第148話 バカンスと幽霊船
バイオリンの妙なる音色が流れている。
途切れることなく楽器が鳴り続けているここはナヴァル大公の屋敷。
集まっているのは皆、立派な仕立ての服に身を包んだお歴々。
ただし、吸っている煙草からは成金の匂いがする。
事実、集まっているのはここ数年で一財産築いた者達ばかりだった。
他ならぬ若き大公ロレンツォ・ナヴァル自身も金と海運業、商人の力を使って、ここ数年で急速に勢力を伸ばした男だった。
「どうです? 魔族領から手に入れた煙草の葉は?」
「いやいや。どうしてなかなか美味いものですな」
「しかし、いいのですかこんなものを持ち込んで。また、法王様に睨まれるのでは?」
「ご安心ください。我々の商活動が法王様のお咎めを受けることはありませんよ。何せ聖堂の大広間に飾られているあの絵画。あれは我々の金で描かせたものですから」
居並ぶ男達はドッと笑い声を上げた。
「はっはっは。流石はナヴァル大公」
「お若いのに抜け目がありませんな」
「我々の商売は安泰ですよ。何せこのギフティアおいて法王様のお膝元にいながら魔族領と取引できるのは我々だけですからね」
ナヴァル大公は仕立てたばかりの白いスカーフを撫でながら、高価なワインの入ったグラスをユラユラと揺らす。
「気になるのはナイゼルの動きですな」
「バーボンとノルンを切り取ってマギアの海を支配するつもりだとか」
「困りますな。それでは我々がマギアの取引から締め出されてしまう」
「大魔女様の耳にでも入ればどうなることか」
「ご心配には及びませんよ。アークロイ公がノルンの姫君と手を結びナイゼルに喧嘩を吹っかけたそうです」
「あのうつけが!?」
「ナイゼルの野望は阻まれたというわけです。なんならアークロイ公を支援してやればいい。戦争になれば結局、儲かるのは我々ですよ。この際、魔石の利権やゴーレムの利権もちょうだいしてしまえばいい」
「しかし、アークロイ公は狂犬じみた荒々しい気性の持ち主だそうですよ」
「あまり戦争が長引いてマギアが荒廃しては不味いのでは?」
「狂犬! 結構なことではありませんか。アークロイ公にはせいぜい暴れていただきましょうよ。戦争が長引けば長引くほど我々は儲かります。何せマギア地方まで、いえ魔族領まで船を出せるのは我々だけなのですから」
「ナヴァル大公!」
宮廷に仕える伝令が血相変えて割り込んでくる。
「申し上げます。マギア地方がアークロイ公によって征服されました」
「なんだと?」
「征服? 一部を切り取ったではなくか?」
「報告は正確にしたまえ」
「いえ、間違いなくマギア地方のほぼ全土がアークロイ公のものとなりました。ナイゼルもジーフもノルンも傘下となり、各国の魔法院もすべてアークロイ公を、いえアークロイ大公を支持しております」
ナヴァル大公はその端麗な唇を震わせる。
(マギア全土がアークロイのものに? ノルンとナイゼルの海軍が統合されたというのか? なんてことだ。それでは我がナヴァルの海軍力を上回っているではないか。どうする? アークロイと同盟を結ぶか? いやダメだ。そんなことが大魔女様に知れればいったいどんな仕打ちを受けることか)
商人達は不安げにナヴァルの顔を覗き込んでいた。
果たしてこのまま彼の船に乗っていてよいものだろうか?
さっさと資本を引き上げて別の船に乗った方がよいのでは?
(後背地のない我々が海軍力を失えば一巻の終わりだ。そうだ。成長著しいフェルミナス大公とラシュヴァン大公と同盟を組もう。彼らも魔石が必要なはず。この二国と組んでアークロイを押さえ込もう。それしか我々の生き残る道はない)
「皆様、ご安心ください。我々にはアークロイを押さえ込む腹案がございます。それにマギアの魔法院がそう簡単によそ者の意に従うとは思えません。彼らは反乱の機会を虎視眈々と狙っているはずです。我々のネットワークは盤石。マギアに付け入る隙は充分にありますよ」
ナヴァル大公はそう言って商人達を安心させるものの、手に持ったワイングラスは揺れていた。
飛び散った赤い雫が、ナヴァル大公の白いスカーフに染み付き、血のような斑点を作った。
優雅なバイオリンの音色は不安に揺れていた。
各国領主達が恐れ慄いたり、嫉妬の炎を燃やしたりしている中、ノア達はというとバカンスを楽しんでいた。
ノルンにはビーチがあり、バカンスに海水浴を楽しむ文化があるというので、ノアは全員に一週間の暇を取るよう御触れを出して、ノルンのビーチへと出向いた。
魔法院も一週間、閉鎖され各国の魔導騎士達が集会することも禁じる。
この一週間はマギア地方のそこかしこでアークロイ兵が武器装備を外し、各地の住民と交流する様が見られた。
ノアは直属の騎士達や側近にも暇を与えるものの、ほとんどの騎士がノアの休暇について来た。
オフィーリアとイングリッドはもちろん、ドロシー、エルザ、ルーシー、ランバート、クラウス、ガラッド、ジアーナ、ターニャ、グラストン、みんなついて来た。
おかげでノルンの浜辺は英雄や歴戦の強者大集合となるのであった。
「わーい。海だー!」
「ウヒョー。エメラルドですよー。透き通ってますよー」
水着になったエルザとルーシーが浜辺でバシャバシャと水をかけ合いながら戯れていた。
アークロイにも河川はあるので夏場の水遊びもなくはないのだが、やはり浜辺の解放感は格別だった。
二人とも過酷な戦役を忘れさせる無邪気さで寄せては返す波と戯れている。
オフィーリアは初めは水着姿に抵抗を示して陽射しの強い浜辺にもかかわらず、肌を隠す服装をしていたが、イングリッドがそのキラキラする肌をノアの前で大胆に晒しているのを見て、対抗するようにそのど迫力なボディの水着姿を見せてくれた。
ターニャは優等生なので油断していたが脱ぐと凄かった。
ドロシーはというと意外と砂浜で黒竜と一緒にザクザク穴を掘っているだけだった。
根っこの部分では、内気で本当の自分をみんなに見せたくないのだろう。
ランバートとクラウスは岩壁の上で釣りをしていた。
ガラッドはバーベキューのために骨組みを組んでいる。火を扱うのが好きなのだ。
グラストンは調整していないと落ち着かないのか、何事かの手配をしていた。
今夜は美味しい魚と肉が食べられそうだ。
ノアはデッキチェアで燦々と注ぐ陽射しを浴びながら、思い思いに楽しむ皆をのんびりと眺めていた。
ふと視線を感じて海の方に目を向けた。
水平線に一隻の黒い大型船が巡航している。
この辺りでは見ない船だ。
周囲に紫煙を燻らせて幽霊船のように生気がない。
「あの船は?」
「あれはセイレーン海洋帝国籍の船ですわ」
ジアーナが眼鏡をくいっと直しながら言った。
「セイレーン海洋帝国?」
「ええ。魔女の統治する帝国と言われています。確かナイゼル公国やナヴァル大公国とも資本関係にあったはず」
「ふーん。そのセイレーン海洋帝国が何でこんな海域を航行しているんだ?」
「さて、なぜでしょうね」
ジアーナは言われてみればという様子で海の向こうに目を細める。
聞きながらもノアには分かっていた。
彼らはおそらく自分のことを見ていたのだ。
新たな戦いの予感がすぐそこまで来ていた。




