第106話 微かな違和感
ブラムはナイゼルの海軍提督と諸将を率いて、ジーフとの緩衝国ダーミッシュを訪れていた。
ここでナイゼルとジーフの軍事高官による意見交換の場が設けられていた。
先のアークロイとの戦争では同盟が上手く機能しなかったため、今度はもっと緊密に連携するべく、外交レベルだけでなく軍事高官の間でも事前に綿密な協議を重ねようということになったのだ。
ブラムがダーミッシュの城の一室を訪れていると聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「くぅー。ようやく娑婆の空気が吸えたと思ったらまた仕事か。この歳で捕虜の身からの会議は堪えるわい」
(げっ。この声は……)
「ん? そこにいるのはもしやナイゼルの鼻垂れブラムか?」
「やっぱアンタか。スメドリー」
ブラムはスメドリーのことが苦手だった。
逆にスメドリーはニコニコする。
「そう邪険にすんなよ小僧。こっちはお前が逃げたせいで捕虜になって大変な目に遭ったんだぞ」
「自業自得だろ。そもそもアンタがもっと速く戦場に駆けつけてれば、あそこまで苦戦することもなかったんだよ」
「と言いつつ、こうしてここにいるということは、小僧降格処分を受けなかったってことだな? 詰まるところ、ワシらジーフ軍がオフィーリアに捕まったからだろ。でなきゃあの疑り深い第1公子がお前を処分しないはずないもんな。そうだろ?」
(当たり。やっぱ苦手だぜこのジジイ)
城一つ失ったブラムだったが、スメドリーの方が負け方が酷かったため相対的に罪が軽くなり、処分を免れていた。
「そんなんじゃねぇよ」
「おっ。その反応。さては、図星だな? 相変わらず分かりやすい奴め。てことは、いよいよワシはお主の命の恩人になったってことだな。まさかナイゼルの鼻垂れを舎弟にする日がこようとはのぉ。なんとも感慨深い。長生きはするもんじゃのぉ」
「誰が舎弟だ。ならねーっつーの。つーか、アンタこそよく処分されなかったな。あんな無様な負け方しといてよ」
「代わりがいねーんだってよ。ったく。酷いと思わんか?
こんな老いぼれをこき使ってよ」
「ソアレスはどうしたんだよ」
「降格処分だってよ。どうせあの堅物のことだ。部下を庇って馬鹿正直に自分が責任被ったんだろ。その点ワシは常に関係各所にゴマすりまくっとるうえ、のらりくらりと責任逃れしてきたからな。この歳になるまで生き残ったってわけよ」
「ソアレスが降格。ってことはノルン方面軍の責任者は……」
「シャーフだってよ。シャーフ! あの猛将シャーフだよ。ソアレスを降格にしてあの若造がノルン方面軍の最高指揮官だとよ」
(やっぱ。あいつか。この爺さんも大概腰が重いけど。あいつはあいつで短兵急なんだよなぁ)
「酷いと思わんか。我が国の上層部の奴ら。こんな老骨をこき使うだけじゃなく、よりにもよってあんな拙速を絵に描いたような小僧と歩調を合わせて、あの鬼のように強いオフィーリアと戦えってんだぜ。なぜわざわざあんな一番相性の悪そうな奴とっ。しかもさっきちょろっとシャーフと話したんだけどよぉ。あいつノリノリで指揮官務める気なんだよ。『今度こそ長年の悲願ノルン城を落としてみせる』とか『ソアレスの無念はこの俺が晴らす』とかなんとか言って無駄にやる気だけは満々なんだよ。精神論ばっか言ってノルン方面で何があったか一向に要領を得ない話ばかりするし。どうせソアレスが負けたのだってあいつのせいだぜ。くぅー、ワシもいよいよ年貢の納め時かのぉ。およよ」
(泣きたいのはこっちだっつーの)
ブラムは先が思いやられるような気持ちで会議室の扉を開けた。
ブラムとスメドリーが作戦室に入ると、ノルン方面軍指揮官の腕章を付けたシャーフが、やる気を漲らせながら待っていた。
「遅いぞ。貴様ら。今が国家危急存亡の秋だと分かっているのか」
ナイゼルとジーフの高官が揃ったのを確認すると、シャーフはキビキビと会議を仕切り始める。
(こいつはこいつで全然、駆け引きとか探りとかいれねーのな)
生来単純で、仕事をさっさと終わらせることしか頭にないのだろう。
他人の意向などどうでもいいと言わんばかりだった。
