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第32話 ヴァーノンの憂鬱

 オフィーリアがまだ大公領でノアに仕えるメイドだった頃のこと。


 オフィーリアはソワソワしながら、ノアがアルベルトに交渉するのを柱の陰から見守っていた。


「どうにかなりませんか兄上」


「ノア、お前もなかなかしつこい奴だな」


「彼女の土地と身分を奪ったやり口は、とても大貴族にあるまじき行いです。このようなことが我が大公領で(まか)り通っていると知られれば、天下の笑い物です。父上の沽券に関わることとなるでしょう。彼女に土地を返し、騎士階級の身分に戻してあげてください」


「しかし、父上の決定だ。それを(ひるがえ)すことは大公である父上が過ちを認めることになる。召使いの娘に対して、過ちを認め、謝罪するなどそれこそ大公としてあるまじき行為だ。家臣諸卿らの反発を招くことは必至だろう」


「そこをどうにかするのが政治の知恵かと存じます。何も頭を下げる必要はありません。ただ、彼女が本来受け取るべき土地と権利、身分を彼女に返還するだけです。何らかの皆が納得するような口実を設ければ決して難しいことではないでしょう」


「金銭で報いるのではダメなのか?」


「兄上、それでは誤魔化しです。彼女のことはどうか騎士階級としてそれに相応しい扱いをしてあげてください」


「分からんな。なぜお前があの娘にそこまで(こだわ)るのか」


「彼女は真の忠義の士。こちらが信義に報いれば報いるほど強い忠誠心を持ってくれるはずです」


「なぜ、そんなことがお前にわかる。この乱世において将来のことなんて誰にも分からないじゃないか」


「未来のことは過去や現状からでもある程度推測することができます。彼女は一度たりともこの家や主人である私に背いたりはしませんでした。むしろ、計り知れないほど貢献してくれています」


「ダメだ。今の彼女は召使いに過ぎん。彼女だけ特別扱いするわけにはいかない」


 オフィーリアは涙を流しながら2人の会話を聞いていた。


 彼女が胸を痛めるのは、アルベルトの冷たさにではなく、ノアの自分に対する献身にだった。


(ノア様は一切自分のためにならないことのために、兄君や父君と戦っておられる。ただひとえに私と両親の誇りを守るためだけに)


 結局、ノアはアルベルトを説得することはできず、オフィーリアの下に帰ってくる。


「すまないオフィーリア。残念ながら兄上を説得することはできなかった」


「ノア様、もう充分です。あなたは充分私のために働いてくださいました。今度は私があなたのために忠義を尽くす番です。今後、私はあなたのためだけに忠誠を尽くす騎士となります」




「よく来たな。騎士ヴァーノンよ」


 ノアは訪れた騎士ヴァーノンを鷹揚に迎えた。


「父上や兄上達は元気か?」


「は。至って壮健でございます」


「それで。(くだん)のクルックとのイザコザについては、父上はちゃんと訂正してくれたのか?」


「は。それが何分(なにぶん)ユーベル大公もアングリンの砦攻略戦や敵国によって引き起こされた暴動の鎮圧に忙しく、なかなかそこまでは手が回らないようです」


「……そうか」


 ノアはため息を吐く。


 ノアはすでにアルベルトの砦攻略にまつわる失態も、暴動がイアンの統治の失敗であることも知っていた。


 そして、大公がそれを国内で揉み消そうと躍起になっていることも。


 また、おそらく大公が体面から自分の失敗を認めたがらず、先延ばしにしていることもなんとなく察していた。


(まったく、父上にも困ったものだ。見込みのない兄上達の活動に躍起になって、すでに獲得した領地の確定を疎かにするとは)


 クルックはいまだニーグル大公領にて健在で、失地回復のために策動していた。


 アークロイの残りの3国がノアに対して敵対姿勢を崩さないのも大公がノアの手柄を承認しないことに付け込めると考えているからだ。


 ノアとしてはさっさと誤認から生まれた領土返還命令を撤回して欲しいところだが、この分では兄上達が一定の成功を収めるまでしばらくの間、放ったらかしにされそうだった。


「まあいい。なるべく早く撤回するよう父上に再度催促しておいてくれ」


「善処いたします」


(それにしても……)


 騎士ヴァーノンは少し見ないうちにすっかり変わったアークロイ領と城下町の様子に驚いていた。


 その賑やかさはユーベル大公領に引けを取らない。


 むしろユーベル大公領の都心よりも活気があるように思われた。


 城内に出入りしている商人達は騎士ヴァーノンでも知っている大商会の者達ばかりだ。


(戦争だけでなく、内政も上手くこなしているのかノア様は……)


 それも一時的な好景気とは思えない。


 浮かれすぎない地に足ついた発展ぶりのように思えた。


 ヴァーノンとしては複雑な気分にならずにはいられない。


 主君の親族が栄えているのは喜ばしいことだが、これでまた大公の機嫌を損ねる報告をしなければならない。


「ところでノア様。オフィーリア殿はどこに?」


「オフィーリアならこの部屋にいるぞ」


「は? しかし、見たところこの中には……あっ!」


(まさか。この麗人が?)


