせくださいますか? いったい何を考えておられるのです?」
「私は決して諸侯会議を襲撃しようとか、法王様に弓を向けようなどと大それたことをするつもりはありません。私がここまで軍を進めたのはひとえにノルン公イングリッドとアークロイ公ノア、この両者の邪悪な企みを阻止しようとしたためです」
「ほう。して、その企みとは?」
「あの2人はかねてより私が保持していた権利。ノルン公国に貸し付けた資金を踏み倒し、姫と交わした婚約を不当にも反故にしようとしたのです。イングリッドは悪くありません。彼女はまだ世間知らずの娘。あのうつけ領主に誑かされているのです。あの成り上がり者の口車に乗り、手に入るはずもない自由と引き換えに自分の身分と財産を売り渡そうと愚かにも考えているのです。おお、可哀想に。愛しのイングリッド。あのような不埒な人間に関わったばかりに身を持ち崩し、世間から後ろ指を差されるようなことになろうとは。私は彼女の守護者として断じて奴を許すわけにはいきません」
「……神聖なる教会に世俗の諍い事はわかりかねますが、イングリッド姫は独立した国家の公主。彼女が自身の身と国家をどうしようと、あなたがとやかく口を出すことではないのでは?」
「ですから! 私は騙され、権利を侵害されようとしているのです。彼女がノアに売り渡そうとしている領地と身分。あれは私がいただくはずのものだったのです。ちゃんと彼女と約束もしていますし、国許にはそれを証する書状も大切に保管されております。法王様」
ベルナルドは懇願するように法王の足に縋りつく。
「私は完全なる被害者です。此度の進駐は不当に奪われた権利を回復するためのやむを得ない措置。私の正当性を認め、逆賊ノアの討滅を支持してくださいますね?」
「……俗世の争いは我々聖教会の関知するところではありません。ですが、あなたがアークロイ公に攻撃すること、これを私が支持することはできません。なぜならアークロイ公は現在、聖なる軍団を率いる司令官として我らが聖杖を保持し、その任に当たっているからです」
「なんですって!?」
「彼は現在、魔族軍によって包囲された聖城ゼーテを解放する任務についています。彼が聖城ゼーテを解放するその日まで、諸侯・領主は彼の魔族討伐を支援しなければなりません」
「法王様! あなたまであの男に騙されるのですか」
「ナイゼル公子、これは諸侯会議にて正式に決まったことだ」
法王の傍にいる聖女イリスが口を挟んだ。
「お主は言ったはずよの。諸侯会議を襲撃する意図はないと。であれば、諸侯会議の決議に異を申す必要もないはずだが?」
「ぐぬぬ」
ベルナルドはイリスに論破されて一瞬口ごもるが、すぐに別の方便を思いつく。
「わかりました。では、このようにいたしましょう。私が宣戦布告をするのはあくまでイングリッドに対してのみ。これはあの世間知らずのバカ娘、私の権利を蔑ろにしようとするあの不良娘を懲らしめ、お仕置きするためのものです。もっとも、あの娘が無駄な抵抗をしたり、往生際悪くアークロイ公にしがみつくようであれば、うっかり勢い余ってアークロイまで戦火が広がるやもしれませんが……」
「ベルナルド、何度も言うように神聖教会は俗世の諍いに関与することはありません。また、世は乱世。力無き者がどれだけ権利を主張したところで、神はその意を受け入れることはできません。自らの権利を認められたいなら、その力をもって示すように」
「そのお言葉だけで十分です。私の力でもって、私の権利をすべての者に認めさせましょう」
(ノア、このままで済むと思うなよ。私を侮辱した罪、その身をもって償ってもらうぞ)
やがて、冬が到来した。
大陸全土に深く雪が降り積もり、河川は凍りつく。
世界は閉ざされ、それぞれの地域の交通量は極端に減少する。
僻地アークロイと魔法文化圏マギアの間も凍った河と豪雪によって、隔たれた。
どの国の軍も活動をやめ、人々は年越しの準備を始める。
ナイゼル軍も例外ではなく、一時アークロイまで攻め込む勢いを見せたものの、雪と氷の白い大地に阻まれて、流石のベルナルドも進軍をやめて、自国に軍を引き返す他なかった。
イングリッドは亡命先のアークロイで冬を越すことになった。
聖城ゼーテでは魔軍四天王ゼプペスタによる包囲戦が続いた。
城内の兵達が潤沢な食料と水、燃料でぬくぬくと過ごす一方、城外の魔軍側は飢えと凍えから甚大な損害を被った。
ベルナルドの暴挙とイングリッドの亡命、ゼーテの情勢、に対して、諸外国がリアクションをとり、戦端が開かれるのは、春になるまで待たなければならない。