とはいえ、スメドリーよりはやりやすいのも確かだった。
ブラムは大人しくシャーフのペースに巻き込まれてやることにする。
「目下、我々はアークロイとユーベルに挟まれ圧迫されている。この苦境を脱すべくジーフとナイゼルは手を取り合って突破口を見つけなければならない」
ブラムは地図を眺めながら唇を噛んだ。
(くそ。やっぱサブレ城とラスク城を獲られたのが痛いな。バーボン方面で合流するのは無理か)
ブラムはますます唇をきつく噛む。
(だが、これだけ多岐に渡る戦場。アークロイ陣営だってすべてを見れる奴はいないはず。どこかに隙はあるはずなんだ)
(しかし、改めて見るとよく講和に応じたな。アークロイは)
スメドリーはアークロイに圧倒的に有利だった戦況を思い出して、しげしげと地図を眺める。
シャーフは2人のことは気にせず続ける。
「ジーフ・ナイゼルとアークロイ・ノルンの対立は一旦コスモの和約によって解消されたかに思われたが、今、平和は再び脅かされようとしている。それもユーベル大公国によってだ。ルドルフはコスモ城講和会議において目覚ましい外交手腕を発揮し、一時的にマギア地方に平和をもたらした。が、どうにもトチ狂ってしまったようだ。実際にマギア地方にやってくると、悪手を連発して自らを窮地に追い込んでいる。ユーベル軍を取り巻く状況は危険な水域に達しており、今にも暴発しかねない状態だ」
シャーフはカルディ城のユーベル軍をパシッと指揮棒で叩く。
「そういうわけで喫緊の課題はユーベル軍だ。カルディに進駐したルドルフ率いる軍は総勢7万。この明らかな過剰戦力はどう考えてもマギア地方の更に奥深くに侵攻する野心があると見て間違いない。しかも魔法院を弾圧し、閉鎖に追い込んでいる。多数の魔法院を傘下に置く我々としてはこの暴挙を見過ごすわけにはいかない。情勢は逼迫している。ユーベル軍は補給に問題を抱えており、食糧を求め近隣の領地に侵攻する可能性は日に日に高まっている。暴発は時間の問題だろう。アークロイの動きも気になるところだ。アークロイ公ノアは追放されたとはいえ、元々はユーベルの第4公子。ユーベルに呼応し、連携してくることは充分に考えられ……」
「それについては問題ない」
ブラムが発言した。
「我がナイゼルはアークロイ陣営の外交官の調略に成功している。アークロイ公がユーベル第三公子と連携することはまずない。むしろ、ユーベルに関してはナイゼルと共同で当たると見て間違いない」
「ほう。そうなのか?」
「ああ。だからカルディ方面については我々ナイゼルに任せてもらいたい」
「アークロイ公としてもカルディの魔法院閉鎖は見過ごせんというわけか」
「そういえば、初めに公式の非難声明を出したのはノルンだったな」
「まあ、ユーベルとアークロイが組まないなら好都合だ。我々は両国の動きに対して別々に対処すればいい」
「ん? アークロイとナイゼルは共同してユーベルに当たるのか?」
スメドリーが不思議そうに聞いた。
「ああ。そう言ってるだろ?」
「……」
「どうしたスメドリー卿?」
「なーんかクサくねーか?」
「……いや、特に変な匂いはしないが」
シャーフは自分の服の袖に鼻を当てて嗅ぎながら言った。
「いや、そうじゃなくて。この情勢。なんかきな臭くねーかってことだよ」
「? どういうことだ?」
「いや、つーかすまん。勘違いしとった。てっきり、ユーベルとアークロイが裏で繋がっているのかと……。そうでないとしたら、うーむ……」
スメドリーは珍しく神妙な顔つきで考えこんだかと思うと、重々しく口を開いた。
「そもそもだ。なんでアークロイはこんな講和を受け入れたんだ? ジーフ軍3万の捕虜を返還して、ユーベル軍とも連携が取れず、損しかしてなくねーか?」
「アノンら同盟国の離反を恐れたんじゃないか?」
「アノンとかが離反したとしてもだ。ユーベルと協働してナイゼルを攻め滅ぼせば簡単に勢力を伸ばせるじゃん」
「仲が悪いんだろう。今は乱世。兄弟同士で殺し合うなんて珍しい話でもあるまい」
「うーん」
スメドリーはなおも腕を組み思考を巡らせる。
ブラムも言われてみればおかしい気がしてきた。
(確かに。なんか引っかかるな。何かを見落としているような?)
