第59話 ナイゼルの公子
「あなたの騎士になるに当たって、もう一つだけ条件があるんだけど」
イングリッドが言いにくそうに言った。
「条件?」
「魔法院の権限を認めて欲しいの」
「魔法院?」
「ああ、ごめん。魔法院っていうのは、魔法学院を卒業した魔導騎士の代表者で構成される領主の諮問機関だよ」
「ああ、そうか。マギア地方では、学院を卒業した者に魔導騎士の称号が与えられるんだっけ。で、魔導騎士達の意見をまとめて領主に具申するのが魔法院ってこと?」
「そう。マギア地方の国はどこもそうなんだけど、魔法院がかなりの力を持っていて、魔法院と領主の二元体制になっているの。魔法兵の指揮権は魔法院に属していて、それ以外の一般兵種は領主が指揮権を持っている。魔法兵を動かすには領主といえども、魔法院の賛同を得なければならない」
「なるほど。それほど魔法院の権限が強大なら、領主といえども魔法院の意向を無視することはできないってわけだね。だから、俺が領主に就任した際は魔法院の権威を承認して欲しいと」
「そういうこと。理解が速くて助かるわ」
「ふむ。なるほど」
こうなってくると魔法兵を動かすのはますます難しくなってくるだろう。
とはいえ、元々、飛び地だからノルン兵の動員は期待薄だし、ノアがノルンとの結び付きを強めたい最大の理由は、魔石銃用の魔石を手に入れることだ。
魔石銃に関してはアークロイでも生産できる目処は立っている。
「ちなみに魔石の取り扱いについてはどうなってるの? それも魔法院の管轄?」
「魔石については現領主である私の管轄になってるよ。採掘、加工、流通、すべて私が取り仕切っているから」
「へー。それはすごいな」
「ノルンは魔石銃を一般兵にも配備してるからね。魔石に関することだけは領主が実権を握っていなきゃ都合が悪いってことで、魔法院も認めてくれたの。私がノアの騎士になってもそれは変わらないよ。だから魔石と魔石銃の輸入については心配しないで」
(ふむ。それなら問題ないか)
ノアはそう思いつつも、この辺りにイングリッドの隠し事の根っこがあるんだろうなと直感した。
領主と魔法院による二元的な支配体制。
これだけでもなかなかややこしい問題だが、ナイゼル・ジーフとの外交問題、そしてノルン宮廷の財政問題。
ノアにも朧げながらイングリッドの悩みの種が見えてきた気がした。
「わかった。それでいいよ」
「ほんと? よかったぁ。ありがとう。理解してくれて」
「じゃあ代わりに俺の方からも条件いいかな?」
「うん。私にできることであれば」
「ノルン公国の港、その港湾に纏わる権利をすべて俺に渡して欲しいんだけど」
「港? いいよ。そんなものでよければ」
(やはり、港の価値に気づいてはいないか)
「で、やがては海軍を増強しようかと思ってるんだけど。場合によっては君に海軍の指揮を執って欲しいんだ」
「海軍かぁ。さっきも言ってたね」
イングリッドはちょっと苦笑いする。
その顔からは変なことに拘る人だな、と言いたげであった。
「確かに私は昔からヨットに乗ったり、海での遊びには慣れてるけど。海軍の指揮はどうかなぁ。私以外の人に任せた方がいいと思うけど」
「いや、これはぜひ君にやって欲しいんだ。なんとかならないかな?」
「ふふっ。わかったわ。新しい領主様の命令だものね。あなたの言う通りにするわよ。お気に召すまま、私を海軍でもなんでも使うといいわ。ご主人様」
イングリッドはそう言って、ウィンクした。
思わずドキリとするほど可憐な仕草だった。
そうして、馬車は宿へと辿り着いた。
ノアがドロシーに合図を送ると、ドロシー達は先に降りて、ノアとイングリッドを2人きりにしてくれる。
イングリッドはいつまでもノアが馬車から降りようとしないのに首を傾げる。
「どうかしたのノア? 宿に着いたよ?」
「イングリッド」
「ん? 何?」
「やっぱりすべてを打ち明けるのは無理なのか?」
ノアがそう聞くとイングリッドはぎくりとする。
「な、何言ってるの? どうしたの急に?」
「君にはオフィーリアを助けてもらった恩がある。だから、俺にできることがあれば、君のために力を尽くしたい。けれども、君が何を悩んでいるのか打ち明けてくれないと、どうやっても君の力になることはできない」
「……」
「やっぱりお互い隠し事をしながらでないと、アークロイとノルンの関係は成立しないのか?」
「な、何言ってるのよノア。私は何も隠し事なんてしてないって。ほら。いつまでも馬車の中にいたらみんなを待たせちゃうよ。はやく降りよ」
イングリッドはノアを押し出すようにして下車を促した。
ノアは仕方なく馬車から降りる。
(やはり、完全な味方にはなれないのか)
悲しいが、イングリッドとは今後も駆け引きしながら付き合う仲になるようだった。
時に騙し合い、時に対立することになるだろう。
