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第30話 大公領の迷走

 ユーベル大公領とアングリン領の境目。


 そこにある砦の前にアルベルトは軍勢を集結させていた。


 その規模は前回攻撃時の2倍。


 砦の内部まで侵入しておきながら、辛くも攻略を逃した前回をはるかに超える大軍勢。


 誰の目にも砦の攻略は目の前に迫っているように思えた。


 アルベルトは集まった腹心達に向かって演説する。


「みんな、よくぞこれだけの軍勢を集めてくれた。ここまで来れたのはひとえに諸君らの献身の賜物だ。総司令官を任された身として改めて礼を言う。ありがとう」


「何をおっしゃいます。これだけの軍勢を集められたのもすべてはアルベルト様の人望あってのこと」


「そうです。アルベルト様がこうして陣頭で指揮を執らずば、いったい誰がこれだけの軍を集めることができたでしょう」


「ああ、アルベルト様に栄光あれ」


「神よ。我が軍に勝利を! 砦の者どもには天罰を与えたまえ!」


「みんなありがとう。だが、勝利に浮かれるのはまだ早い。戦争は実際にやり終えるまではどうなるか分からないからな。だが、勝利が目前なのは確かだ。前回の2倍の軍勢。その総勢5万人以上。あの程度の小さな砦がいったいどうやって我が軍を跳ね返すことができようか。さあ、皆の者、部署につけ。遅れを取るなよ。一番最初に砦を越えた者には勲1等の褒賞を与えるぞ」


「アルベルト様、ぜひ私めに先鋒を!」


「いえ、私に先鋒を!」


「皆、逸る気持ちはよく分かる。だが、ここはロスマン卿に華を持たせてやろうではないか」


 アルベルトがそう言うと、諸将はハッとする。


 ロスマン卿は前回の攻撃で最も部下を失った者だった。


 それだけに悔しい想いをしているだろう。


 そのことに思い至った諸将は、自分達が仲間のことを気にせず手柄のことばかり考えていることに気づき、恥入(はじい)らずにはいられなかった。


 そしてそれと同時にこんな時でも配慮を絶やさないアルベルトの心意気と温情に深く感銘を受けるのであった。


「アルベルト様、ご配慮ありがとうございます。恐れながら不肖このロスマンが先鋒を務めさせていただきます」


「よし。よくぞ言ってくれたロスマン卿。みんな、用意はいいな? 前回、散っていった仲間達のためにも今回の戦い決して負けるわけにはいかないぞ!」


「おおう」


「仲間達の仇だ!」


「前回の雪辱晴らしましょうぞ!」


「砦の奴らに目にものを見せてやる!」


 そうしてアルベルト軍は砦への攻撃を開始した。




 砦を守る兵士達はアルベルトの実力に驚いていた。


「信じられん。これがアルベルト・フォン・ユーベルなのか」


「アルベルト・フォン・ユーベル……。大公領期待の新星とは聞いていたが……」


「信じられん。これほどの実力とは……」


「ああ。まさかこれほどとはな」


 5万もの大軍がひしめくようにして砦めがけて突っ込んでくる。


 怒りに大地を踏み鳴らす兵士達が、怒涛の如く押し寄せてくる。


 それだけに砦の兵士達は驚きを隠せなかった。


「まさか……これほど弱いとは」


 砦の兵士達は唖然としていた。


 アルベルトがまったく攻撃方法を変えてこないことに。


 軍勢を増やしたにもかかわらず、やっていることは戦力の逐次投入。


 決まりきった侵入地点に順次兵力を投入していくだけだ。


 すでに前回侵入を許した場所は、防備を増強していたが、それでも構わず前回と同じように突っ込んでくる。


 櫓や弓兵による支援射撃、搦手による突撃のタイミングもてんでチグハグであった。


 むしろ多すぎる軍勢はせっかく組み上げた櫓や梯子の配置されるべき地点を埋め尽くしてしまって、進行を阻んでいた。


(……まるで成長していない)


 前回の2倍の軍勢を集めたアルベルトの軍は、損害もそっくりそのまま前回の2倍を出して撤退を余儀なくされるのであった。


 このアルベルトの将としての名声を大きく傷つける失態にユーベル大公は激怒して、失敗の揉み消しを徹底的に行うよう指示を出した。


 それ以降、大公領では、連日のように以下のような大本営発表が喧伝された。


「アルベルト殿下大勝利」


「敵は我が軍の精強果敢を前に戦わずして逃亡!」


「惜しくも砦は陥せなかったものの、2倍の軍勢を揃えた敵に2倍の損害を与える」


「大功をあげたアルベルト殿下には新たな領地が加増される」


「砦陥落も時間の問題か?」


 損害の責任はすべて部下に(なす)りつけられた。




 同じ頃、大公領のとある場所で暴動が起きていた。


 それはなんと内政能力が評価されているはずのイアンの領地においてであった。


 しかもその主体となったのは女性である。


 彼女らの要求は給与の増額と待遇の改善だった。


「もうパンクズだけの食事はいやぁ」


「具なしスープにも耐えられないわ」


「雑巾で服を直すのも無理」


「暖炉にもいい加減火をつけて。寒さで凍えそうだわ」


「腐った牛乳で髪を洗わせないでください」


「雨漏りをなんとかして。ベッドが浸水して溺れそうになったわ」


 イアンは彼女らの主張が理解できなかった。


(なぜだ? 私はこれでもかというほど彼女らを慈悲深く扱っているのに)


