第116話 権威の失墜
そこから先はもはや戦争の体を成していなかった。
ユーベル兵達はブラムとケルピー部隊を見るや恐れ慄き、縮み上がって、てんでバラバラに逃げ出した。
ルドルフのために踏みとどまって戦おうとする者はいない。
ルドルフ自身もいち早く逃げ出した。
ユーベル軍は戦うこともなく尻尾を巻いて逃げ出したのだ。
その後はナイゼル騎兵によって一方的に狩られるばかりだった。
装備や馬具の立派な騎士から順に狙われて、追い回される。
投降すれば装備一式剥ぎ取られた上で捕縛され、人質となる。
抵抗すれば集団で囲い込まれて討ち取られる。
だが、ナイゼル兵に捕まった者はまだ幸運だったかもしれない。
反乱が常態化したカルディでは農民がゲリラ化していた。
鍬や鋤で武装した農民達は騎士を捕まえても身代金の交渉にありつけないため、そのまま殺して衣服装備を剥ぎ取り、死体は放置された。
名ある立派な騎士が名もなき農民兵によって惨殺されるという事態があちこちで発生した。
逃げ惑うユーベル兵をナイゼル騎兵は猟犬のように執拗に追い回した。
どうにかティエール河まで辿り着いた者もいたが、多くの者は河を越えることができなかった。
折からの雨季によって増水した河川に阻まれ渡河できなかったのである。
無理して河を渡ろうとしたユーベル兵は、ほとんどが溺れ死んだ。
もしくは河を渡っている途中でケルピー兵に槍で突き刺された。
自力で国に帰れたのは極めて僅かな人数だった。
有力な騎士の死亡と捕縛を確認したところで、ブラムはナイゼル軍の目標を残党狩りに切り替える。
ベルナルドはカルディ領が再びナイゼル公国に組み込まれたことを宣言した。
ナイゼル軍はその武勇で2倍以上のユーベル軍を撃破したと大袈裟に喧伝し、ナイゼルの勢威をその内外に示す。
敗戦の報を聞いたユーベル大公領の混乱は、凄まじいものだった。
7万もの兵士が全滅。
ルドルフはおろかクーニグ、ヴァーノンの消息すら掴めない。
主だった将校、騎士もことごとく行方が知れない。
運よく生き延びて帰ってきた兵士達に事情を聞いても「湖の上を走る馬がどこまでも追いかけてきた」とか「鋼鉄の人形が雷を落としてきた」とか要領を得ない返答を繰り返すばかりだった。
なぜカルディ城がとられたのかも、情報が錯綜していた。
とある兵士はクーニグが裏切ったと言い、とある兵士はカルディの反乱軍に陥落させられたと言い、とある兵士はベルナルドの調略が成功したと言い、とある兵士はブラムが攻め落としたと言う。
大公フリードはすっかり色を失って取り乱してしまった。
「ルドルフは。ルドルフはどうしたんじゃあー」
息子達の中で一番可愛がっていたルドルフが行方不明となってすっかり狼狽してしまう。
アルベルトとイアンは乱心したフリードに代わって対応に追われた。
国内の動揺を鎮めるために家臣や騎士、神官を集めて、対応の協議を重ねた。
国内外に変な噂が流れないよう緘口令が敷かれた。
アルベルトとイアンを閉口させたのは、ユーベル領にやってきて日の浅い外国からの使者達だった。
特にエルフの娘達の騒ぎ方は尋常ではなかった。
「返して。私達のお金を返して!」
当初はユーベル軍の不利と敗報を聞いてもルドルフへの変わらぬ信頼を寄せ続けていた彼女らだったが、ユーベル軍が全滅し、カルディの支配権が再びナイゼルに戻ったと知るや青ざめずにはいられなかった。
ルドルフが生きているのか死んでいるのかも分からないし、マギアへの足がかりが失われたと知ると、しばし呆然とした後、我に返った後の関心事は当然のことながら自分達がルドルフに預けた金銭の行方と帰属だった。
エルフ達はユーベル大公の下に連日のように資金の返還を求めたが、それはアルベルト達をうんざりさせた。
アルベルト達からすれば今はそれどころではない。
どうにか国内の動揺を鎮めて、ナイゼルとの交渉に臨まなければならない。
初めは彼女らを気の毒に思い宥めていたアルベルトだが、徐々に彼女らが緘口令を破って騒ぎ立てるのですっかり迷惑な存在に感じてしまう。
ルドルフの預かった金についてアルベルト達に聞かれても困るのだ。
ルドルフの預かった金の所在はルドルフしか知らないし、金庫はルドルフでなければ開けられないように施錠されていた。
結局、アルベルトとイアンはエルフ達を国外追放した。
エルフ達は事実上ルドルフに金を借りパクされたのである。
エルフ達はルドルフへの呪詛の言葉を吐きながら故国へと帰っていった。
他の亜人達への扱いも似たようなもので、ユーベル大公国の外交的地位は著しく失墜した。