宿に入ろうとすると、ノアは宿に昨日まではなかった馬車が新たに停まっていることに気づいた。
「あれ? こんな馬車あったっけ?」
「新しい宿泊客でしょうか」
オフィーリアが訝しむように言った。
「いや、そんなはずは……」
この宿は諸侯会議のため、ノア一行とイングリッド一行のために貸し切りにされているはずだった。
新たに宿泊客を受け入れることはないはずだ。
「どうしたのノア?」
「いや、なんかよく分かんない馬車が……」
「はぁ? 誰よ。諸侯会議の最中に私達の宿に割り込むバカは……あっ」
イングリッドは馬車の紋様を見て青ざめる。
「イングリッド。イングリッドじゃないか。ようやく会えた」
ネットリした声と共に頬骨の突き出た青白い顔色の男が馬車から降りてくる。
「あんたは……ベルナルド」
「さぁ、迎えに来てあげたよ。早くこの馬車に乗って、帰ろう」
「ひっ」
イングリッドは明らかに引いていた。
「知り合いか?」
ノアはジアーナに尋ねる。
「ええ。ナイゼル公国の第一公子ベルナルド。我がノルン公国に対する最大の出資者ですわ」
「出資者?」
(どういうことだ? ナイゼルはノルンの通商を破壊してる敵対国のはずだろ? それがなんでノルンに資金を提供しているんだ?)
ジアーナは額に手を当てて、あちゃー、とでも言いたげだった。
まるで何か重要な交渉が破談に終わったかのような素振りであった。
「ダメじゃないか。僕の許可なくこんなところに来て」
「なっ、何言ってんのよ。なんで、私が領主として行動するのにあんたの許可を得なければならないのよ。勝手なこと言わないで」
「? それこそ何を言っているんだい。君はもう僕のものじゃないか。君は僕の婚約者なんだから」
「はぁ? 婚約なんてしてないわよ。いい加減なこと言わないで」
「そんな風に意地を張っていいのかな? ノルンの魔法院はすでに借金漬けで火の車なんだろう?」
ベルナルドはニヤリといやらしい笑みを浮かべた。
「もう金集めに奔走するのも疲れただろう。僕と結婚すればすべての苦しみから解放されるよ」
「はぁ? 誰があんたなんかと結婚なんてするもんですか。あんたと結婚したら敵国にノルンの魔石技術が流出しちゃうじゃない」
「敵国? 何を言ってるんだい? 君と僕が結婚すればノルンはナイゼルの領地になる。そうなれば敵国も何もないだろう?」
「とぼけたこと言って! あんたがノルンの財政を悪化させるために何やってたか。全部知ってるんだから! このストーカー!」
「ふん。僕がノルンの財政を悪化させる? いったい何のことかな? よしんばそうだとしても、貸した金は期限までに返してもらう。それは当然のことだと思うがな」
「くっ」
イングリッドは悔しそうに歯軋りする。
「どのみち借金を返さないとなれば、君は魔法院からの支持を失うことになる。そうなると困るのは君の方なんじゃないのかい?」
「困らないわよ。私にはこの人がいるんだから!」
イングリッドはノアの腕を取って、しがみつく。
すると、ベルナルドは目に見えて嫉妬の感情を剥き出しにする。
「なんだ貴様は! 私は城9つ持ちのナイゼル公国第一公子ベルナルドだぞ。いったい城幾つ持ちだから私の婚約者に手を出そうとしている?」
「お前こそいきなりなんだ。さっきからイングリッドによく分からない絡み方をして。それに城9つ持ちと言っても、それは親の実力であって、お前の実力ではないだろ」
「貴様ぁ。この私を愚弄する気かぁ!?」
「……先にマウント取ってきたのはそっちだろ」
「落ち着いてくださいませ。ベルナルド様。ここは国際会議の場。領主同士の喧嘩は御法度ですわよ」
ジアーナが宥めるように言った。
「オークス。困るじゃないか。イングリッドはまだものの道理も分からない小娘。君がしっかりと監督してくれなきゃあ」
「はぁ? 誰が小娘よ」
「ベルナルド様。どうか落ち着いてくださいませ。イングリッド様にこのお方との同盟を薦めたのは私ですわ」
「なんだと!?」
「このお方はアークロイ公ノア様ですわ。姫は先ほどノア様の騎士になると約束を取り付けられたところです。まだ口頭での合意に留まりますが」
「アークロイ公……。ちっ、ユーベル大公領のうつけ、僻地の暴れん坊か」
ベルナルドは忌々しげにしつつも、ある程度事情を察したのか落ち着きを取り戻す。
「おい、貴様。この娘が、ノルンがどれだけの借金をしているのか、知っているのか?」
「? ああ。1万グラだろ?」
「ふん。やはり知らないか。実際にはその5倍の5万グラだ」
「なっ。いい加減なこと言わないで。5万グラの負債を抱えているのは魔法院よ」
「その魔法院の負債は最終的にノルン公国が抱えると法律で定められているだろうが!」
「……っ」
痛いところを突かれて、イングリッドはうっと言葉に詰まった。
(5倍! 税収の約5倍の負債!?)
