第49話 ドロシーの諜報活動
ドロシーの配属された家畜小屋には、動物達が集まっていた。
牛や豚の上には鳥達が乗って、その嘴で毛繕いしている。
野良猫や野良犬も集まってじゃれあっている。
ドロシーを中心にして輪を描くように動物達は共生していた。
そこはさながら失われた楽園のようだった。
特に彼女はカラスを好んで、自分の周囲に侍らせていた。
カラス達は彼女の肩や腕に密集して取り付いており、重なりあった黒い羽はまるで毛皮のようだった。
「家畜の世話、捗っているようだね」
カラスに包まれて自分の世界に浸っているドロシーにノアは声をかける。
「厩舎の管理人も感謝してたよ。君が来てから牛や馬が大人しくしてくれる。カラスが勝手に餌を奪っていかなくなったって」
ドロシーは憂いを帯びた目でノアのことを見る。
「どうやら、スキル翻訳に目覚めたようだね」
「坊っちゃまはわかっておられたのですか? 私にこのような力があることを」
「ああ。君のスキル翻訳は異種族とも自在にコミュニケーションを取ることができる。俺にはわかるんだ。君の中に眠る才能が」
「そう。あなたも世界の真実に『触れ』てしまったのね」
「えっ!?」
「まだ自覚がないのね。でも、いずれ嫌でもわかることになるわ。あなたのその能力がどこから来たのか。それは世界の真実に『触れ』たもののみが授かる能力」
(ああ、そういう演技……っていうか設定か)
ノアは乗ることにした。
「じゃあ、俺の記憶に欠落があるのも。その真実に『触れ』たせいなのか?」
「記憶!? くっ、まさかあいつらっ。組織の奴らそこまでっ」
「組織?」
「残念だけど、今の私にそれ以上のことは言えない。君の記憶が……」
「ちょっと、君!」
物陰に隠れていたオフィーリアが割り込んでくる。
「!?」
「さっきから失礼じゃないか。召使いの分際で坊っちゃまに対してタメ口で話して……」
「あっ、あびゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ドロシーは茂みに頭から突っ込んだ。
「だっ、誰か。誰か私を世界から隠してっ」
「先ほどは失礼しました。取り乱してしまって」
「いや、気にするな。こっちこそすまない。オフィーリアを忍ばせているのを黙っていて」
ノアの部屋でドロシーは落ち着きを取り戻していた。
「けれども、ノア様のおかげで私も自信がつきました。私にもできることがあるんだなって」
「そっか。それはよかった」
「私にできることがあればなんでもおっしゃってください。ノア様のために尽力させていただきます」
「そうか。それじゃ、ちょっと潜入任務をやってもらおうかな」
「……えっ?」
「ルドルフのメイド長に変装して、ちょっと向こうの内情を探ってきて欲しい」
「そんな。変装に潜入なんて私にはとても……」
ノアはテーブルの上にカツラとメイド長の衣服をのせる。
ルドルフのメイド達は食堂でサボっていた。
「ねー、いいの? 何にも仕事しなくて」
「いいのいいの。今日、メイド長休みだし」
「たまにはこうしてハメを外さないと体保たないっしょ」
「それもそっか」
「キャハハ」
「ちょっとあなた達!」
扉が開いて突然、メイド長が入ってくる。
「えっ? メイド長!?」
「ど、どうして。今日、休みだったはずじゃ」
「こんなことだろうと思って、出勤してきたのよ」
「ひっ、す、すみません」
「あの、これは、その……」
「言い訳言ってる暇があるなら、さっさと手を動かしなさい。はい。さっさと働く」
「はっ、はいい」
その日、ドロシーはルドルフ配下の召使い達を統括するメイド長に成り替わり、可能な限り情報を引き出してノアの元に帰るのであった。
(本当にやってしまった)
ドロシーは自室に帰った後、自分のしでかしたことに震えが止まらなかった。
