第56話 舞い降りた杖
「アークロイ公ノアよ。あなたはこの神の御前で開かれた会議において、神聖なる役目を賜りました。あなたは今後、どんな困難が待ち受けていようとも、魔族の手から聖城ゼーテを取り戻さなければなりません」
ノアは法王から聖教会軍の総司令官の杖を受け取る。
「諸侯達よ。神に導かれし子達よ。あなた方はアークロイ公に惜しみない援助をしなければなりません。彼が聖城ゼーテを取り戻すその日まで」
法王がそう締め括ることでその日の会議はお開きとなった。
「ちいっ。あの目立ちたがり屋が。自分一人でゼーテを奪還できるだと? できもしねーことを嘯きやがって」
【鉄壁】のブリックは聖杖をいただくノアを忌々しげに見ながら言った。
「ふう。だが、これでハッキリしたな」
【剣聖】マクギルが言った。
「あいつはバカだってことだ。やっぱ、アークロイを統一したのはマグレってことだろうな」
「もう一つハッキリしたことがあります」
【弓聖】ホーカーが言った。
「……と言うと?」
「ルドルフ・フォン・ユーベルの動きですよ。あの立ち回りから察するにやはりユーベル大公とアークロイ公は決して一枚岩じゃない。お互い利用し合う関係であり、むしろいつでも切り捨てられる関係だということです」
「ほーう。それじゃあ、あいつは大した後ろ盾もないまま聖城ゼーテの奪還を請け負っちまったわけか」
「しかも、ゼーテ奪還は失敗する見込みが高い。だとすれば……」
3人は顔を見合わせる。
(((取れるぞ。アークロイ領)))
「今の見た? ノアとルドルフのやり取り」
イングリッドはジアーナに向かって聞いた。
「確かに見ましたわ。姫」
「これでハッキリしたわね」
「ええ。おそらくユーベル大公とアークロイ公の絆は相当浅い」
「だとすれば、決めたわジアーナ。私、アークロイ公と同盟を強化する。ノアにノルンの領主になってもらうわ」
他の各諸侯・領主達もノアの動きに対してそれぞれ反応を見せていた。
重責から解放されてホッとしている者達。
逆にアークロイ公の没落を見越して、早くも僻地の土地や利権にあやかろうと策謀を巡らせる者達。
それらの流れを見て、生き残りのために自身の身の置き方を見極めようとする者達。
策謀にあやかろうとする者、ふりかかる火の粉を払おうとする者、静観を決め込もうとする者、それぞれが忙しそうに立ち回り始める。
聖城ゼーテ。
神聖教会の聖地として長らく多くの巡礼者を迎え、その古色蒼然とした威容を誇ってきたこの城は、今、魔族軍の手によってまもなく陥落しようとしていた。
城壁の周囲、そして地平線まで続く辺り一面、異形の魔族達によって取り囲まれている。
城に面した湖は干涸び、森は根こそぎ枯れ果て、田畑はすべて踏み荒らされている。
まさしく不毛の土地と成り果てていた。
「うう。もうだめだ。この城は」
城の守備兵達は誰もが絶望に打ちひしがれている。
この城は敵に包囲されて半年以上。
もはや食料も尽きかけて、援軍も来ない。
降伏するしかなかった。
だが、はたして降伏など受け入れてもらえるのだろうか?
城を取り囲むは魔族達。
決して相容れることのできない異形の化け物達だ。
彼らに捕まった者達は目の前で八つ裂きにされ食われた。
この城も明け渡した途端、彼らによって蹂躙され、陵辱され、骨まで残らずしゃぶり尽くされてしまうだろう。
助かる道は1つだけ。
玉砕覚悟で突っ込むのみ。
しかし、それをしたところでいったい何になるというのだろう。
敵は10万の軍勢。
こちらはせいぜい1万。
玉砕覚悟で突撃したところでたちまちのうちに返り討ちにされ、踏み潰されてしまうのがオチだった。
地の果てまで埋め尽くすような大軍を前に突破は不可能だ。
城兵達はこのまま餓死するのを待つほかなかった。
信仰心の強いゼーテの守備隊長は、この聖城の防衛に人一倍熱意を持って取り組み、部下達を鼓舞し続けてきたが、それも限界を迎えていた。
痩せこけた城兵達の顔を見て、心は折れそうだった。
もはや跪いて神に祈りを捧げるしかない。
「どうか神よ。我らに救いを」
その願いは聞き届けられた。
聖杖が天から落ちてくる。
「!? みんな見ろ!」
「これは神聖教会軍、総司令官が持つことを許される聖杖!?」
「いったいなぜこれがこんなところに……」
そうして驚いていると、箒に乗った娘が空からフワリと降りてくる。
白い帽子と衣服に覆われた神聖魔女ルーシーである。
「あの、救援に訪れました」
守備隊長はキョトンとする。
(な、なんだこの娘は。魔女? だが、この聖杖と衣服は明らかに神聖教会のもの)
「き、君はいったい……」
「私はアークロイ公ノア様の騎士ルーシーです」
「アークロイ公……?」
「この度、アークロイ公ノア様は、諸侯会議において神聖教会総司令官に任命されました。つきましては今後、私がこの城への補給を担当させていただきます。以後、よろしくお願いします」
「いや、補給と言っても……」
「食料は倉庫に入れておいたので、ご確認お願いします」
「?」
その時、倉庫の方からワッと歓声が湧き上がった。
「みんな、見ろ!」
「倉庫が食料でいっぱいになっているぞ」
「本当だ」
「薪と水もある」
「奇跡だ!」
「しかし、いったいどうして……」
守備隊長も倉庫にぎっしりと詰まっている食料袋が目に入った。
ゆうに1ヶ月は持ちそうなほどの量だった。
守備隊長は思わずルーシーの方を見た。
「まさか……君がやったのか?」
「ノア様による計らいです」
ルーシーは恥ずかしそうにはにかむ。
「こちらに受け取りのサインだけお願いできますか? あ、料金は後払いで結構です。魔族が退却したあとでいただきますね」
守備隊長はサインする。
「他に何かご入用のものなどありますか?」
「えっ? そうだな。矢や投石用の岩、敵に浴びせる油などがあれば助かるが……」
「かしこまりました。では、明日また来ますね」
「えっ? ちょっ……」
「では、また!」
ルーシーは箒に乗って飛び立つ。
守備隊長は狐につままれたような気分でそれを見送った。
「助かった……のか?」
その日、城兵達は久しぶりにたらふく食事をとることができた。
アークロイ領の印字が押された食料袋を神棚に乗せて拝み倒す兵士達までいるほどだった。
聖城ゼーテに籠る兵士達はその後も籠城を続けた。
やがて、魔族軍の方が先に食糧が尽きて、撤退し、ゼーテの守備兵達は新たな王の名を叫ぶことになる。
聖城が解放され、その知らせが領主達の耳に届くのは諸侯会議が終わった何ヶ月も後のことである。
守備兵の人数を2千→1万に変更しました。