第115話 地に臥す軍旗
ユーベル軍本隊が大敗を喫している頃、カルディ城の方では、夜陰に紛れて魔導騎士に率いられた一隊が城壁に忍び寄っていた。
カルディ城の守りを任されたクーニグはそのことに気づかない。
♢♢♢
(ま、こんなもんだよな)
フェッツの戦いで快勝したブラムは、ユーベル軍が敗走していくのを見てそう思った。
マギア地方での戦闘は、初見では対応が難しい要素が多く、他地方で腕を鳴らした者でも、あっさり惨敗することが珍しくない。
ルドルフのやり方も他の地方では常識通りの正攻法だった。
なので、ルドルフがブラムの罠に気付けなかったとしても仕方あるまい。
初見で異常な対応力を見せたアークロイ勢が異常ななのだ。
ブラムは自分の勝負勘が鈍っていないと分かってホッとした。
オフィーリアに力負けしてからずっとトラウマだっただけに。
投降したユーベル兵の捕縛を終えたブラムは、ルドルフの追撃に移った。
空には暗雲が立ち込め、シトシトと雨が降り始める。
「いったいどう責任を取るつもりだ!」
ユーベル軍の高級将校が、部下に当たり散らしていた。
ルドルフと共にカルディ城へと撤退する途上のことである。
「7万だぞ。7万の兵士がこの故国から遠く離れた地で孤立して命の危機に晒されている。いったいどう責任を取るつもりだクーニグとヴァーノンは。ルドルフ様にこのバカげた外交遊びを唆しているあの2人はいったい何を考えている。いまや我々はマギア地方全土で嘲笑と憎悪を向けられている。5万いた軍は1万まで減ってしまった。ナイゼルにもアークロイにも大した打撃を与えられていない。カルディの反乱も依然として続いている。このまま、おめおめカルディまで獲られてみろ。いい物笑いの種だ」
ルドルフは馬を操りながらうんざりした気分で将校の怒鳴り声を聞いていた。
(聞こえてるっつーの)
その将校は公子であるルドルフを批判するわけにはいかないので、クーニグとヴァーノンに批判の矛先を向けているのだ。
だが、遠回しにルドルフの政策を非難しているのは流石のルドルフでも分かる。
ルドルフはこのあと待っている敗戦処理のことを思うと暗澹たる気分だった。
特にルドルフが気になるのは外交のことだった。
マギア地方で無能の烙印を押されるのはもちろんのこと、マギア以外の領主にもこのことを伝えなければならないのが辛い。
特にエルフの娘達をがっかりさせることを思うとなんとも辛い気持ちになった。
ただでさえ、気が滅入るのに天候までそっぽを向いていた。
折からの雨に道路はぬかるみ、兵士達の衣服を濡らして体温を奪っていく。
雨は撤退するユーベル軍に容赦なく降り注ぎ、兵士達の士気を削っていく。
とにかく早く屋根のある場所に避難したい。
ユーベル軍はその一心でカルディ城を目指して撤退していた。
やがて見えてきたカルディ城の城壁と城郭にホッとしたのも束の間、兵士達は様変わりしたカルディ城の光景に目を疑った。
城にはナイゼルの旗がはためいていたのだ。
「バカな。なぜナイゼルの旗が」
「カルディ城がナイゼルの手に落ちたというのか?」
「いったいどうして……」
「まさか……クーニグが裏切ったのか?」
兵士の手からボロボロになった軍旗が滑り落ちる。
膝をつき地に臥す兵士もいた。
ルドルフも呆然として帽子をずり落とし、馬から滑り落ちそうになった。
馬が嘶くことで、かろうじて落馬を避ける。
絶望が軍を覆っていた。
彼らには身を守る城壁はおろか、降りしきる雨をしのぐ屋根付きの寝床すらない。
そうしてショックに浸っていられるのも束の間だった。
背後から軍馬の嘶きと軍靴の鳴る音が近づいてくる。
ブラム率いるナイゼル軍が追いついてきたのだ。
疲れを知らぬ彼らは、獲物を求めて目をギラギラと光らせていた。
(バカな。この俺が……こんなところで)
「ルドルフの身柄を押さえろ。生死は問わない」
ブラムは全軍にそう命じた。
降りしきる雨はますます激しさを増していた。
カルディ城からユーベル領まで早馬でも10日以上。
地獄の撤退戦が始まろうとしていた。