かつて、自分を排斥した集団の中に潜入し、あたかも集団のリーダーであるかのように振る舞って、バレずにまんまと1日を過ごしてしまった。
(どこまでが素の私で、どこまでが演技の中の私なの)
もはや自分でも自分のことがわからなかった。
その日から、ドロシーはちょくちょくルドルフの家来達に潜入して、ノアのために情報工作するのであった。
そうして、ノアの下で楽しく過ごしていたドロシーだが、やがて別れの時が来た。
「独立!?」
「ああ、俺はこの家から独立しようと思う」
「組織から独立してどうやって生きていくっていうのよ。私達は組織の中でしか生きていけないのよ」
「アークロイに独立国を作る」
「そう。あなたにはオフィーリアさんがいるものね。私はもうお払い箱ってわけ。私には国政を司どるようなスキルはないものね。さようなら。あなたと一緒にいたずらできた時間、とても楽しかったわ」
ドロシーはそう言って踵を返すものの、チラチラっと視線を送って「自分も連れて行ってくれないかなー」と期待の眼差しを暗に向けた。
「国際魔法都市っていうのがあってだな。そこの魔法学院に特待生制度があるそうだ」
(なっ、魔法学院? なんて厨二心をくすぐる響きっ)
ドロシーは食い付いた。
「そのカリキュラムの一つに外交を学べる学科があるそうだ」
「外交……」
「学院を卒業すれば騎士の身分ももらえるらしい。行ってみないか?」
「行きますっ」
そうして、ドロシーは国際魔法都市ワルティエへと赴き、魔法学院の入学試験に挑戦した。
動物と意思疎通できる彼女は、余裕で特待生の地位を勝ち取り、奨学金と共に迎え入れられた。
彼女は特に竜との会話を通して学院で頭角を現していった。
大公領ではノアがメイドをドラゴンテイマーにしたことがバレて、大公をブチギレさせた。
彼女が学院に通っている間、ノアは彼女の操るカラスを通して、連絡を取り合っていた。
今回、満を持しての召喚というわけである。
(厨二病に磨きがかかっていたな。以前は青春異能力系厨二病だったのに、今や魔王復活系厨二。いや、そこはどうでもいいか)
ドロシー
外交:A(↑5)
翻訳:S(↑5)
演技:A(↑1)
謀略:A(↑4)
(以前から元々高かった翻訳と演技に加え、外交と謀略もAクラスまで上がっていた。翻訳スキルでは竜をも自在に操るほどの力のようだし、演技にも磨きがかかっている。外交と謀略も少し地図と勢力図を見せるだけであっさりと要点を理解し、具体策を掲げてみせた。どれだけ成長したのか、見せてもらうぜ)
その後、ドロシーは配下のカラス達やアークロイ公御用達の商人達を通じて、ユーベル大公領との間にある国々の内情を調べた。
するとすぐに彼らがアークロイ公とユーベル大公領のどちらにも強い恐怖を抱いていることがわかった。
彼らの国々には、ノアに憧れ、主人を裏切ってアークロイ領に鞍替えしようとする若い騎士達がいた。
また、ルドルフの関税ゼロ政策は自国に侵略する前段階ではないかと警戒していた。
こういった間の国々の領主達の心情を察したドロシーは、彼らに裏切ろうとしている騎士達の情報を流した。
彼らはこれらの情報に飛びついた。
ドロシーからの情報を受け取ろうと頻繁に書簡のやり取りを行おうとする。
ドロシーは裏切ろうとしている騎士達の裏切りの証拠その他内情まで流して、領主達がいつでも彼らを処罰できるようにしておいた。
また、ドロシーはユーベル大公国が彼らを勢力下に組み込もうとしていると吹き込み、条約を結ばないよう唆す。
彼らはドロシーからもたらされる情報の正確さに驚き、ドロシーへの依存を深めていく。
アークロイ公との外交を積極的に進め、逆に大公領との外交には消極的になる。
こうしてドロシーは間の国々をアークロイ側に靡かせることに成功した。
ルドルフの思惑は早くも頓挫したと言える。