なるほど。
それではどう逆立ちしても返済は不可能だろう。
そして、そんな不良債権を抱え込もうとする奴もまずいない。
ノアはようやくイングリッドの背後の事情が分かってきた。
(なるほど。話が見えてきたぞ。ノルンとナイゼル、イングリッドとベルナルドの愛憎模様が)
イングリッドとベルナルドは当初、有望な投資先と気前のいい出資者として良好な関係を築いていた。
しかし、途中からベルナルドはノルンの魔石技術およびイングリッドとの婚約を欲するようになり、裏でノルンの足を引っ張るようになる。
ノルンに対して通商破壊を仕掛け、交易を滞らせてノルン魔法院の財政に打撃を与える。
そうこうしているうちにノルン魔法院の財政は逼迫し、ナイゼル公国はノルンに対して、ベルナルドとイングリッドの婚約、すなわちノルンそのものを要求するようになる。
イングリッドは自国に通商破壊を仕掛けてくるナイゼルに魔石技術を渡したくないから新たな出資者を募るべく、探した。
そして見つけたのがアークロイ公ノアだったというわけである。
経済力と軍事力を持つアークロイ公の力を借りれば、ナイゼルへの負債を返済することができる。
が、税収の5倍もの負債を背負ってくれるとは到底思えない。
そこで一計を案じた。
領主と魔法院の二元体制から実際の負債額が把握しづらいのをいいことに、負債額を隠したままノアに近づいて、ノルン領主の地位を餌に借金を肩代わりさせようとした。
(そんなところか)
だが、あと一つだけわからないことがあった。
「ジアーナ」
「はい。なんでしょう」
ノアはジアーナに小声で話しかける。
「姫の事情はだいたいわかった。だが、それならなぜ最初から騎士になると申し出なかったんだ? 会議3日目から突然態度が変わったように思えたが……」
「ああ、そのことですか」
ジアーナは諦めたようにため息を吐く。
「もうここまできた以上、隠し事をしても仕方ありませんわね。いいでしょう。すべてお話ししますわ。当初の我々のプランには、姫があなたと結婚するというオプションもありました」
「は?」
オフィーリアがまたピクリと顔を強張らせる。
「オプションというよりも第一目標ですわね。到底返すことのできない莫大な借金、これを飲んでもらうにはそれなりの誠意を見せる必要がある。そこで結婚です。イングリッド様の美しさはまあ、身内贔屓もありますが、当代随一といって差し支えないかと思います。姫様の美貌とノルンの魔石銃を供与すれば、ノア様も条件を飲んでくれるのではないかと思って」
(なるほど。それで初対面なのに、あんなに顔を赤らめていたのか)
「そしてイングリッド様も実際にノア様を見たところ、まあ、お相手として申し分ないという結論になって、婚約のオペレーションを進めようとしたのですが、いかんせん姫様もあの性格、意地っ張りです故、自分から結婚を申し込むのは恥ずかしいということで、なかなか踏ん切りがつかずにいたのですが、ノア様とルドルフ様の会議におけるあのお振舞い。おそらくノア様は大公家との縁が薄いのではないかと思って、プランBに移行することになりました。すなわち騎士となって、借金を肩代わりしていただくという方法です」
「ん? ちょっと待って。なんで、俺が大公家との繋がりが薄いと騎士になろうってことになんの?」
「大公家のルドルフ様がナイゼル公に借りがあるためですわ」
「借り?」
「ルドルフ様はベルナルド様に多額の借金をされているのです」
(ルドルフもベルナルドから金借りてたのかよ)
「ノア様の騎士となって借金を肩代わりしていただいても、ノア様が大公家と近しいようであれば、結局、ルドルフ様に貸しのあるナイゼル公に配慮しなければならなくなり、魔法院と魔石技術を差し押さえられてしまいます。しかし、ノア様が大公家と疎遠であるようなら、いっそのこと騎士となって領主権ごと明け渡しても差し支えない。姫様としても自分から求婚する必要もなくなり、プライドが傷付くこともないということですわ」