 イアンにはなぜ彼女らが怒っているのか理解できなかった。


 というのもイアンは超がつくほどのドケチだったのだ。


 神の教えや聖人君子の言行録を下にシスターやメイド達の生活を厳しく律し、何かと理由をつけては彼女らに経費削減するよう迫っていた。


 初めは、「さすがイアン様。高貴な生まれにもかかわらず、贅沢せず質素倹約に努めてらっしゃる」と感心した召使い達も徐々に狂気を感じ始める。


 いかにイアンについてきたメイド達が手堅さと節約志向に重きを置くタイプだとしても限度がある


 栄養失調で倒れる娘が出てきても食事量を変えない。


 毛布の穴面積が大きくなっても新しいものを支給しない。


 寒さで凍えている召使いがいても、むしろ暖炉の燃料を減らす。


 華やかな聖堂の裏側では、召使い達が1匹のネズミ、一枚の木の葉を巡って暗闘を繰り広げる地獄のような光景が広がっていた。


(バカな。なぜ、みんなこの程度で不満を漏らすんだ)


 イアンが不思議がるのも無理はなかった。


 というのも、最終的にイアンの下に計上される収支はまったく変わっていなかった。


 つまり中間で搾取したり、着服したりしている連中がたくさんいるのである。


 しかもこの手の連中は、責任を下の者に(なす)りつけるのがやたら上手いのだ。


 一部の悪どい人間が肥え太る一方で、最下層の召使いやシスターにとっては地獄の生活だった。


 格差が深まると人間は必要以上に惨めさを感じて、卑屈になるものだ。


 召使い達の間では殺伐とした空気が広がった。


 彼の聖堂周辺では盗難事件が相次いだ。


 訪れた貴婦人の財布が盗まれることなどしょっちゅうだった。


 逮捕されるのは、イアンの聖堂で働いている召使いばかりだった。


 イアンの顔に泥を塗るわけにもいかず、警察は渋々彼・彼女らを釈放して、事件を握り潰すのであった。


 ここまでくればもうお分かりだろう。


 イアンにとって理想的な配下はルーシーだったのだ。


 彼女はイアンの指針に忠実に節約サバイバル生活をおこなって、しかも使った費用もきっちり申告して、差額分は真面目かつ正確に報告していたのだ。


 にもかかわらず、イアンは彼女を昇進させるどころか、スケープゴートにしてノアの下に追い出してしまったのである。


 イアンの権勢の下、押さえつけられていた召使い達だったが、それも我慢の限界を迎えていた。


 そうして、あろうことかイアンのお膝下で暴動を起こしてしまったというわけだ。


 イアンの内政官としての評判を著しく下げるこの事件に、大公は激怒し、揉み消すように指示を出した。


 暴動は弾圧され、関わった者は敵国のスパイとして逮捕・投獄された。


 それを見た召使いの多くは、イアンの領地から脱走した。


 しかし、牢屋に入れられた者達は、案外幸せだったという。


 牢屋内の方が最低限の食事と寝床が保証されていたためである。


 囚人達には牢屋の看守が天使のように見えたという。


 彼女らの汚れのない眼差しは、意地悪な看守達が戸惑うほどであった。




 そうして一応世間には2人の無能ぶりが漏れずに済んだものの、人の口に戸は立てられない。


 一部の者には世間で言われていることが嘘であること、事実がどのようであるのかが極めて正確に伝えられる。


 叛臣リベリオ卿の耳にもそれは伝え聞かされた。


 聞きつけたリベリオ卿によって嫌味を言われて、大公の機嫌は悪くなるばかりだった。


 最近は召使いや騎士にまで鬱憤をぶつけて殴ることが多くなっていた。


 アルベルトやイアンに対しても流石に風当たりがきつくなる。


 2人は事態を打開すべく、一刻も早くオフィーリアを引き抜かなければと焦るのであった。

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― 新着の感想 ―
戦の何たるさをわかっていないアルベルト、質素倹約にし過ぎるイアン。 こんなんじゃあ、逃げ始める人も出てくるわ…。こんなんでオフィーリアを引き抜こうって考える方がおかしい。 それだけ自分達の統治が杜…
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