自分の処分が甘くなってホッとしたのもあって、アークロイ陣営の動きにまで頭が回らなかった。
(くそ。こんなことなら兄上に講和会議の様子をもっと詳しく聞いとくんだった。って言っても、教えてくれるわけねーか)
ベルナルドは秘密主義的で特に外交のことに関しては弟といえどもあまり詳しく教えてくれなかった。
「まあ、おそらく高度な外交的判断があったのだろう。そういったことは外交部の考えることで、我々がここでとやかく言っても仕方がない。我々が考えなければならないのはいかにしてユーベル軍とアークロイ・ノルン軍を叩き潰すかということだ」
シャーフが横道にそれかけた会議を本題に戻した。
もっともな意見なので、その場にいる者達に異論はない。
ブラムもかすかに感じた違和感を一旦脇に置いて、本題に集中した。
「さて、話を戻すとだ。コスモの和約はやがて破られる。ユーベルを片付けた後はまたアークロイとの戦闘になるだろう。ジーフ・ナイゼル秘密同盟の課題は、いかにしてアークロイ軍を押さえるかだ」
そうして本題に戻った会議だが、いざ話し合ってみると一向に意見が噛み合わなかった。
「とにかく陸軍のオフィーリアのスピードだ。これを押さえないと話にならん」
「いや、スピードを押さえるだけではダメだ。力勝負も凄まじい。小隊長クラスでも恐ろしい統率力を持っとる。持久戦に持ち込まんと厳しいだろ」
「何を言っている。アークロイ軍で最も厄介なのは築城能力だろ。ノルンを一夜にして要害堅固にしたあの防御力を突破するのは相当骨が折れるぞ」
「いやいや。皆さん、分かっちゃいねぇ。アークロイ軍で最も厄介なのは海軍ですぜ。とにかく火力が半端ない。一刻も早くあの艦載砲の秘密を解き明かさなければ」
各将軍自分の私見を述べるも一向に意見が一致しない。
(くそっ。スメドリーの言いたいことはなんとなく分かるけど。ノルン方面と海軍のことはよくわかんねぇな)
ブラムが実際に痛感したのは河川を遡上する輸送能力の部分だけで、海上での戦闘はまだ見たことがなかった。
この会議では戦局全体を見れる者がいなかった。
会議は混迷を極めたが、ブラムのリーダーシップもあって、どうにか以下のことが決まった。
まず、可及的速やかにユーベル軍を片付けること。
アークロイとの開戦は必ずこちら側から先制攻撃して成功させること。
全戦線に関与している敵海軍を止めるのを最優先にすること。
艦載砲付きの戦艦に正面から挑むのは不利なので、とりあえずバーボン、アノン、ネーウェル、リマ、エンデ、サリスの港を襲撃し、可能な限り補給を脅かすこと。
そして、海軍による補給が滞っているうちにノルン城とサブレ城、ラスク城を奪還すること。
劣勢に陥った場合、最低でも二正面作戦に持ち込み、撤退しながらどうにか隙を見て反転攻勢を仕掛けること。
こうして同盟軍は一応の方針をまとめることができた。
ブラムは会議が終わっても、頭の片隅にこびりついた違和感を払拭することができなかった。