「ドロシー。お前、この情報知ってたのか?」
ノアが聞くとドロシーは神妙な顔になる。
「ノルン公とナイゼル公が対立しているように見えて、実は裏で繋がっているんじゃないかという噂は掴んでおった。しかし、まさかベルナルドがノルンの魔法院に対して多額の貸付を行なっていたとは……」
ドロシーは話しながら悔しそうにする。
「ふん。最初からノア様を利用するつもりで近づいてきたというわけか。策士策に溺れるというやつだな」
オフィーリアが辛辣な口調で言った。
「ただ、こんなことを言っても言い訳にしかなりませんが、姫がノア様に並々ならぬご好意と敬意を抱いておられたのは本当です。姫様も大国への従属よりも独立志向を選ばれた身。そんな中、同じ独立と孤立を選び、自分以上に強く生きておられるノア様には、共感と尊敬の念を感じておられました。そして、ノア様の騎士として働くことも楽しみにしておられました。それだけに残念でなりません。初めから姫様が恥ずかしがらず正直に借金のことを打ち明け、ノア様と婚約することを選んでおられれば……」
(さて、どうしたもんかな。この状況)
ノアは自身の境遇をイングリッドに重ねてみた。
実家から追放されて孤立無援とはいえノアにはオフィーリアがいたし、アークロイでも同等レベルのライバルしかいなかった。
一方で、イングリッドはどうだろう。
技術大国とはいえ国力の上では小国。
国の内側を見れば不安定な二元体制に財政難の国政、外側を見ればナイゼル・ジーフと2つの大国に圧迫されている。
おまけに信じていた支援者にも裏切られ、経験が浅いのをいいことに足元を掬われるような形で国益をむしり取られようとしている。
いかに乱世とはいえ、小国なのをいいことに味方のふりをして近づき、技術をむしりとり、婚約を強いるナイゼルのやり方はいかがなものだろうか。
そしてノアは彼女に借りがある。
(よし。決めた)
考えをまとめたノアは、まだ言い争っているイングリッドとベルナルドの方に歩み寄る。
「だいたい事情は分かった。おい、イングリッド」
「な、何よ!」
イングリッドは目尻に涙を浮かべながら応じた。
「お前の借金、俺が肩代わりしてやる」
「「……えっ?」」
イングリッドもベルナルドも間の抜けた声を出す。
「だから、俺の騎士になれ」
「う、うそ。肩代わりしてくれるの?」
(な、何よ。その漢気。私はあんたを騙そうとしたのに。そんなことされたら、本当に好きになっちゃうじゃないの)
「ノ、ノア。分かってるの? 5万グラだよ? 国家歳入の5倍の借金だよ? そんなに払えるの?」
「ああ。耳を揃えて払ってやるよ。お前には俺の部下を助けてもらった恩もあるしな」
「わーい。ありがとうノア」
イングリッドはノアに抱きついた。
「その代わり肩代わりした分は、ちゃんと騎士として働いてもらうぞ」
「うん。あなたのために尽くすわご主人様」
「って、ちょっと待てーい」
ベルナルドが叫んだ。
「ふざけるなよ。今までイングリッドにずっと金を貸し続けてきたのはこの私だぞ。私はイングリッドの恩人なのだ。貴様のようなポッと出の男が取って代わるだと? そんなことがあっていいと思ってるのか!?」
「だから、金は俺が代わりに払うって言ってんだろ。何が不満なんだよ」
「貴様なんぞから金は受け取らん!」
「ん? じゃあ、返済はしないでいいってこと?」
「返済は請求する!」
「じゃあ、金を受け取れよ」
「金は受け取らん!」
「……」
(なるほど。これはちょっと難儀な相手だな)
イングリッドが関係を解消したがるのも分かる気がした。
「まあ、とにかく金を返済する意思は伝えたぞ。あとはお前次第だから。考えがまとまったら連絡してくれ。いくぞ。イングリッド」
「あ、うん」
「あっ。おい、ちょっと待て!」
ベルナルドの制止も聞かずノアはイングリッドを連れて宿屋に入っていった。
ベルナルドは拳をワナワナと震わせる。
(おのれ。アークロイ。このままでは済まさんぞ)