第105話 外交的孤立
ルドルフがその居城コスモ城から発とうとすると、エルフの美しい娘達が駆け寄ってきた。
「ルドルフ様、カルディに向かわれるというのは本当なのですか?」
「どういうことなのです? マギア地方はルドルフ様の取りなしで平和になったはずなのでは?」
「どうやらカルディ領に平和を乱そうという不届な輩が現れたようです。どうか私を引き止めないでください。コスモの和約を主導した私としては、これを見過ごすわけにはいきません」
「しかし……、あなたが行ってしまわれれば我々はいったい誰を頼ればいいのでしょう」
「そうです。我々にはもうルドルフ様を頼るしか……」
彼女らはすでにルドルフから魔石を買い付けるべく、国の資金を預けていた。
ルドルフに前納を勧められ、言われるがままに資金を預けてしまったのだ。
「ご安心ください。カルディにて謀反を起こしている賊徒共を成敗すれば、よりマギア地方の内部に近い場所に拠点を持つことができます。マギア地方を再び平和にした暁にはあなた方を一番最初に招待することを約束しましょう」
「ルドルフ様……」
「では、せめてユーベル領内にいる間だけでも、ご一緒させてください」
「ユーベル領とマギア地方の国境線付近までならお供しても構わないでしょう?」
「やれやれ。困ったことだ。あなた方は私の後ろ髪を引っぱりたくて仕方がないようですね。ですが、分かりました。そこまで言うならいいでしょう。国境付近までの同行を許可いたします」
エルフの娘達は感激に咽び泣く。
ルドルフ率いる軍が国境付近のティエール河まで来ると、キラキラと光る無数の羽が平原に舞い降りているのが見えた。
「これは……」
「天馬の羽でしょうか」
エルフの娘達は目をパチクリさせながらその不思議な光景を見守る。
「これだけの天馬の羽が降っているのを私は見たことがありません。いったい何が……」
「ふっ。これが私のギフト【天馬の加護】ですよ。どうやら天馬の方でも私の出陣を祝福しているようです」
「まあ、なんと」
「ルドルフ殿は【天馬の加護】までお持ちなのですか?」
「ただでさえ、お美しく、由緒正しき生まれだと言うのに、そのような強力なギフトまでお持ちだとは」
「これでお分かりになられたでしょう? 私のマギア地方への出陣は運命であり、神のお導きです。どうかあなた方はコスモ城にて私の戦勝の知らせをお待ちください」
「はい」
「どれだけ長い月日が経とうともルドルフ様が帰ってくるのをお待ちしております」
エルフ達はすっかりルドルフに心酔しきって言うのであった。
ユーベル軍もこの思いも寄らぬ吉兆に湧き上がった。
全軍、ルドルフの名を讃えながら進軍していく。
だが、ヴァーノンにはむしろ天馬が忠告しているように見えた。
これ以上先に行ってはならない、と。
天馬の羽は地面に落ちるとカラスの羽のように黒く濁った。
ルドルフは4万の軍を率い、ティエール河を渡ってカルディ領入りした。
この遠征が成功すれば、7万の軍はそっくりそのままルドルフ麾下の軍勢となる公算が高い。
7万の軍の指揮権とマギア地方全土の覇権。
文句なしにユーベル第一の実力者であった。
そうして意気揚々とカルディにやってきたルドルフだが、そこで待っていたのは、想像を絶する惨状だった。
兵士達は飢えに苦しんでおり、食糧を奪い合っている。
反乱鎮圧に向かっていった兵士達は、毎日のように傷病兵となって帰ってくる。
そんな状態にもかかわらず、地元の魔導騎士達はユーベルに協力するどころか抗議を続けている。
ルドルフがカルディ城の作戦室に入ると、更に悪い報告が続いた。
反乱はカルディ領内の10箇所を超える村落で起こっており、その火の手は日に日に勢いを増している。
反乱軍には魔法兵が紛れ込んでおり、魔法陣によって巧みに罠を仕掛けたり、馬を惑わして騎兵を機能不全に陥れたりしている。
魔法兵の協力が必要なのに、すでにクーニグが魔法院を閉鎖したため、魔法兵は招集できない。
これらに加えて、最も深刻なのは補給に関する問題だった。
カルディ領内の通常分の税収すら満足に集めることができず、このままでは1ヶ月と持たず全軍飢餓に苦しむことになるだろう。
ルドルフは食糧集めに奔走する羽目になった。
ナイゼルとアークロイに援助を申し出るも両国の反応は渋い。
ルドルフがカルディ領の反乱を鎮圧できないのが分かってくると、マギア各国からの批判も激しくなってくる。
ユーベルのカルディ進駐は明らかに過剰戦力だ。
マギア地方に侵攻する野心があるのではないか?