 ヴァーノンはまたしても驚きを隠せなかった。


 メイド服を着ていた頃も愛らしかったし、騎士の姿でいる時も神々しさを伴う美人だったが、ドレスを着るとまさかこれほどの美人になるとは。


 ヴァーノンは流石に場数を踏んでいることもあって、オフィーリアのドレス姿を見ても、一瞬チラ見するに(とど)めただけだったが、オフィーリアと気づくことはできなかった。


 ユーベル大公領でもこれほどの美人にはまずお目にかかれないだろう。


 オフィーリアはヴァーノンの様子を見てクスクスと笑う。


「これは見違えました。まさかオフィーリア殿のドレス姿がこれほど(あで)やかだとは。ユーベル大公領広しといえどもこれほどの美人、まずお目にかかれないでしょう」


「まあ、お上手ですこと」


「オフィーリアに何か用があって来たのか?」


「は。その件につきましては後ほどオフィーリア殿と差し向かいで話し合うことができればと存じます」


「? この場で話すことはできないのか?」


「オフィーリア殿にだけ伝えるようにと厳命されております」


「オフィーリアは俺の騎士なのに?」


「は。アルベルト、イアン両殿下からの厳命でございます」


 ノアはなんとなく用件を察して渋い顔をした。


 オフィーリアも迷惑そうに顔をしかめる。


 ただ、せっかく来てくれたヴァーノンに悪いし、大公の客とこじれたとなればただでさえ敵対的な3国をいたずらに勢いづけてしまうだけだろう。


 ノアは内心の不快感を抑えて、寛大に振る舞った。


「まあ、いいだろう。オフィーリア、そう機嫌を損ねずにあとで話を聞いてやれ」


「……」


 オフィーリアは無言で不快げにヴァーノンから顔を背ける。


 ヴァーノンはその場を無難に切り抜けて、オフィーリアと差し向かいの場を作ることに成功する。




「それで? 私に用というのはいったいなんです?」


 オフィーリアは不機嫌そうに騎士ヴァーノンに尋ねた。


 ただし、もはやドレス姿は見せてやらず、騎士姿に変わっていた。


「は。アルベルト、イアン両殿下からのお言付けでございます。大公領に帰ってくる気はないかとのことです。アルベルト殿下の幕僚に加わることを許可する。もし、帰ってくるのなら、褒賞としてご両親が生前所有していた土地を返還してもよいとのことです」


 オフィーリアは怒りにまなじりを釣り上げ、肩をワナワナと震わせた。


(両親の土地を返すだと? あれは元々私のものになるはずの土地じゃないか)


 そもそもオフィーリアはすでにこのアークロイにて、両親の土地の数倍の広さの土地をノアから戦功としてもらっている。


 そして、すでにアルベルトなんぞとは比べ物にならないほどの武功をあげている。


 なぜ今更アルベルトの配下にならなければならないのか。


 それに今、思えば大公領での扱いは屈辱以外の何者でもなかった。


 両親の死のどさくさに紛れて、土地をちょろまかされ、身分を召使いに(おとし)められる。


 ノアへの私的な忠誠心をいいことに。


 アークロイでノアからの寵愛を受けた今となっては、大公領に帰る理由などないに等しかった。


 ここまでバカにした条件を出してくるのは、まだあの連中が内心自分のことを召使いだと思っているからに違いない。


 しかし、もっとも怒りを覚えるのは、彼らがいまだに自分のことを金で釣れると思っていることだった。


 オフィーリアは騎士ヴァーノンに怒鳴りつけてしまいそうになったが、すんでのところで抑えた。


 使者にすぎない彼に怒鳴りつけても仕方がない。


 それに彼は大公領の家臣達の中では、比較的良心的な人間で、まだオフィーリアが大公領にいた頃から親切にしてもらっていた方だった。


 オフィーリアは怒りを抑えて冷笑を浮かべるにとどめた。


「まったく。私も随分低く見られたものだな」


 ヴァーノンとしては返す言葉もない。


「両殿下にお伝えください。私を勧誘している暇があるのなら、ノア様の足を引っ張らないようせいぜい精進するようにと。私はここを離れるつもりはありません。屋敷で宣言した通り、ノア様に永遠に仕え続けるつもりです」




 予想通りオフィーリアとの会談を不首尾に終えたヴァーノンは、トボトボしながら部屋を後にすると、帰り際、箒を持った娘とすれ違った。


(あの魔女、まさかルーシーか?)


 ルーシーはエクボを浮かべながらニコリと会釈した。


 彼女も見違えるようだった。


 イアンの下に仕えていた頃は、四六時中ゴミ漁りをしている不気味な娘だったが、変われば変わるものだ。


 今は可愛い髪飾りをつけて、箒さえ持っていなければ、どこかのお嬢様と言われても信じてしまいそうだった。


 まだぎこちなさはあるものの、男性からの視線も意識するようになって、遅ればせながら女の子に目覚めたようであった。


 誰の視線を意識しているのかは言うまでもない。


 ヴァーノンは彼女がこの城下町の賑わいに一役買っているのだと直感した。


 そしてノアが彼女の力を目覚めさせたことも。

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― 新着の感想 ―
オフィーリアの勧誘には失敗し、イアンが手放したルーシーの変貌を目の当たりにする。 当主達は、何も見えては居なかった、ノアがどれ程にしたわれていたのが…。 軍を率いるの才覚も、政を行う技量も、何もか…
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