第60話 襲撃と亡命
12歳で学院を卒業して魔導騎士の称号を賜る。
16歳で魔法院入り。
いずれも最年少での国家記録。
天才の名を欲しいままにし、領主としての将来を嘱望されていた。
イングリッド自身もそんな周囲の期待に応える気満々だった。
そんな風に華々しい道を歩んできたイングリッドだったが、ノルン公となってからは逆境の連続、苦難の道のりだった。
彼女が領主になった途端、それまで仲のよかった魔法院の同僚達が突然豹変。
事あるごとに彼女の施策を妨害するようになる。
仕方なく彼女は一般兵でも使える魔法兵器、魔石銃の開発に着手。
領主直属の兵士を強化して国政の主導権を握ろうとするも今度はナイゼル公国が通商破壊を仕掛けてくる。
その背後にナイゼル第一公子ベルナルドがいるのは明らかだった。
学院時代からの友人であり、魔石開発を資金面で熱心に支援してくれたベルナルドの心変わりにイングリッドはショックを受ける。
同時に同盟国であるはずのジーフ公国に火事場泥棒同然に領土を掻っ攫われてしまう。
もはや信じられるのはノルン公室の人間と騎士ジアーナ・オークスしかいない。
誰の助けも借りずこの国難を乗り切るためには他の領主を欺いてでも出し抜くしかない。
そう心に決めて、アークロイ公を巻き込むべく、諸侯会議の場に乗り出したのだが……。
諸侯会議6日目。
議場には緩慢とした空気が漂っていた。
ほとんどの重要な議題は終わり、領主達は退屈そうに席に座って、他人の演説を聞いている。
あくびをする者までいるほどだった。
すでにピアーゼ領を去り、帰国した領主も多数いる。
イングリッドはずっとノアの隣に座って、ノアの顔色ばかり窺っていた。
「ねぇ。ノア」
「ん?」
「その今更だけど、本当にいいの? ノルンの借金を肩代わりしてもらって」
「はは。本当に今更だな」
イングリッドは恥ずかしそうに膝に目を落とす。
「イングリッド。俺は何も君が可哀想だから、借金を肩代わりしたってわけじゃない。君とノルン公国にそれだけの価値があると思ったから引き受けることにしたんだ」
「ノア……」
「だから、気に病む必要はないよ」
「でも、5万グラなんて。私、そんな額、一生かかっても返せるかどうか……」
イングリッドがそう言うと、ノアはちょっと考えこむ仕草をする。
(またこの顔だ)
昨日から、よく見せるこの顔。
黙り込んでいるのに遠くを見ているようなこの顔付き。
この表情を見ると、イングリッドはノアが自分よりずっと大人びて見えて、落ち着かなくなってしまう。
「その点は……心配しないでいい。いや、不安になるのはわかるんだけど。まあ、とにかくそれに関してはそこまで気に病む必要はない。君の気づいていないノルンの価値を俺が見つけられるかもしれないし……。あとは……うーん、上手く言えないけど、今はそれしか言えないかな」
そう言うとノアはまた黙り込んでしまう。
イングリッドはまたしてもソワソワと落ち着かなくなってくる。
(もぉー。何考えてるのよ、ノア)
「ま、とにかく金のことに関してはそこまで心配しなくていいよ。ただ、その代わり約束はちゃんと守ってもらうからな。港の提供と海軍の指揮、忘れるなよ?」
「わ、わかってるわよ。そのくらい私にだってできるわよ」
その後、ノアは砕けた態度で話しかけてくる。
イングリッドは無性にホッとした。
イングリッドは諸侯会議の面々に目を向ける。
どいつもこいつも腹に一物ありそうな悪そうな顔をしている。
(ずっと思ってた。国の代表なんて、みんな相手を利用して出し抜こうとする奴ばかり。信用できる人なんていない。この過酷な国際政治の世界を生き抜くには、多少相手を騙すのも仕方がない。ずっとそう思ってた。でも……)
イングリッドはノアの方をチラリと見た。
(ノアだけは違うのかも。ノアだけは信じて肩を寄せてもいいのかな?)
イングリッドは気づかれないようにノアの顔色を窺う。
さっきから何度もノアの顔を見ていた。
自分とそんなに歳も違わない男の人。
どうしてこんなに落ち着いてるのだろう。
その時、慌ただしく議場に駆けてくる伝令が一人。
「皆様に申し上げます。現在、この街ピアーゼに近づいている軍勢がおります。その数1万!」
「なんだと!?」
「ここを諸侯会議の場だと知ってのことか?」
「いったいどこのどいつだ。そんなバカなことをする輩は!」
「ナイゼル公国軍です!」
「なんですって!?」
イングリッドは思わず立ち上がってしまった。
(まさか。ベルナルドの奴、この会場を襲撃するつもり?)
会場中から冷ややかな視線がイングリッドとノアに注がれる。
ナイゼル公がイングリッドを追ってこの街に来ていたことはすでに各国領主達の耳に入っていた。
ノアとの間で一悶着あったことも。
「皆様におきましては対応を協議していただき……」
「冗談ではない。私は国に帰るぞ」
「くだらん痴話喧嘩に巻き込まれてたまるか!」
この場で最も地位の高い者達がそう言って席を立つと、他の者達もそれに続き、領主達は我先にと議場を後にする。
「ナイゼル公って、昨日、イングリッド様に絡んでいた方ですか?」
エルザがオタオタしながら聞いた。
「金返すって言ったことへの答えがこれかよ。無茶苦茶やりやがるな」
「ピアーゼおよび法王様の面子は丸潰れよの」
「ノア様っ」
「とにかく一旦ここを出よう。オフィーリアはナイゼル公の動きについて情報を集めてくれ。ドロシーは各国領主の動向を。エルザはいつでも宿から出られるよう、準備をするようみんなに言ってくれ」
ノア達も会場を後にして、それぞれ情報収集し、宿に戻る。
ピアーゼの街は騒然となった。
「ナイゼル軍はこのルートを辿って軍を進めているようです」
オフィーリアは地図をなぞりながら言った。
「この街に向かっているのはまず間違いないかと。それと同時にノルン方面に続く道に軍を展開しているようです」
「ノルン方面……」
(やはり、狙いはイングリッドか)
ベルナルドが軍を展開しているその先には、ノルン公国があった。
「先日の諍いが原因だとすれば……、この行軍は、街を急襲し、ノア様とイングリッド様お二方の身柄を押さえるのが目的ではないかと思われます」
「それと同時にイングリッドを帰国させないようにする……って狙いもありそうだな」
イングリッドがノアにノルンの統治権及び騎士の叙勲を果たすには、2人でノルン公国に赴く必要がある。
「諸侯会議を襲撃するなんてっ。ベルナルドの奴、なんてことをっ」
イングリッドはぎゅっと唇を噛み締める。
「他の領主達はダメじゃ。踏みとどまって戦おうとする者は1人もおらん。みんな一刻も速く帰国するつもりのようじゃ」
「ノア様。ここは一旦アークロイへと引き上げるのがよろしいかと」
「そうだな。ここにいる兵士100人ではどうにもならん。とにかく一旦帰るぞ」
ノアは馬車に乗り込む。
「イングリッド、君も」
ノアは馬車から手を差し出す。
イングリッドは躊躇いながらも、ノアの手を取る。
ノア達はイングリッドと共にピアーゼの街を後にした。
一行は一路、アークロイへと向かう。