ルドルフは兵力を削減するべし。
「アークロイだってバーボンに大軍で侵攻したじゃねーか」
このようにルドルフが反論すると、批判はさらに強くなった。
「アークロイ公にはノルンの姫君を送還するという名分があった」
「バーボン魔法院はアークロイ公を領主として承認している!」
「アークロイ公によるバーボン併合はコスモ講和会議にて認められたはずだ!」
表向き友好なナイゼルからすらも批判される有様だった。
「ナイゼル公国は魔法院を蔑ろにするいかなる宣言も断じて認めん! このベルナルド・フォン・ナイゼルの名において!」
ベルナルドのこの声明は珍しくマギア各国からの拍手喝采を受けた。
アノンの魔法院ではルドルフを揶揄する発言が相次いだ。
「どうやらユーベル第三公子はご存知ないようだ。他でもないユーベル第三公子によって、アークロイ公のバーボン領有が承認されたことを」
「ハハハ。ワロス」
そうして嘲弄する人々もいれば、「こいつ本当にコスモの和約を取りまとめたのか?」と訝しがる者もいなくはなかった。
(くっそー。なんなんだよこいつら。なんか舐められてないか。俺はユーベルの第三公子だぞ)
しかし、補給が困難になっているのは確かだったので、ルドルフは仕方なく兵力のうち2万を補給部隊に回して、ユーベルに食料調達に向かわせる。
すると今度は、「ユーベル軍はカルディから逃げた」とか「ルドルフはマギア各国からの圧力に屈した」といった誤報が飛び交って、反乱の勢いはますます増すことになった。
また、ユーベルのマギア地方へ動員できる兵力は7万が限界であることも見透かされた。
これなら大国2つ以上で連携すれば容易に抑え込めるだろう。
この情報はすぐさまマギア地方全土で共有された。
ルドルフの足下を見る動きはどんどん加速していく。
(くっ、やはり魔法院との二元的な支配体制がネックになったか)
ヴァーノンは不安が的中して、歯噛みする。
(積み上げた外交成果が一瞬にして消えてしまった。しかし、ノア様はよくこの連中を統御することができたな)
表向き合法的にではあるものの、あの手この手を使って領主城主の面子を潰そうとする。
場合によっては外国勢力と連携してでも領主城主の足を引っ張ろうとする。
(統治の難しい地方だとは聞いていたが、これほどとは)
ユーベル軍内部からもルドルフ・クーニグを批判する動きが出てきた。
元々、この7万の軍はルドルフに実権はなく、ユーベル大公の鶴の一声でかき集められた集団だった。
ルドルフの統率が行き届いているとは言い難い。
初めは物見遊山でマギア地方の麗しい都市に来ていたユーベル兵達も現地での嫌われように接すると士気阻喪せずにはいられなかった。
マギア地方の戦乱をおさめる正義の使者という触れ込みで来たのに「話が違う」とルドルフに抗議したい気持ちだった。
ユーベル兵同士での諍いも絶えない。
暇乞いを願い出る兵士は、毎日のように現れた。
とてもじゃないが長期的な滞陣に耐えられる軍ではなかった。
ルドルフにとって苛立たしいのは、いつまでも平和が続くことだった。
ナイゼル・ジーフ・アークロイ間の戦争は始まりそうでなかなか始まらなかった。
小競り合いや係争ばかりで一向に全面戦争に突入する気配がない。
平和が長続きせず3大国の覇権争いが再び始まるとクーニグが言うから、今回の遠征に踏み切ったというのに。
3大国は示し合わせたように衝突を避けて、ルドルフがジリ貧に陥るのを待っていた。
アノン・ネーウェル、リマ、エンデ、サリスは同盟締結に動くがアークロイとの同盟ではないので、コスモの和約には違反していないと主張。
ナイゼルとジーフの高官が度々接触するも秘密同盟は締結していないとしらばっくれる。
マギア地方に武力介入しようにも、ルドルフは講和を調停した本人である手前、自ら平和を乱すわけにはいかない。
このままではユーベル軍が一番最初に息切れして、暴発しかねない状態だった。
次の週になっても、ルドルフを侮る動きは止まることを知らない。
ノルンの魔法院では、グラストンがクーニグによる魔法院閉鎖および上級騎士投獄を非難する決議を通していた。
そして、カルディ上級騎士の亡命を受け入れる決議案も。
要するに堂々と反乱支援しますね宣言である。
マギア地方の魔法院はすべてこれに倣った。
今やマギア地方の全魔法院がルドルフの進駐にノーを突きつけていた。
ルドルフとしてはこれ以上舐められるわけにはいかない。
(上等だ! やってやるよ。武力によるマギア地方全土の制圧を!)
ルドルフによる魔法院のあるすべての国への侵攻が始まろうとしていた。




